伏魔殿

原発について書くことは、いいかげん、自分には、荷の重い話だ。専門的はことは分からないし、さすがに、ここからは、専門家の仕事であろう。
そもそも、なぜ自分は、今回のこの、原発の事故について書くことを強いられたのだろう。
それは、なぜ、原発の報道のどれをみても、欲求不満にさせられるのか、に関係があるように思える(それは今も変わっていない)。
この最初はなんだったのだろう。間違いなく、「千年に一度」がどーのこーのと、東電の対応を
あの時点で
手放しで礼賛した、経団連の、はしゃぎっぷり、であったわけだ(これが、全ての顰蹙の始まりだった)。
多くの人が思ったのではないだろうか。
あまりに、変だろう。
これはちょっとwww
「日本はどっかおかしい」と、だれでも思ったのではないか。
戦前から続く、なにか。
伏魔殿
が、今も日本を牛耳っているんじゃないかwww
犯罪社会学者として、私も何冊か、この方の本を読ませてもらった(videonews.com にも出演していた)、河合幹雄さんが、以下のように書いている。

東京電力が、今、日本一の悪者にされている。批判の中には、真っ当なものから出鱈目に近いものまであることは当然として、私が指摘したいことは、このままなら東京電力は、びくともしないということである。
なにしろ第二次大戦の責任者が平気で居座った国である。このままだと、それと同じになる。しかし、居座りには理由があるはずである。経団連会長が、がむしゃらに東電を支えようとするのはなぜか。これを理解せずして、東電を倒すべきだとしても倒せない。
そもそも電力会社とは何者か。私にはひとつの大きな仮説がある。首相も、官僚もコロコロ代わる欠点を補い、日本の長期的な国家戦略を担う者達がどこかにいなければ、日本は、これほど繁栄していない。その中心グループの一翼を担うのが電力会社だというものである。
電力会社が、地域ブロックごとの財界の中心であり、全国財界の中心でもあることは、周知されている。それ以上に日本の中心だということである。
戦争に敗れて、どうすべきか当時の人々は考えたであろう。その答えは、エネルギー安全保障であったろう。対応策は二つ、石油の確保と、石油以外のエネルギーの確保である。石油の確保は、田中清玄が有名であるが、代替エネルギーは誰が担当したのか。
ここからは、私の知識に限界がくる。戦後の日本のあり方に大きな貢献をした白州次郎が、通産省の生みの親であり、東北電力会長であったことは、興味深い。白州が作ったのは水力発電所であったが、国家戦略としては、その延長線上に原発があるはずである。
東北電力通産省ラインが、安全保障の視点から、日本の長期戦略を練ってきたのではという可能性を感じる。
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私はどちらかと言えば、こういった議論に興味があった(しかし、こういった議論は「驚くべきほどに」なかった。なぜなのだろう? そこまでに、経団連を dis るのはタブーなのか? 個人的に評価もしていたジャーナリストたちの何人かが、強者にひよる「だけにしか見えない」姿は、「経済の論理」では当然だと分かっていても、いざ目の前で見せられると、自分が信頼したいと思っていただけに、つらいものだ)。日本のアンダーグラウンドも含めて、こういった日本の権力構造、
日本の意志決定の「カラクリ」
を、描いてくれるものを求めていたわけだ。経団連の言っていることは、今も、日本のエネルギー政策の
基本線
微塵も変える「必要がない」ということなのだろう。もちろん、多少は、災害に強い方向へシフトするだろうが、それ以外は微塵も動かすことは、何人(なんぴと)たりとも許されず。
ここがポイントだ。
たとえば、電力のスマート・グリット化について、なぜ日本では議論されないのだろう(今回は、このスマート・グリットを最大限に評価した場合の議論を展開してみている)。
videonews.com で飯田哲也さんが何度も強調しているのは、以下の二つの違いである。

  • 送電
  • 発電

この二つを、一つの会社が一括管理していることが、日本の電力のスマート・グリット化をはばんでいるのは間違いない(まるで、新聞とテレビが一緒の会社になっている、日本の大マスコミのようだ)。
日本の「意志決定」と、この日本の大電力会社「独占」状態とがリンクしていると考えること。つまり、ここに、
日本の屋台骨
があると考えるということは、つまりは、日本の「スマート・グリット化」とは、
日本の「内戦」
を意味していないだろうか。今、リビアは血で血を洗う泥沼の殺し合いを「国民同士」で行っているが、(同様とまでは言わないが)ある種、アナロジカルな意味で、こういった様相を呈すのかもしれない(検察を含めて、原発推進に反対する勢力が、かたっぱしから潰されてきた、3・11以前の日本を考えれば、そんな想像も、遠からずといったところだろうか)。
たとえば、今週の週刊文春で、立花隆さんが以下のようなことを言っている。

原子力の世界ではずいぶん前から安全性の高い小型原発の開発を目指す人たちがいました。私は二十年以上前に東海村で取材しましたが、小型で絶対安全な原発を作り「各家庭に一台ずつホーム原発を」が理想だという人たちがいた。巨大電力会社が巨大原発で発電を独占し安全軽視の儲け主義に走ったところから、すべてが狂いだしたと。
福島原発では東芝製の発電機が使われているので、東芝も批判の的になっていますが、彼らが開発している次世代型の小型原発は「絶対安全」の評価を得て、実用化も近いといわれています。

私は、上の世代による「原発しょうがない」の大合唱が、なさけなくてしょうがない。つまり、こいつらは、「自分には原発を代替できるエネルギーを生み出せない」と言っているにすぎない。なんなのその、文化系マインド。
今からでも科学を勉強して、なんとかしようと思わないのかな。なにその他人頼り。
(たとえば、こんなふうに考えてみよう。原発がなぜ問題なのか。
まず第一に大きすぎるから、と考えよう。壊れたときに与える被害のまきちらし方が、地球の大気圏内を大気圏の外並みにする可能性があるくらいに、と。だとするなら、「小型化」がまず目指されるべき、となるだろう。できるだけ「マイクロ」にして、火事が起きにくく、火消しが容易にする(核兵器の拡散とのジレンマがあるかもしれませんが)。
第二の問題が、放射性廃棄物だ。これは、半永久的に人々は管理しなければならない。それでは、あまりに、これからの世代の人たちは、かわいそうじゃないか。しかし、こう考えるのである。あまりに「マイクロ」にした、廃棄物なら、もしかしたら、ロケットで、宇宙に「捨てる」ことが可能なのかもしれない。もちろん、それなりの「場所」に置かないと、引力でまた、地球に戻ってきちゃいますがw。)
たとえば、こういう視点で考えると、上記の立花さんの言及は、非常に重要なポイントを指摘していると思う。大事なことは、

  • 発電

の「自由化」の是非なわけだ。どう考えても、発電を一企業が独占し続けることは、ただでさえ、遠くから送られると「逓減」し、もったいないわけだ。
近年の電気自動車の話もあるが、今までのガソリンのように、エネルギーが「無尽蔵」であることを前提にした社会システムの未来イメージには、どう考えても、無理があって、
有限のもの
は、有限の範囲で、私たち自身がコントロールして消費することが「当然」の社会であるべきだろう。
エネルギーが必要だ。
だったら、まずやることは、「自分でそのエネルギーを生み出す」。つまり、自家発電。次に、「それでも足りない」となったら、「買う」のだ。もちろん、「余った」ら、「売る」。
これは、個人も企業も同じ。
じゃあ、電力会社は、どうあるべきか。

  • 送電会社側

は、この各個人が「上記のアイデア」を実現するための、スマート・グリット的インフラを実現する、となるだろう。

  • 発電会社側

は、あくまでも、一つの「主体」であることに、徹するべきだ。多くの自家発電の中の一つ。ただし、大規模な施設である方が、効率的であることは間違いないわけだから、ある程度の公共的な位置付けを国のバックアップのもと、維持する需要がなくなることはない。
私には、これの何が悪いのかが分からない(まさに、平成の刀刈り禁止令)。各「家電」会社は、「発電家電」を一家に一台売る。いい機会じゃないか。計画停電でお金持ちの方々の需要は高まってるはずだ(一体どれだけの経済効果だろう)。
(たとえば、近所のお金持ちの大きな家の人は、こういった災害時には、自分のところで発電できる電気を、近所の貧しいご家庭に「おすそわけ」すればいい。そうすれば、近隣との信頼もかちえて、近所付き合いもうまくいくだろう。)
放射性物質にしてもそうだ。一家に一台、あらゆる放射性物質を調べられる、ガイガーカウンターを売ればいい(一体どれだけの経済効果だろう)。
隠すから疑心暗鬼が生まれるのであるなら、だったら逆に、神経質なまでに、徹底的に調べ尽してしまえばいい。すべてを分明にして、各自が自ら
コントロール
する。そこから先は、「自分で決めればいい」。
(今回、大変に高名な言論人の方々が、どこどこの専門家の言うことを聞いて「安心した」という表現をされるのを、よく見かけた。しかし、人は基本的に他人を疑うものであり、だれだれの意見「だから」安心する、というのは順番として正しくない。多くの人はむしろ、信頼していた人がそういう表現を使われることに不安になるわけで、たとえば、ジャーナリストならこれを、「裏がとれた」から安心する、というふうに表現するだろう。)
そういった世界に先がけた「ハイテク国民」になることだけが、私たち日本人がこの世界の中の、この日本で生きていくことを可能にする唯一の道なのかもしれない...。