専門家の専門化の時代

いったい、世の中に専門化なるものは、いるのだろうか? 私はそれは、非常に疑わしいと思っている。つまり、自分を「専門化」だと、自称している連中の、ばけの皮を剥がしてやりたいと思っている。
まず、専門家だというなら、どんな論文を書いたのかを提出させるべきだろう。そして、その論文をどこの学術雑誌が、だれをレフリーにして、裁定したのかを確認する必要があるだろう。
もちろん、言うまでもなく、一般普及を目的としたような、新書などの、啓蒙書はNGにきまっている。だって、だれからもレフリーされてないわけだろう。
そこで、やっと、この人は、どういった分野の、どういった研究をその学会で、評価された経歴があるかが、はっきりする。
しかし、そうなると困ったことになる。その人は、あくまで、その提出された論文の専門家であって、その他のことを、研究されたわけではない、となる。つまり、その他のことについて、分かったようなこを言っているとしたら、たいていは、あてずっぽうの、思い付きにすぎない、ということだ。
なんとなく、この辺りが、正解なんだろうな。
と、直観で、分かったようなことを口走る。すべてが、そんな調子だから、間違いを指摘されても、指摘されたことにすら、気付かない。そもそも、なんにも分かってないのだから。分かりたかったら、一から勉強し直して、論文を書いて、レフリーのジャッジによって、認められたら、やっとその人は「そのこと」の専門家と言える。
...なんとも「狭い」世界のようだ。