このサイトについて

ここ、二三日続いていた、頭痛がやっと治まってきた。疲れていたのだろう。少し、のんびりできる。
このサイトに書く内容について、自分としては、すごく、抑制的にやってきた。
日記とは書いたが、絶対に身近な人に迷惑のかかることは書けない。もしそんなことをしたら、あらゆる信用を失うだろう(気付かれたら、大変だ)。だから、そういった個人的な人間関係を、どんな、切れ端も、書いていない。
大事なことは、まじめにならないことであった。人に本気だと思わせないことだった。これは、別の人格なんだと、これは、自分の現実と離れた世界なんだと考えることであった。現実逃避は、別に、現実から逃避する、という意味でなくて、一種の気分転換に近い(あまりにも一つのことに入りこみすぎることは、悩の活動を萎縮させる)。
しかし、日々の暮しは、いろいろな不安で一杯であるし、人に言えないこともある。でも、ちょっとした一言、たとえば、飲みに誘ってくれたりすると、今、自分は、どうしても他の人に話したくないことがあるから、ちょっと行けないか、と思っても、でも、そうやって、自分のことを心配してくれてるのかな、悩みを聞いてやろうとしてくれてるのかな、と思うと、じんとくる。感謝の気持ちが湧いてくる。あまり親しくなかった人でも、ときどき、やさしく話しかけてくれた人もいた。わたしはそれを全部覚えている。ぶきっちょな返答しかできなかったけど、心の中では、感謝の言葉を何度も繰り返していた。
私は、こうやって、大人になり、働き始めてから、人を見た目で判断しなくなった。見た目なんて、なんの関係もない。もっと言うと、自分の幸せそのものにも、興味がなくなっていく。それは、おこがましいことだと思うようになる。本当に自分がつらいとき、それに気付いて、やさしい言葉をかけてくれる、そういう他の人の態度を、自分の生きる、めじるし、にして、ここまで来ただけじゃないかと、ふりかえって今思う。