動画というなまもの

私は、2ch のコメントをまず見ないし、さらに、コメントするなんて、やらないんですが、たまに、見るくらいはする。世の中の見聞を広めるくらいの、軽い気持ちで。
そうすると、やはり、この、マスコミュニケーション、というのは、なんなのか、というのは思わずに、いられない。あるコメントに、日本中の人が、つっこむ。しかし、別に、日本中の人「すべて」が、つっこんでいるわけじゃない。まあ、一つのアイテムに、数人でしょう。実際は。しかし、それを見ているのは、どれくらいか。長期的にみて、将来にわたってまでを含めるなら、どれくらいか、と考えると、相当な人に実際には、なっている、ということも多いと言えなくもない(この特徴は、twitter では、さらに激しく洗練されてますね)。
動画でも、ニコ動、やそれに類する所では、コメントを添付していて、逆に、その、つっこみが笑えたりもする。
もちろん、逆にそういったコメントが不快に思うケースも多いのだろうが、いずれにしろ、それなりの秩序というか、バランスが実現されている、その「自生的秩序」ってなんなんだろう、とは少し思う。
しかし、この、波は、「コンテンツそのもの」の方に、侵食してきているのが、さらなる特徴であろう。そのへんの、ニートが、アップした動画が、いろいろな人に、つつかれて、さかんに「消費」される(長野の帝王とかいうのが、ヨイトマケの唄、を歌っているのがあって、妙に、感心した)。市場において、「芸術」というカテゴリーで売り出される、なにがしか、と、こういった「ゴミ」は、こうやって、人々の「さらしもの」的な民主主義的評価システムの前では、「なんの区別もされない」。
ただ、少し気になった点もある。動画は、アップされた後、どんどん、消滅していくことだ。文字情報は、キャッシュで、かなりの期間は、閲覧可能だったりするが、動画はそれなりの、ディスク容量をとるので、そういうわけにもいかないのだろうか(詳しくは知らない)。もちろん、ダウンロードしている人もいなくはないでしょうし、絶対入手不可でもない、というところも、ネット社会の変なところだろうか。