太田越知明『きだみのる』

きだみのる、といって、すぐに誰だ分かる人というのはどれだけいるのか。
といっても、私もほとんど知らないが(今回は、あくまで、その一側面の紹介であることを、ご了承を)。
掲題の本は、その、きだみのる、の伝記と言っていい。この方の経歴については、この本の最後に年譜があるのでそれを見てもらえばいいが、ずいぶんと、波瀾万丈な生き方をしている。
明治生まれの彼が、慶応大の学生の頃、アテネ・フランセ創始者の、コットの下で仕事をするようになり、40歳で、フランス留学し、マルセル・モースの下で学び、パリ大学中退後の、モロッコ旅行をまとめたものとして、昭和19年に『モロッコ紀行』という本を出す。
この本の前半は、戦後絶版とされた、その『モロッコ紀行』という本を巡るものとなる。著者はこの、モロッコを旅行して、「いい植民地主義とはなにか」を考察する。モロッコは、ごぞんじのように、スペインの南の、北アフリカに位置し、フランスの植民地であった。著者は、そこにおいて、日本の植民地政策との比較を行う。その延長において、日本に「いい植民地主義」を提案しようとするのだが、
はたして、優れた植民地統治などというものが存在するのだろうか?
それは、戦後、ことごとく植民地といわれていたものが、なくなっていった歴史を考えると、いっそう虚しくさえある。
(もちろん、ベルベル人は、フランスの植民地化に抵抗した。大規模なパルチザンの、リフの乱、を代表として...。)
一般的なフランス植民地政策の特徴を列挙した後、さらに、著者の筆は進む。

彼はある土民部事務所で書庫を見た。そこに二、三千冊の本があった。その中のベルベル族の習慣や文学についての本のほとんどは、将校や軍医が書いたものだった。彼らは言う。

これは当然のことです。ベルベル族に一番日常的に接してゐるのは我々軍人です。彼等の思考、感情、生活上の習慣や伝統を会得しなければ保護も指導も対象を失ひますからね。その上土着民が良民になるか反抗的になるかに依つて一番直接に影響を受けるのは我々軍です。自衛上からも我々は文官よりも土着民の文化をもつと勉強することになります。これが自分のためにもなるし、軍のためにもなるのですよ。

スムーズな統治のためには理解が必要だと言うのである。そのひとつとして、彼らには現地語の習得が求められていた。この将校集団を育成したリオテー自身が、現地語を話し、モロッコの民族衣裳を着用する軍人だったらしい。

つまり、著者は、どう考えても、日本の植民地政策が真似できっこないことまで、この本で指摘し始める。

ロッコの軍官地区では、本国資本の活動が規制されているというのである。内陸乾燥地帯でバスに乗り合わせた画家は海岸地帯を指して、

あつちは巴里の紙幣の匂ひで満ちていゐます。産業地区でパリの命令下にあるのです。例へば燐鉱石ですよ。あれを買ふには巴里に電報を打つて決定して貰はねばならんのです。中央事務所は巴里で、株主は例の二百家族のうちの十何人かのユダヤ閥ですから。モロッコ銀行も同じです。モロッコ一般投資会社もモロッコ商業銀行・モロッコ商会も、モロッコ電力会社も水道・瓦斯会社もフランス銀行・パリ連合銀行・巴里オランダ銀行・マレ銀行が支配してゐるのです。

と言う。官吏管政区は本国巨大金融資本によって支配されていとるいうのだ。「私は軍人がモロッコを守つてゐてくれるのに感謝してゐるのです。資本家たちより土民の味方ですから」
これは根底に経済危機を抱えて資源収奪的な植民地統治をしていた日本との、埋められない溝を示す言葉でもあった。

ここまでやって、やっと、先進国の植民地統治、だったわけである。しかし、そこまでやっても、戦後、植民地統治は、地球上から消滅していく。ということは、どういうことか。きだ、の本音がそうだったように、優れた植民地統治、などあるわけない、ということなわけだ。
(しかし、日本は植民地をもちながら、日本自体が植民地となる可能性と表裏にあったわけである...。植民地化が、民族の矜持、自尊心をうちこわす側面がありながら、他方において、科学文明の恩恵をもたらしてもいた...。)
(そういった、戦中のまだ、渦中の中で、こういった原理的に考えていた日本人がいた、ということなんですね。だから、戦後、GHQの発禁処分とともに、戦中の「すべて」を抹殺したところがあって、それが日本の文化のどこか、バランスの悪さを現しているようにも思える。)
著者は、自らのホメロス研究から、日本の神々が、古代ギリシアの神々に似ていることを指摘したうえで、以下に注目する。

あるころきだは何人かの外国人に、日本の文化には大変野蛮なものが潜んでいる、その典型例がフビライの使者三人を斬った北条時宗の行為であると聞かされる。そこできだは、これほどしばしば指摘されるのであれば、「欧州の集団表象に何かがあるのではないか」と思いはじめ、ま逆に日本では、この殺害事件を立派なこととしているのだから、これは日本文化の中にある認識方法を通して捉えねばならないのではないかとして「使者」とは何かに迫っていく。

日本には国家神より上級のカミは存在しない。フビライの使者は、国家神を超えた保護神がなかったために斬られた。しかしたとえばアテネの市民にとっては、国家神アテネの上に、他の国家神をも同列に従えて君臨するゼウスがいる。国家レベルの決めごとであっても、絶対とは言えないのである。

このことはギリシャ民族を国際的により多く考え深くし、反対に日本では国内だけに考えの環を制限することになる。国際的なセンスがないことは縷々右或は左の思想の純化を極端で濁らせる。

日本の神において、最高神というか、その序列が曖昧であり、とりあえず、豊穣神が最高ということになると、飢饉になると、もう、国の崩壊になっちゃうわけですよね。だから、なんとしても、飢饉を避けるための、穢とか祓いとか、それが「全て」になる。でも、実際の「世界」においては、むしろ、そういったことは、外交問題だと言える。ある地域が飢饉になることは、どうしても避けられない。そうしたとき、重要なのが外交なのだろう。
そう考えると、古代ギリシア最高神ゼウスが、乞食や伝令者の保護までを、自らの役割としていたことは、興味深いわけですね。
さて、この本の後半は、きだ、が戦中疎開していた、東京の周辺の田舎の村での生活を描いた、

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)

気違い部落周游紀行 (冨山房百科文庫 31)

を中心とした部落論となる。この本は以前読んだのだが、あまり知識もなく、なんとなく読み出した関係もあって、なんの感想もなかった。ただ、みょうな読後感はあった。日本の農村を描きながら、この乾いた文体、やたらと喜劇的なコミカルな描写は、後から考えると、これだけ難しい問題を描いているのには、ちょっと変な感じには思えた。
それを、彼がインテリだから、というのはむしろ、彼自身が読者にそう思わせようとした、という意味でもあるのだろう。(時は、戦争の終盤、なにかを書くことそのものが、犯罪に直結していたわけである。)
日本の田舎の村社会が、どういったものであったのか。それは今もあるとも言えるい、もう既になくなったとも言える。村的なものとは、一体、なんだったのか。こういった問題に、「他者」の視点によって、その「中」からの観察によって描いた、ものとしては、非常に貴重であり、興味深い内容となっている。
きだは、一般に村と呼ばれている単位より小さい、「部落」と彼が呼ぶ単位こそ、その実体であると言う。だいたい、10〜15家族で、人数で50〜80人。まず、その中で、親方(または、仲介人)、と呼ばれる人が存在する。その人は、主に、「外」との折衝をとりしきる。
きだみのる、が、この部落に受け入れられていく過程での、一番のきっかけは、彼らの「闇博打」に参加するようになってなんですね、実際にお金を賭けるような。つまり、もちろん、当時の法律でも犯罪でしょう。しかし、そういう「国家犯罪」を共有するわけですね。そうしたときに、簡単に、
外部の人間(警察など)に密告する人間
村八分になるわけですね。

部落は日本社会の中で自然発生的な、原初的、基礎的な集団である。一度出来上がったら、それは家族にすら先行する。それが現在の状態だ。部落は村や家族と違い部落外しの制裁力を持ち、この制裁は暗黙のうちに部落人が承認し、これに該当する犯罪は、自火、放火、殺人、傷害、窃盗等が部落人を対象として行われた場合、も一つは名誉に対するコードで、部落の恥を世間にさらした場合である。即ち一般的に云えば部落の生存、安危に関係する犯罪の場合だ。部落外しは今日では全家族的でなく、犯行者個人だけに適用される。

こうやってみると、そのムラ的システムの「中間集団」的な特徴が分かりますね。彼ら村にはムラのルールがあり、「彼らの中では」こちらが、国家のルールに優先される。
では、親方の役割とはどういうものか。

部落では青年期までの小さな盗み、暴行などは警察沙汰にせず、親方が処理してしまう。たとえば少年の窃盗があったとき、部落から縄つきを出しては部落の恥だ、部落の恥は親方の大きな恥だとして事件を揉み消し、金を返済させ、少年を一時、村の後家の家に預けた。

しかし、親方の独裁ではない。親方はあくまで、外との関係を媒介する、インテリのところがあって、内部の意志決定はかなり、「民主的」だとも言える。

原則としては全員会議で、欠席者は不参金を払わねばならない。決議は一般に満場一致の形を取り、部落の家族全体を縛り、従って部落は一本になって動く。多数決は仲間割れを誘うので、部落会では望まれない。

この本にも書いてあるが、私にも、この「村部落」集団が、実に、「自生的な」集団であることが、実感されるわけですね。
そして、この「形式」性ですね。つくづく思いますけど、この「ムラ」は、むしろ、
あらゆる
人間集団の特徴になっていないだろうか、とも思うわけです。もっと、こういったもののその「形式」性の研究が求められているのではないだろうか。
この集団は、だいたい、同じような職業で生計を立てている。近くの畑での農業か、近くの森での林業。それほど、遠い所に行くことはないところに、濃密な人間関係が形成される過程が見えてくる。
ひるがえって、現在の人々は、それほど、土地に縛られていない。交通機関を利用して、ベットタウンから街の外に働きにでる。上記のようなムラ関係が、希薄になるのは当然のようにも思える。
(現在、「新しい公共」が民主党によって主張されている中で、そもそも、日本の「共同体」というものがどういったものであったのかを考えておくことは、意味があるように思う。)
ちょっと早足でここまできたが、きだみのる、のように、戦中の日本のインテリの中には、それなりに、彼らの同時代としての、透徹した認識があったのではないか、とは思うわけですね。あの時代の全否定ではなく、やっぱりその中にも、徹底的に考えていた人がいるのではないか。現代に通じる認識を持っていた人がいるのではないか。そういった連続性を認識することなくして、そういったものを無視して、戦後の今を考えることは出来ないんだろうとは思う。
(そうでなければ、また同じことを繰り返すことを意味するのだろう。)

きだみのる―自由になるためのメソッド

きだみのる―自由になるためのメソッド