湯浅さん書店

某本屋で、やってるわけだが、それに先立ち、ust で、佐高信さんとの対談が公開されている。

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基本的に、私は、湯浅さんという方を知らないし、いい読者ではない。
wiki などを見て、日本思想史の学者になろうと、大学院で勉強されていた方ということで、少しこの書棚は納得した(自分より、何年か年上くらいという、年齢の近さもあると思う)。
彼のこだわる、
貧困
の問題、とは、なんなのだろうか。私は、手元に、彼の著作もないので、ここで検討してみるつもりもないわけだが、私もここのところ、助けたい、だとか、守りたいだとか、生きたいだとか、ちょっとこだわってきたところもあるので、ust を見ながら、そんなことを思っていた。
彼の言う貧困は、システムなのだろうか、それとも、その人にとっての実感なのだろうか。貧困とは、スラムに生きることを言うのだろうか。
おそらくは、別の、NGOの方たち(たとえば、以前、ハウジングプアという本を紹介したが、その著者の方や、自殺対策の清水さんや)も含めてきっと感覚は近くあられていて、具体的に、この都会で、仕事がなかったり、住む所がなったり、お金がなかったり、多額の借金があったり、そういった状態で、さ迷っている人々と関係する中からの実感なのだろう。
しかし、他方で、その枠組み自体は、(よくもわるくも)簡単に「広がる」。一見、普通の生活をしている人たちこそ、精神的な追い詰められ方は深刻で、簡単に、その「貧困カテゴリー」にどんどん、人が入ってくるように「見える」。
おそらく、その認識は大事で、今の日本の、不況や、若者が学校を卒業しても、会社務めをやっていない(いけない)現状の増大は、実感として、こういった「貧困カテゴリー」の重要さを増していっているということだろう。
いわゆる、セーフティネットが作りたいのだろうか。もしそうなら、相手は「そのネットにかかってくる人」ということになるのだろうか。それとも、もっと広く、この日本の「思想的な」煮詰り感、袋小路をブレークスルーするような認識を、提示されようとされているのだろうか。
たとえば、彼は、中野重治全集や大江健三郎全集を紹介しているのだが(そういえば、桐野夏生、なんてのも紹介されてた)、彼がされているようなNGOの活動と、今までの、日本の左翼運動や、市民派運動と、どのような「連続性」があるのだろうか。
なんとなく、そんな「いらだち」を思って、その放送を聞いていたのは、やはり、最近、
浅野いにおの「素晴らしい世界」
を読んでいたからなのかもいれない...。結局、例えば、この物語の描く世界と、こういった方々の
知識人的な
認識とが、どう「つながる」のかが、どうもクリアになってこない感じといえばいいのだろうか...。(そのあたりは、紹介されている書籍を眺めるところから始めましょうか。)