ジョン・グレイ『ユートピア政治の終焉』

掲題の著者のような、人が一般にどのように受け取られているのかを私は知らない。知らないんですけど、この掲題の本のようなものを、「哲学」と呼ぶべきなんじゃないか、と思うんですけどね。
どうも日本の哲学的な言論をする人たちって、いわゆる「哲学研究者」なんですよね。もっと言えば、哲学オタク。哲学とかいう以前に、そもそも歴史を学んでいない。自分は自分の専門分野以外のことは知らない、とか平気で答えちゃうような、ようするに、あなたはなにも知らないでしゃべってるのね、という感じだろうか。

グレイは、とりわけ、自由主義の政治哲学者、もしくは、政治思想家としての地位を確立する一方で、その思想的立場からさまざまな政治評論的な著作も書き続ける数少ない「公共的知識人」として名高い。

松野弘「監訳者あとがき ユートピア思想の誕生と蘇生」

掲題の著者については、例えば、以前紹介した、大澤真幸さんの『<世界史>の哲学』という本の冒頭でとりあげられ、
対決
していることが興味深かった。大澤さんのこの「世界史」(まだ、連載中で完結していないようだが)は、まさに、ヘーゲル的な独特の思想的世界史であるわけだし、この連載と平行する形であらわれた、柄谷さんの『世界史の構造』も、また別の形での、ヘーゲル的な独特の思想的世界史であったわけだが、なぜ、こういった「普遍的」な議論にとって、
歴史「的」
な考察が彼らにとって不可欠になったのかは、それを例えば、大澤さんの掲題の著者への「応答」と考えたとき、興味深くなるわけである。
(そういった意味で、いわゆる、ゼロ年代セカイ系などと呼ばれているサブカル系の人たちがやっていることも、なにか、トンチンカンなことをやっているという印象を、受けなくはない。)
近年の、ジャスミン革命と呼ばれているような現象が、ITテクノロジーの延長のSNSの拡大とリンクしていたことは、興味深い現象であったし、もしかしたら、こういった方向には、なにか今までとは違う
世界
をイメージできるのかもしれないが、しかし、そういったことが、

  • あらゆる諸矛盾を解決する

と考えることは、もう一つの「ユートピア」思想であろう。スピノザではないが、結局は、「今」の分析から私たちは未来を、かすかに皮膚感覚できる、くらいのイメージの方が「現実」主義的と思える。
掲題の著者は、現代のさまざまな問題の根底に、ヨーロッパ思想由来の「ユートピア」思想に源流を見い出す。

ときに千年王国説信奉者(chiliats)と呼ばれる----”chiliad”とは千個の部分を含むものが総称であり、キリスト教千年王国主義者はイエスが地上に舞い戻り、千年の間、新王国で地上を支配するであろうと信じている----千年王国主義者は歴史の黙示録的味方に固守している。俗には、「黙示録的」(apocalyptic)とは、破滅的事件のことを意味ているが、聖書の言葉ではそれは除幕に当たるギリシア語に由来している----”apocalypse”とは天国で記された秘蹟が最期に顕わになるような啓示のことであり、選ばれし者にとって破滅ではなく、救済を意味している。終末論(eschatology)とは、最期の事柄やこの世界の終わりに関する教義のことである(ギリシア語で”eschatos”は「最後」とは、「最果て」を意味している)。すでに示唆しておいたように、初期キリスト教は終末論的宗派であった。イエスと彼の最初の弟子が信じていたのは、新しい完全な世界が生じるべく、この世界が差し迫った破滅に運命づけられているということであった。終末論がこうした肯定的性質を必ずしも帯びるとは限らない----いくつかの多神教の伝統においては、この世界の終わりは神々の死と最後の惨事を意味するものとみなされている。ナチスキリスト教の悪魔論を採用していたのは事実であるが、彼らのイデオロギーを構成していたのはこの種の否定的終末論である。けれども、中世の千年王国運動と世俗の千年王国運動を焚きつけたのは、黙示録的信念の否定的ヴァージョンであった。そうした運動は、この世界の悪が永遠に消滅する終末を待ちわびていたのである(”millenarianism”と”millennialism”は時に区別されもする。すなわち、前者がキリストの文字通りの帰還を信じるのに対して、後者はある種の聖なる王国の出現を待望するという区別である。しかし、こうした言葉の使い方に一貫したパターンがあるわけではないので、特別に指示する箇所を除いて、私は両者を置換可能なものとして用いることにする)。

ここで著者が示唆していることは、一つの観念論だと言えるだろう。人々は、ある大きな目的(ユートピア)の達成を目指すとき、さまざまな現実的な諸条件を
たいしたことはない
と過少評価する。ある大義が、瑣末な問題の価値を根こそぎ「無」にするような、そういった
観念(キメラ)
が存在する、と思いこんで、突き進んでしまう、そういった「ロマンティシズム」だと言えるでしょう。

  • 「この世界の悪が永遠に消滅する終末」

という観念は非常に強いように思う。世界の終末と、ユートピアは矛盾しない。現在のさまざまな諸問題が「解決」されるなら、それは「ユートピア」であって、それは、そういった諸問題の「原因」である悪が滅びる(終末)結果として、善だけが存在する(ユートピア)世界が未来において実現される、という形になる。
しかし、そういった未来を夢想することは、「今ここ」において、反動的ではないだろうか。なぜなら、そういった
終末=ユートピア
は「目的」と解釈され、「そのため」なら、「今ここ」の諸矛盾は
たいしたことではない
という現在の「複雑」な諸関係への「軽視」につながりやすいからである。
もちろん、著者の指摘する「ユートピアディストピア」の代表は、ナチス・ドイツであり、旧共産圏における、全体主義である。しかし、掲題の本の特徴は、そういった、ありきたりのナチ批判、左翼批判にとどまらない、ところにある。
つまり、著者は歴史における、「あらゆる」ユートピア思想の臭いをかぎとり、ここにおいて、糾弾する。
たとえばそれは、現代の社会を席巻している、西側。つまり、自由主義であり、民主主義についても言える。

八〇年代に右寄りのシンクタンクに浸透した「もう二度と労働党の政権はない」という粗野なスローガンの実現のために、彼女はイギリスにおける社会主義を打ち壊すことに熱中した。しかし、むしろ彼女は保守党を崩壊の縁に立たせ、イギリスにおける政治的プロジェクトとしての保守主義を破壊させてしまったのである。「国家の境界を縮小させよう」という目的で彼女がイギリスの生活のすべての場所に市場取引を押し付けようとしたとき、国家はかつてなく強大となった。ちょうど、初期ヴィクトリア時代のイギリスにおいて自由市場の確立に大規模な国家権力の行使が必要とされたように、二〇世紀末に向かって、その復興が部分的に行われた。ヴィクトリア期の自由放任(レッセ・フェール)は、その時まで共有地であったものを取り囲み、無主地に対して私的所有権を付与するといった一連の議会による立法によって企てられたものであり、大規模な強制を伴うものであった。その変化は、きわめて中央集権的な政府によってのみ生じたのであったし、このことはサッチャーの計画にも当てはまる。自由市場を再創造しようという試みがきわめて侵略的な国家を生み出してしまうことは不可避なのである。
サッチャーの成功の代償となったのは社会であり、多くの点で彼女の望んだものと正反対の結果となった。自由市場にとっての足かせを取り除くという彼女の目的は達成可能なものであり、それは目に見えて実現された。しかし、国家を縮小しながら市場を開放させられるという信念、さらには、ブルジョア的価値の復興という彼女の企ては夢想に過ぎなかった。

ハイエクは、自由市場が自然発生的に生まれる、と信じてもいた。無数の人間活動の意図されざる帰結として出現するのであるから、市場の存在は人間による設計の結果ではない。彼における最も完成された叙述である『自由の条件』(The Constitution of Liberty)において、ハイエクは「社会の諸制度は合理的な設計を具現したものであるとするフランス的な理念を拒絶した」がゆえに、「イギリスの哲学者」を賞賛している。ハイエクは「彼ら[イギリスの哲学者]は諸制度の起源を計略や設計のなかにではなく、成功の積み重ねのなかにみている」のだと述べている。自由市場出現の説明として、これは真実とはまったく正反対のものである。自由放任(レッセ・フェール)が中央集権的な計画の結果として生まれたと述べても僅かばかり誇張したに過ぎない。一九世紀中庸のイギイスにおける自由市場は、国家権力が人工的につくり出したものなのである。同じことが二〇世紀についても当てはまる。市場の再発明は、労働組合や(あまり理解されていないのだが)独占企業体といった自然発生的に進化した諸制度を妨げることを意味した。市場の再発明は、非常に中央集権的な国家によってのみなされえたのである。

多くの点で、自由市場に対するハイエクの見解はマルクスのそれと類似している。マルクスと同じく、ハイエクは制限なき市場について、単にこれまでに存在した最も生産的な経済システムとしてだけではなく、最も革命的なものである、考えていた。いったん出現すると、資本主義の浸透は押しとどめることができなくなり、何らかの惨事によって途絶でもしない限り、普遍的なものとなる運命にある。しかし、資本主義の進展はブルジョアジーの生活を転覆させるものだ、とマルクスが理解していた一方で、ハイエクはそうは考えなかった。ハイエクは、市場社会が伝統に基礎づけられていることを信じており、以下のように書いている。「逆説的にみえるが、成功した自由社会は常に大部分が伝統と結びついた社会であろう」。彼は、自由市場が、過去において資本主義を支えたブルジョアジーの伝統を滅亡させるように働くということに気づかなかったのである。

こういった視点での告発が、そもそも、イギリス内部から発せられているところに注意がいる。ハイエクが夢見る「自生的秩序」の典型例としての「イギリス・ユートピア」は、そもそも、そんなものは存在したことは一度もない。なにか悪い夢でも見ているわけである。
サッチャーが行ったことは、現在の日本のTPPとまったく同型であろう。ハイエクの言っていることは、マルクスそのものであるが、マルクスが言ったように、徹底した自由化は、国内のブルジョアジーを根こそぎ「破壊」する。つまり、「日本の伝統」の消滅こそ、その導かれて行く結果なわけであろう。TPPの議論のときに、空想的経済学者たちが、次々とそういった売国的な発言をしていたことは、私には意外であっただけでなく、非常に興味深かった。
彼らのハイエク的な優等生ロマンティシズムがどういった国内経済の衰退をもたらすか、そしてそれが、サッチャー政権時代における、イギリスの徹底した没落とどう平行するか、興味深い主題であろう。
言うまでもないが、近年の国際政治において、最も重要なテーマはイラク戦争であった。この戦争は、アメリカやイギリスという、いわゆる西側と呼ばれてきた、先進国が、
侵略戦争
を、この21世紀において、行ったという意味で、非常に興味深いと言える。なぜ、それらの国の指導者たちが、こういった「野蛮」な手段を選択しえたのかは、最終的には「謎」としか言いようがない。
しかし、そうだろうか。
そもそも、アメリカやイギリスのような国であろうと、旧共産圏と同じように、なんらかの、「ユートピア」思想に、偏して、現実の諸条件を軽視し、突き進むという現象が、旧共産圏が消滅したからこそ、散見されるようになっているのではないか。
ブッシュ大統領が、イラク戦争を「十字軍」に例えたことは、その最も分かりやすい例であろう。
イギリスのブレアも同様である。なぜ、こういった一見、知性あるリベラルな印象を受ける人物が、一貫して「好戦」的であったのかは、振り返ると異様な感じを受ける。

ブッシュ同様、ブレアにとって歴史とは、神が設計されたものが明らかになっていくものなのであり、彼らの見方では、その設計図は信仰心のある者にのみ見ることができるという特徴を持っている。信仰心のない者にはその設計図が明らかとなっていくパターンはみえないし、その場合には、道案内が必要かもしれない。アウグスティヌス的な言い方からすれば、神のみが歴史の設計図を知ることができるのであるから、こうした考えは受容不可能である。ここでは、ブレアは彼自身そう主張している現代人であった----彼にとって、正しい行為を為すために必要とされるものは、主観的な確実性の感覚のみである。

当時、ネオコンと呼ばれアメリカ政権の中枢を牛耳っていた連中が、どういったアメリカ国内の思想的な文脈にあるのかは、非常に大きな政治的イシューであると思う。というのは、アメリカがそうであるということは、当然、日本のインテリも少なからず、大きな影響を受けていると思われるからである。

新保守主義的思考は、奇怪な現実主義と千年王国説の空想を組み合わせたものである。フランシス・フクヤマの転向は、この組み合わせが外交政策の基軸となった場合に生まれる困難さを明らかにしている。フクヤマの思想に最も影響を与えたのは、パリに居住した亡命ロシア人哲学者である、アレクサンドル・コジェーヴの作品である。『戦争、進歩、そして、歴史の終焉』(War, Progress and the End of History)という本を出版し、そのなかでニーチェを反キリストの先駆者として描いたロシア人宗教哲学者である、ウラジミール・ソロヴィヨフ(一八五三 - 一九〇〇)について書いたものが、コジェーヴの学位請求論文である。歴史の終焉というソロヴィヨフの考えは、コジェーヴの作品、さらに、フクヤマの本である『歴史の終焉と最後の人間』(The End of History and the Last Man)にも見出される。コジェーヴは、歴史の終焉をヘーゲルに依拠した表現で語っているが、その終着点は----マルクスが想像したような----共産主義ではなく、グローバルな資本主義体制である。コジェーヴは、ソ連共産主義についてフランス革命期の大規模テロに類比できるユートピア的なプロジェクトであり、資本主義の圧倒的なダイナミズムをしのぐことはできないであろう、と認識していた。来たるべきポスト歴史時代のモデルとなるものは、ソヴィエト社会主義共和国連邦(USSR)ではなく、アメリカ合衆国であった。
このようなアメリカ観は、アラン・ブルームを通じてコジェーヴの思想を学んだフクヤマによって採用されている。ブルームベストセラーとなった『アメリカン・マインドの終焉』(The Closing of the American Mind, 1987)によってシュトラウス思想を広めた、レオ・シュトラウスの弟子であり、ソール・ペローの小説『ラヴェルスタイン』(Ravelstein, 2000)の主人公として描かれたのである、軍事評論家のアルバート・ウォルステッターとともに新保守主義のネットワークをつくり上げ、その理念とともに、メンバーが政府に参画する機会を与えた。コジェーヴを生涯の畏友としたシュトラウスは、長年にわたり優秀な弟子を彼のもとに送り続けた。ブルームはそのなかの一人であり、コジェーヴの作品の価値をフクヤマに印象づけることでシュトラウスの伝統を維持してきた。
フクヤマ、そして、全体としての新保守主義の思考を形成したのは、シュトラウスよりもコジェーヴであった。ソロヴィヨフとヘーゲルを背景としつつ、コジェーヴは終末論的な歴史観に疑いを抱かなかった。これは、アメリカがポスト歴史時代の第一の最初の社会である、と信じるフクヤマにおいても当てはまる。フクヤマは、いかなる意味においても、かつて彼が信じてきた歴史が終焉したのだ、という考えを否定する。正確にいえば、----馬鹿げてはいるが、しばしば彼が承認しそうになる考えである----大規模な歴史的抗争のすべての原因が消滅した、という考えを肯定しない。彼は、最も正当な統治形態についての論争が終焉した、と断言した。一九八九年夏、彼は次のように述べた。

われわれが目にしているものは、冷戦の終焉や戦後の歴史の特定の時期が過ぎ去っていくといったものだけではなく、歴史の終焉なのである。つまり、人類の歴史的進化の終着点であり、人類の最終的な統治形態としての西洋の自由民主主義(リベラル・デモクラシー)の普遍化なのである。

この宣言には二つの要素がある----歴史が最後の仕上げを迎えたという主張と、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)が現在、唯一の正当な統治形態であるという、より具体的な主張である。歴史が終焉に向かっているという理念は、理性的な討議によっては賛否が確定できない神話である。これとは対照的に、自由民主主義(リベラル・デモクラシー)が現在唯一の正当な統治形態である、という主張は過っていることが実証されてきている。
「西洋自由民主主義」は「人類のイデオロギー的進化の最終到達地点である」という主張は、終末論的な信仰の告白である。奇妙なことに、この事実は注目されてこなかった。

フランシス・フクヤマや、そのネタ元である、アレクサンドル・コジェーヴの「歴史の終焉」という考えの重要なポイントは、上記にもあるように、それが
アメリカの自由民主主義
のことだと言っていることである。ということは、彼らは、それらが、世界中に広まることこそ、歴史的な必然だと言っているわけであろう。つまり、広がらないことこそが

だと言っているわけであろう。こういった観念は、ブッシュ大統領が中東に民主主義を広めることを、戦争の目的と言い換えたこととも対応する。
しかし、他方において、もう一つ重要なポイントは、上記にもあるように、アラン・ブルームや、レオ・シュトラウスが代表しているような、
エリート主義
的な「秘教」的な指導者の態度ではないだろうか。

新保守主義者は、疑問の余地なく唯一最善のタイプの体制が存在する、と考えていた。そして、それは今日のアメリカ合衆国にすでに存在している自由民主主義であった。近年、彼らはこの体制に類するものを世界中に移植することが可能である、と主張している。新保守主義運動のパラドックスの一つは、この確信がその主要な知的先祖に共有されていなかったことである。レオ・シュトラウスは、決して自由民主主義が最善の政体であるとも、僭主政治の危険がないものであり得るとも想定していなかった。自由民主主義が普遍的になり得るという考え方を彼は、軽蔑しないまでも、疑ったことだろう。

シュトラウスの主張は、古典的な哲学に具現される自然法の着想が蘇るならば将来のアメリカは安全に保たれるであろう、というものである。古代、そして、中世の思想において、自然法には、それぞれの本性に適した美徳の実現という、よき生への処方箋が含まれていた。ホッブズのような近代初期の思想家は、自然法を自己保存や権力の追求と同一化することによって、こうした着想を捨て去ったのである。その後の啓蒙の哲学者たちは、科学と技術を通じて人類が世界をつくり変える、というある種のヒューマニズムを奉じた。シュトラウスにとって、この伝統の終局点にあるのはニーチェにおける意志の崇拝であり、近代のニヒリズムを救済する以上に、より純粋にニヒリズムを押し広げるものである。
唯一の救済は、トマス・アクィナスが明確に体系づけた自然法についての古典的な着想を再生させることなのである。アクィナスにおいては、アリストテレスの世界観がキリスト教の文脈で再現されている、つまりは、古典的な自然哲学がキリスト教神学と結合している。当然、シュトラウスは、このような統合について、いつも徹底的に懐疑的であり続けた。彼は次のように述べている。「自然法に関するトマス主義者の最終的な結論は、自然法は現実に聖書の黙示録に立脚する自然神学のみならず、啓示神学からすら事実上、分離することはできない、というものである」。シュトラウス思想の決定的特徴はここにある。すなわち、彼は、理性と啓示との間の架橋できない裂け目を主張しているのだ。アクィナスが復権させた古典的な世界観は、理性と啓示が同じ方向を指し示すように形成されうるという前提に立っている。この前提を退けることで、シュトラウスは西洋の伝統における裂け目を指摘した。その後続者たちと同じく、アクィナスは信仰と理性が補完的であることを示そうと試みた。シュトラウスは、そうした試みのすべてが失敗する運命にあることを理解していた。ギリシア哲学の合理的な秩序と神が創造された聖書の秩序----アテナイイェルサレム----は、両立し難いものなのである。ここに至って、シュトラウスは、マルティン・ブーバーやフランツ・ローゼンツヴァイク、レフ・シェストフといった、総じて問題は信仰の行為によってのみ解決されると考える、二〇世紀初頭のユダヤ人信仰主義者たちと手を結んだ。シュトラウス自身の宗教的信念については知りえない(彼は事実、無神論者である、と言われていた)。はっきりとしているのは、ニヒリズムの解決に対して理性は役に立たない、と彼が考えていたということである。

理性の限界というシュトラウスの考えは、政治にとっていかなる意味をもつのであろうか? 彼は、自由民主主義は形而上学的信念から切り離しえないものである、と論じた。人間の意志がつくり出した道徳秩序への信頼がないならば、現代の政治はニヒリズムに対して脆弱である。しかし、こうした信念を理性的に擁護する可能性を否定するなかでシュトラウスが行ったのは、公共的な正当化の可能性を一切、省みずに自由民主主義を放置することであった。この難問の解決にシュトラウスが持ち出すのは、プラトンの「高貴な嘘」(noble lie)の現代版である。哲学者は真理を知る一方で、大衆にとって真理が破壊的であることもまた、知っている。おそらくシュトラウス自らのニヒリズムとの格闘のゆえに、(現代のアメリカではロックの自然権神話がそうであるように)心地よい神話によって大衆が保護されるのだと考えながらも、それを積極的に推奨してはいない。自らのきわめて自覚的な解釈の手法によってのみ、幻想が維持されうるというのが彼の立場であった。シュトラウスは、高貴な嘘を肯定するとしても、過去の多くの哲学者たちがそうしてきたように、真意を隠しながら、ごく曖昧に述べられるべきである、と考えた。周知の通り、シュトラウスは、多くの偉大な思想家たちはその作品に公然と表現されたものとはまったく異なる秘密の哲学を抱えていたのだ、と主張した。シュトラウスが批判されるのはこうした見解のためであり、ブッシュ政権新保守主義者たちによる諸々の政治的情報操作は、理論家としての彼の教えが背景にあるのだ、と言われている。

彼らは、大衆に「正しい」ことを言わなければならない、という格律を完全に失っていたわけである(これは、311において、日本政府が国民に福島第一の真実を伝えなければならないと考えなかったことと同型とも言えるだろう)。イラクが核開発をしているという証拠がなかったことは自明であったが、あると強弁することの
なにが悪い
のかを、彼ら自身がまったく自覚していなかった。それは、彼らには、もっと「大きな大義ユートピア」があったからであろう。そのためなら、大衆を真実に直面させ耐えられない事態にするより、「高貴な嘘」によって、国民を真実から遠ざけることこそが、正義だと考える。
私は、こういった一種の「エリート」主義者って、日本にも、たくさんいるんじゃないかと思っている。ところが、そういった人たちが、あまり表立って、自分の立場をはっきりと表明しないわけですよね。
つまり、本音は、今の国政選挙や、国会議員のようなものを、軽蔑していて、基本的には官僚さえいればいい、と。そういう人が裏で、この国を支えてくれているから、自分たちは安心して「日常」を生きられる、と。
(でも、だからといって、彼らが「暴走」したときは、怖いので、なんらかの「無意識」的な規制を、持ってもらいたいなあ、つまり「集合知」を意識して政治をやってもらいたいなあ、というのが、例えば、例の「一般意志2.0」の基本的なアイデアなんじゃないですかね。)
では、そもそも、中東に民主主義は、根付くのだろうか。というか、そもそも、まともに、民主主義政治を行っている地域って、世界中にどれくらいあるのだろうか?

自由民主主義は、中東の大部分の国では確立されえない。多くの地域では、非宗教的な専制政治か、イスラム教徒の支配か、の選択である。中東で強制的な民主化を試みる際に、ブッシュ政権アメリカ合衆国のような体制をその帰結として想定していたが、非自由主義的民主主義国家となる可能性を見過していた。非自由主義的な民主主義は、共通善が自明である、という確信に支えられている。惑わされることのない、あるいは、堕落していない人であれば誰でも、個人の自由やマイノリティの権利を保護する必要がないように、同じ政策を支持するであろう。大衆の意志(それは共通善と同一視されるものであるが)が完全に表されれば十分なのである。実際には、人々はルソーの理論において立法者(Legislator)と呼ばれたような、舞台裏で人々を操る影の人物による導きを必要とするのである。

一九五五年にアメリカの政治学者のシーモア・アーティン・リプセットが、アメリカ、スイスと(当時の)ウルグアイを除くと、安定し、長年続いている民主主義国家、すべて君主制であったという「非常識な事実」(absurd fact)を報告した。

結局、民主主義は、民族自決と切っても切れない関係にあったのであろう。強烈な対立を続けてきた異民族それぞれによって、ある程度の割合で構成される国家では、選挙とは自民族「である」という表明の場と変わらなくなり、各案件ごとの判断を行える場ではなくなる。本来の民主主義とは、「民族」とはなんの関係もないはずなのに、どうしても、そういった「同質」性を前提にしなければ、まったく動かなくなる。
もちろん、民族とは一種の「想像」物でしかないわけだが、その具体的な象徴である「君主」が、国民の前提となっていなければ「事実上」機能していない、というのは、非常に興味深いであろう。
アメリカにとって、言うまでもなく、イラク戦争という「侵略戦争」の目的には、石油利権があった。そういう意味では、アメリカはこれからも、中東の石油を、さまざまな手段で、事実上の自分たちの自由になるものとすることを、目指すのだろう。
しかし、問題は、そのために、どれだけ多くの「諸関係」を、彼らがその「ユートピア」のために「軽視」するのか、なわけである。
とにかく、石油利権さえ、確保できれば、あとは「どうでもいい」。これが、集団の論理としての、国家なわけだろう。しかし、本当に「どうでもいい」のか。そういった、瑣末な末端を軽視することが、どれだけの、さまざまな問題のリスクとなるか。

バグダットの占領の後に始まった対ゲリラ活動戦争のための準備がまずかった、というのは事実である。ヴェトナムとソマリアでの惨敗の影響で、アメリカの軍事方針は、「力による防衛」(force protection)と「衝撃と恐怖」(shock and awe)に基づいていた。実際には、これはアメリカの軍隊に対して何らかの脅威をもたらしかねない占領国の住民は誰でも殺し、圧倒的な火力を用いることにより敵に打ち勝つことを意味する。敵がサダムの軍隊であった戦争の初期には効果的でも、敵がその地の人口の大半から構成されているとき、この戦略は逆効果である。そして、そのことは現在まさにその状況にあるように、事実なのである。現在の対立は、サー・ルパート・スミス陸軍大将(湾岸戦争でイギリスの第一装甲部隊を指揮、サラエボでは国連平和維持軍を、一九九六年から一九九八年まで北アイルランドでのイギリス軍の指揮をそれぞれ務めた)が「人々の間の戦争」と言ったことである。この種の抗争では、数の優勢は重要ではなく、火力をやたらと使うことは役に立たないか、それとも、逆効果になる。アメリカの占領軍に対して当初は持っていたと思われる同情のかけらも、二〇〇四年前半にファルージャの都市を破壊した後には消え去った。「シェイク・アンド・ベイク」作戦において、都市住民への、クラスター爆弾化学兵器(白リン、あるいは、「改良ナパーム」)の使用に関わったことは、これはチェチェンの首都グロズヌイのロシア勢力による破壊に匹敵しうる行為であった。軍事的には失敗であった。数日後に、反乱軍は大量の武器を手に入れることのできるモスルというより大きな都市を占領したのであり、それは反乱をあおったイラク人の命を無視することを示していた。イギリスの政府高官は、二〇〇年後半に匿名で以下のようなコメントを出している。「私の見解、そして、イギリスの指揮系統の見解は、アメリカの暴力行使は彼らが直面している脅威に釣り合わず、過度な反応であるということである。彼らは、われわれがみているようには、イラクの人々をみていない。アメリカは、イラクの人々を人種的劣等者(untermenschen)としてみているのである」。
アブグレイブにおいて拷問が用いられたことは、よく知られたやり方に従ったものであった。サダムが失脚した年以降の時期に、誰でも結局、犠牲者になる可能性があった。数千人が通りから一掃され、組織的虐待を受けた。このような、アメリカの軍隊によって行われた虐待は、多くが経験してきたやり方を踏襲したものであった。拷問は、チェチェンにおけるロシア人、アルジェリアにおけるフランス人、そして、一九五〇年代のケニアにおけるイギリス人によって、広く用いられてきたのである。しかし、ロシア人やフランス人が、身体的な痛みの極を負わせたのとは異なり、アメリカの尋問者は精神的な圧力、特に性的な屈辱を用いることに集中したのである。イラクで用いられた拷問の方法は、その犠牲者の文化を標的としたのである。すなわち、犠牲者は人間としてだけでなく、アラブ族とイスラム教徒としても暴行を受けたのである。このような手法を用いることで、アメリカは自らの堕落という形での、忘れられないイメージを刻みつけ、アメリカに支援された体制がイラクでは、正当性を持たないことが確実となったのである。

ブッシュ大統領が、イラク戦争を、十字軍に例えたときから、これは中東のアジア人をいかに「軽視」するか、の運動だったと言わざるをえないだろう。イラク人の捕虜が、アメリカの若い女性兵士によって、性的な虐待を受けている写真が、内部告発によって報道された事件があったが、あの事件こそが、この戦争の本質をついていたように思える。
アメリカがこの戦争で、クラスター爆弾という深刻な被曝をイラクの市民に与えることになるような、残虐な兵器を使ったことも、彼らの中東のアジア人への「軽視」、差別感情があるわけであろう。
人間が最後に、自らの拠り所とするものこそ、自らの「文化」である。自分が生まれ育ったその地域を誇りとする、人々が、ある程度、大人になって、そう簡単に、それらを変えられないのは、人間とはそういったものと区別できないくらいに、そういったものを血肉として生きるからであろう。アメリカ軍は、拷問の手段として、そういった、彼ら中東の人々の最も嫌がる、慣習である、性的な暴行を手段とした。それは、もちろん、その「効果」が大きかったからなのだろうが、しかし、それを行うことによって、この地域の人々の
怨恨
が深まることへの想像力がない。なぜなら、彼らには、そういった慣習が理解できないからである。自分たちと慣習を共有しない人たちの、彼らの文化を軽蔑し、
アメリカ型の自由民主主義
を押しつけさえすれば、彼らが幸せだと感謝してくれると本気で思っていて、この大きな大義のためなら、そんな瑣末なことなど、どうでもいい、と本気で思い込んでいる
ユートピア主義者
だからであろう。
では、こういったことは、なぜ繰り返されるのだろう。どこか、西洋の啓蒙思想には、なんらかの「欠点」があると言わざるをえないんじゃないだろうか。

近代世界は、宗教戦争とともに始まった。三〇年戦争の間、ヨーロッパはカトリックとプロテシタントの武力紛争によって荒廃し、その忌まわしい結果として、ドイツの地方人口はおよそ三分の一となった。初期近代思想の多くは、これらの争いへの応答であった。信仰の暴力を抑止しなければならないということは、トマス・ホッブズやベネディクト・スピノザの諸著作の中心的な部分である。つまり、これらの初期啓蒙思想家は後世の思想家よりも明確に今日の戦争の特質について、われわれに語りかけているのである。

無秩序の危険に関するホッブズの理解は、今日、力強く人々を共感させるものである。自由主義的な思想家は、依然として、抑制なき国家の権力を自由に対する主要な脅威とみなしている。ホッブズは、自由の最悪の敵は無秩序であり、それが対立する信仰の戦いの場である場合、最悪であるということをよりはっきりと自覚していたのである。宗派の暗殺団が、バグダッドを徘徊しているということは、原理主義というものがそれ自体、各預言者が支配のための神聖な権威を主張する一種の無秩序状態であることを表わしている。十分に統治されている社会では、信仰の力は抑制される。国家と教会は、啓示の要求を和らげ、平和を守らせるのである。この方法が不可能な場所では、相争う預言者による支配よりも僭主政治の方がよいのである。ホッブズは、この後に続く自由主義的な思想家よりも現代にとってずっと信頼できる指針を示してくれる。それでも、人間に対するホッブズの見方はあまりに単純で合理主義的であった。人間は他の何にも増して暴力による死を恐れることを確かだとみなし、ホッブズは最も扱いにくい他律の原因を無視した。平和を成し遂げることができないのは、必ずしも人間が不合理に行動するからではなく、平和を望まないためということもある。人間は、唯一の真実の信仰(One True Faith)の勝利を望んでいるのかもしれない----伝統的な宗教でも、あるいは、世俗的な継承者(例えば、共産主義、民主主義、または、普遍的な人権)であるにせよ。あるいは、一九七〇年代において極左テロリストのグループに加わった若者、あるいは、現在イスラム教徒のネットワークに加わっている別の世代といったように、彼らは平和の状態では欠如している目的というものを戦争で発見するのかもしれない。人生における意味を確保するために、進んで殺戮と死に向かうことほど、人間的であるものはない。

ホッブズの社会契約論が、「人間は他の何にも増して暴力による死を恐れる」ことを所与の前提にしてしまっていることは、非常に興味深い。
なぜなら、イラク戦争において、最も参照されたのがホッブズだったからである。
ホッブズがこのように言っているということは、つまり、彼の考える「人間」が、その地域の、ある程度文化を共有している「ヨーロッパ人」の、社会契約であることを示唆しているだろう。
言うまでもなく、中東では、多くの自爆テロが特に、イラク戦争から、フセインの死刑にかけて、頻繁に起こった。「他の何にも増して暴力による死を恐れ」ないのである。彼らが死を賭けけて求めるのは、民族の尊厳であり、文化的な自尊心である。
掲題の著者の結論は、なににおいても、(マキャベリ的な)現実主義である。著者はその延長で、イギリスのインド植民地時代をアメリカによるイラク支配と比較し、
相対的
に評価するが、それはなによりもイギリス植民地政策が徹底して現地の人々の習俗や慣習を研究し、漸進的に政策を進めたからであろう。
アメリカは、その後、スイング・バックしたように、非白人のオバマ大統領となり、上記のラディカリズムは一定の鎮静化をみせているのだろうが(もちろん、不十分だろうが)、またいつ過激な暴走が始まらないとも限らない。
掲題の本という、イギリス内部から、これだけの徹底した内省が生み出されたことと対応して、この戦争に少なからず関わった日本において、これに対応するような密度の議論が一つとしてあっただろうか...。

ユートピア政治の終焉――グローバル・デモクラシーという神話

ユートピア政治の終焉――グローバル・デモクラシーという神話