トンデモ・コンサバ・ジャパン

なんだかよくわからないが、クール・ジャパン、なる用語が、ちまたを徘徊する。海外で、日本のカルチャーはクールだ、と。
それにひっかけて、日本を守りたい、面々。民主党政権になって、保守から革新に政権交代となり、圧力団体としての、支持政党が野に下ってしまった。
すると、なんだろうか。みょーに元気がない。
結局、自分たちの支持政党、自民党が、長い間、政権を維持していたから、彼らの「トンデモ」は、一定の発言権の下に、見逃されてきたが、現在、自民党は、国民の支持を失い、野党に甘んじている身分となった。
私がどういう連中について言及しているかは、新しい歴史教科書の会、の結党時の、賛同者メンバーが、一番イメージしやすい。ここに名前を連ねた方々というのは、大変に興味深い。
もちろん、高齢の方々ばかりで、私のような「若者」には、詳しくない人たちばかりなのだが、このメンバーは、かなり、そのときの日本の、そっち側をよく反映しているのではないだろうか。
しかし、私が以前指摘したように、反米保守と親米保守の対立のように、こういった方々の特徴は、人それぞれ言うことが違うことだ。実際、新しい歴史教科書の会、もいろいろ離合集散を繰り返しているようで、は今、どういった方々で構成されているのか、上記の、賛同者のその後の活動はどうなっているのか。皆目検討もつかない。
もう一つの特徴は、これも以前指摘したことだが、彼らは、自分たちの目的を達成してしまっている所から始めなければならなかったことだ。つまり、国体、つまり、天皇制である。今、日本には天皇がいて、その存在は、憲法によって保証されている。この事実は大きくて、言ってみれば、彼らにとって大事な「国体」は、憲法によって保証されているわけである。目的が最初から実現してるわけで、言ってみれば、もうやることがないわけである。
これが、戦後の、こっち系の人たちの姿である。
ただし、小さいところには、それなりに争点となるものがないわけではない。近年、小林よしのりは、さかんに、女系天皇に賛成の立場を主張しているようだが、そんなこと、わざわざ立場表明しなくていいんじゃないかと思わなくもないが、彼は、以前の、イラクレジスタンスに対してのように、言わずにはいられないようである。
そんな「個性的な」面々の中でも、「個性的な」トンデモといえば、中川八洋、ではないだろうか(平成の蓑田胸喜、といったところだろうか)。
この、強烈な、親米保守、は、まず、「近衛文麿コミュニストだった」というところから、彼の認識は始まる。なぜ、日本は、日米戦争を、延々と、戦うことになったのか。簡単である。
ソ連のスパイに、日本の中枢が、ハイジャックされてたから。ソ連は、ドイツ侵攻を受けて、なんとしてでも、日本のソ連への攻撃を避けたかった。そのために、

  • 日本に、中国と、どうやってもソ連を攻める余裕がないくらいに、果てしなく終わらない持久戦を止められなくさせていた。
  • 日本に、無謀なアメリカとの開戦を強いて、ソ連を攻める余力が残らないようにした。

これもそれも、全ては、ゾルゲとか尾崎秀実とか、あまりに優秀だった、ソ連のスパイの仕業だったんだそうですわー。
しかしねー。近衛文麿はたしかに、若い頃、社会主義の勉強をしていたでしょうし(そもそも、社会主義の勉強もしない政治家が、優秀なはずないんじゃねーの?)、彼こそ、日本の歴史を眺めても、国民的な人気のあった、ポピュリズム的独裁者であったんでしょうがね。
しかし、著者にとっては、そんなものにとどまらない。

東條英機とは、(近衛に比すれば過激さあはないが)もちろん反米・社会主義の左翼軍人だったけれど、(後略)。

陸軍の中枢はまた、共産主義者が大半を占めていたから当り前だが、彼らは「反日」であり、自由主義の米国と戦争することを、大義としていた。日本の国土や国民を守る気などさらさらなかった。

背後スターリンやベリアらの工作お受けていた朝日新聞も、「全面衝突」へと日本を誤導するスターリンの命令に忠実であったことを示している。

近衛文麿の戦争責任

近衛文麿の戦争責任

著者の見立てでは、2.26事件を始めとして、日本の陸軍は、コミュニストに支配されていた。北一輝大川周明、在野の右翼団体、すべからく、日本の軍隊は、コミュニスト集団だったことになる。
日本の軍隊もマスコミも、ソ連の下僕、だった、だってさ。日本は、コミュニストの巣窟だった。だから、恐れ多くも、「イギリス様」「アメリカ様」という、「自由の王様」に向かって、
不遜にも、
戦争を続けた。いやー、「親米」保守、ここに極まれり、ですね。著者にかかれば、米英という、「自由の御本尊」を不遜にも、傷ものにしようとした、(コミュニストの巣窟としての、)日本への、露骨な嫌悪感を隠さない。
彼のみつくろいでは、日本への戦後GHQの検閲は、「善政」そのもの、となる。反米的な、江藤淳のような仕事は、極左の振舞いとなる。
著者が「信仰」するのは、私有財産市場原理主義であり、米英系自由主義となっている。実際、露骨に著者は、「日本思想」「日本文化」を軽蔑する。

江戸時代に国学本居宣長らによって確立するが、それが漢学(儒学)から反転して直線的に誕生したことに似て、「国家主義」の衣を着る北一輝らの「右翼」は、ロシア共産党嫡流血族の親族であった。
戦前日本で日本共産党からの転向人士のうち、なりのものが直ちに「極右」的行動をとれたのは、「右翼」「極右」と共産党とは同族だからである。当時も、東京地方裁判所所長の平田勲などは、「右翼中の最右翼と称すべきものは日本共産党より転向したる一派なり」と正しく指摘している。
近衛文麿の戦争責任

日本の江戸思想は、どう見ても、コミュニズムにしか見えないのだろう。著者にとって重要なのは、実際の日本がどういった国だったか、ではなく、エドモンド・バーグからつらなる、イギリス保守思想が内包する、
貴族思想
であって、その「手段」として、傀儡(くぐつ)としての、国王(天皇家)の、家系図が重要になる。なぜなら、これこそ、イギリス保守思想が内包する、正統性の源泉をなすと見えるからなのだろう。実際に、この日本列島に、何千年と人々が、どのように生きてきたのか、は彼の関心ではなく、天皇家家系図おたく。ここから、男系正統性が証明できれば、あとは、どうでもいいわけだ。
そんな著者に言わせると、世紀の悪法こそ、「子ども手当」になる。なぜなら、これは「福祉」だからである。国家は、福祉をやってはならない。なぜなら、これこそ、コミュニズム、だからであり、そんなことをしたら、国のお金が無くなってしまう。

バジョットの『英国憲政論』は、(英国という文明社会にあってなお)民衆の多くに未開・原始人的な本性が宿ることを喝破している。

「下層階級や中流階級は、教養ある上層の「一万人」を標準にして見てみると、やはり無知で偏狭で、向上心をもっていない。......下層社会の人々の特徴は、現在の上層社会の人たちの生活よりは、むしろ(二千年前の未開の)古代人の生活に似ている」

バジョットは、おそらく鳩山/小沢/管トロイカが主導する民主党に警告しているのだろう、次のように論を進める。主語として「日本の民主党は」をつけて読んでほしい。

下層階級の利益を偏重して、国家全体の利益に矛盾するような問題を提起するならば、最大の害悪を将来にもたらすことになる」

選挙権を教養と財産ある上層階級に限定しないで、無教養な下層民にまで広げたことをショットは嘆息する。

「(一八六七年の選挙法改正によって)貧民にまで広汎に選挙権を与えることは、国家全体にとって大災難となるだろう。そればかりか、選挙権を新たに付与された下層階級の人々にもまた大災難が襲ってくるだろう」

なぜなら、その再分配の理論そのものが、いかに「正義」とか「公正」とかで美化し正当化しようとも、ブルジョアジーの財産を強奪するマルクス階級闘争イデオロギーから派生した、その亜流である以上、富裕層(ブルジョアジー)の所得を国家権力によって強奪し、低所得層(プロレタリアート)に分け与える行為にすぎない構造を基本とする。

大衆とは、アプリオリコミュニストですからね。だって、大衆って、エリートじゃない、という意味なのだろうから。もう、基本的に信用に足る存在ではないのだろう。
著者の究極の目標は、普通選挙を廃止して、「華族」を復活させたいのだろう。参議院を、完全世襲の、華族院ととりかえる、といったところだろうか。福祉を
やめて
その分の減税を行えば、家庭に金銭的な余裕が生まれるのだから、「子供が今よりもっと生まれるはずだ」。そーですか。

保守主義」とは、短く定義すれば、全体主義アナーキズム極左思想を祖国から排除すべく、剣を抜く戦闘的イデオロギーである。

自民党の「保守主義知らず」は、コーク/バーク/ハミルトン/ハイエクの四名に代表される保守主義の哲人の系譜も知らないこと、およびこの四名についてそのあわりの知見すらゼロであること、の二つの事実にあらわれている。

「反米」は、「左翼」「極左翼」に固有な特性である。この意味で、「反米」を振り回す「民族系」の本籍は「極左」である。「日の丸」と「天皇」を戴くことだけで、彼らを「保守」とみなしては不正確だし、危険である。

民主党大不況(カタストロフィ)―ハイパー・インフレと大増税の到来

保守とは、赤狩りをする人(アナーキストも左翼ですから)、という定義ねえ。じゃあ、コミュニズムを都合よく定義すれば、だれだって、「敵」にできるわけだ。そもそも、保守主義の定義をしようってときに、反コミュニズム、って定義って、ようするに、「コミュニズム」の定義が先ってことでしょう。
結局、いろいろ、ぐだぐだ書いてるんだけど、ここ何世紀かをふりかえっても、想像的なアイデアを提供してきたのは、コミュニズム系の人たちで、自称コンサバは、その一つ一つに文句言ってただけなんでしょ。もうちょっと、具体的に何をやったかで考えませんかね?
しかし、なんと言いますか。自らが「尊敬する思想家」を並べたら、みんな、米英のエリートですか。日本人の名前が一人も出てきませんね。もう、日本人をやめて、米英の中の人になるってどうですかね。そっちの方が理論的にすっきりしませんかね。イギリス女王に仕えてみてはどうですかね(吉田松蔭にしても、外来思想に対して、ナイーヴに、自国の特殊性を対置しちゃうんですよね。そんな態度が、外に通用すると本気で思ってるのか...。無意識に甘えてんでしょうが...)。
それしてもこの、「親米」という気持ち悪さはなんなのだろうか。アメリカ、イギリス、尻舐め右翼、ってなんだかなー。
しかし、こういう中間管理職的な人に限って、切れると暴走が止まらない。

小森の国語(日本語)廃絶論とは、日本人絶滅の意図から生まれているようだが、小森陽一が数千万人を殺した「自国民大量殺戮の雄」スターリンの生まれ変わりだからだろう。小森が、日本人に対して、このような殺戮宣言を出した以上、日本政府は国民の生命を守るべく小森陽一に対して、鎖で何重にも縛って精神病院に収監する措置をとるべきである。
民主党大不況(カタストロフィ)―ハイパー・インフレと大増税の到来

小森さんが言ってるのは、日本語に限らず、言語というのは、そんな輪郭のはっきりしてるものじゃないだろう、くらいの話なんでしょう。ところが、それがこのエキセントリック・オッサンにかかると、牢屋行きだそうだ(しかし、こんな強迫めいたことを、2chネトウヨが書いたら、ケーサツにつかまりませんかね)。
こんな調子で、全国で、講演会やってるんでしょうか。いやはや。