千葉慶『アマテラスと天皇』

ここで、まったく逆に考えてみよう。徹底的にユートピアを実現しようとするなら、どういったものになるのか、と考えてみよう。
しかし、急にこんなことを言われても、ちょっと困ってしまう。毎日をギリギリで生きている私たちにとって、急に、ユートピアを考えろと言われても、想像力も働かないだろう。
一体、なにが実現されていたら、私たちは、そこをユートピアと思うのだろう。その条件とは、なんなのだろうか?
ITテクノロジーの発展は、つい最近までは、SFの本の中のことだったものが、当たり前のように実現されるようになった。だとするなら、そういったユートピアだって、実現できないこともないんじゃないのか。
うーん。
ここで、もう一度、発想の転換をしてみよう。
自分がなかなか、ユートピアを想像できないことは、その人それぞれの文脈のあることで、理解できなくはない。だったら、こう考えよう。
過去の日本人が、思い描いた「ユートピア」をもし、現代の私たちが実現しようとする、ということが、一体なにを意味するのだろうか、と。
ちょっと話がややこしくなってきた。
いや。ここで、ひるんではならない。この方向で、徹底させるという、思考実験として、推論を進めるということである。
過去。
つまり、戦前である。言うまでもない、大日本帝国憲法を、現代に復活させることが可能か、そして、そうした場合に、一体、なにが起きるのか、と問うてみるのである。
平泉澄は、終戦直後、いずれの未来において、再度、建武の中興が、かなう日を夢見て、東大を去り、野に下ったはずである。彼が思い描いたであろう、
ユートピア
を、もし、このソーシャル・メディア、花盛りの、現代において、復活させようとするなら、それは一体なにを意味しているのか、と問うてみるわけである。
では、大日本帝国憲法と、今の憲法を隔てる、決定的な違いとはなんなのだろう。なにが、私たちを戦前と「違う」規範に従うことを強いていると考えられるだろうか。
一つは言うまでもない、戦中の「祭政一致」である。つまり、宗教としての天皇、その(アマテラス)崇拝の「国民義務」化を、もう一度復活すること、になるだろう。
天皇への偶像崇拝を、国民の義務とする社会を、構想する、と...。
しかし、考えれば考えるほど、なぜ、戦前の日本において、こういった政策が可能であったのかは、興味深く思える。
たしかに、江戸時代においても、儒教を学んだような人から、正名論の延長で、天皇をこの国の正当な君主と考える言説がふきだし続けていたことは確かであろう。その流れから、明治以降の革命政権が、こういった方向を「採用」したことは、理解はできる。しかし、江戸時代なら、そもそも庶民にとって、そういった「観念」はなんの関係もなかった。
しかし、天皇を表象とするイメージが完全に庶民と関係なかったかと言われると、そうも言えない傾向があったことも指摘できなくはない。

大塩平八郎は、一八三七(天保八)年二月、天保の飢饉に際して私欲を貪る幕府役人を討つために大坂で蜂起した。そこで、彼はおかげまいりのアマテラスを「世直し」運動に結び付け、革命を正当化する政治シンボルとして流用したのである。
大塩は蜂起に際して、みずからの行動の正当性を人々に訴える「檄文」をしたためている。「檄文」は、現在の「地獄」のような状況は、足利幕府以来の武家政治が天皇を隠居に追い込んだために、民衆が日々の怨みを訴える場がなくなり、その行き場のない怨みが天に通じ、飢饉や地震・火事・洪水を引き起こすに至った、だから、この「地獄」を「極楽」に転ずるには、尭や舜(ともに中国の聖人)、アマテラスの時代に戻ることは無理にせよ、神武天皇の時代の政治を回復しなければならないのだと訴えた。
要するに、彼は尭・舜・アマテラス・神武天皇を政治シンボルとして用い、彼の目指す理想の統治に具体的イメージと正当性根拠を与え、この蜂起に対する人々の幅広い支持を取り込もうと考えたのである。
なお、彼の主張は、結果的に、維新政府の「王政復古」のレトリックを先取りしていた。

復古とは「世直し」の別名であって、一般に左翼の源流のような、大塩平八郎が「アマテラス」に言及していることは、おもしろい(つまり、そういう意味で、明治の革命運動を「左翼」運動の「成功例」だと示唆することもできると言ってるつもりなのだが...)。
日本の明治以降の変遷を辿っていくとき、最初に気付くのは、「比較的」リベラルな政策を採用してもいる、ということであろう。それは、言うまでもなく、欧米の(福沢諭吉的な意味で)「一等国」に恥じない存在であることが目指された面もあったからであろう。
しかし、言うまでもなく、日本には、もう一つの動きがあった。それが、日本の支配を、より「完成」させようとしていく動きと言えるだろう。

  • 内的な動き(「本当の」日本に「なる」ことを目指す動き)
  • 外的な動き(外国に支配されない、外国を支配できる強い国へ向かう動き)

しかし、こうやって見てみると分かるように、こういったことに本当に「欧米化」が必要なのかは、少しも自明ではない。それは、福沢諭吉の言う「学問」がなににおいても、欧米の科学テクノロジーにしか興味をもっていなかったことに、その典型を見ることができるだろう。
しかし、そういうことであるなら、日本の欧米化は、日本が平安時代や江戸時代に、「国風文化」化したのと同じように、その「必要」を完成した時点で、その
反動
が始まることは当然であろう。つまり、これらの条件を「すべて」解決する存在が現れれば、借り物の日本民主主義の
オールタナティブ
として、正統性が与えられてしまう。言うまでもなく、
軍部
である。明治以降の日本の軍隊は、一つの「官僚」集団でありながら、実質、日本のほとんどの政策を左右してきた。明治の御前会議に始まり、圧倒的に巨大な組織である軍こそが、日本のほとんどの政策を最終的に決めてきたと言えるだろう(軍の反対を押し切っては、日本の政策はなにも進まなかった)。
そう考えてきたとき、日本の「戦後」の本質とは、なによりもまず、
軍隊を持たない
ことだったと言える。GHQという日本占領集団が日本を、なによりも変えようとしたのが、この軍の解体だった。これ以降、日本は軍隊を持つことが、憲法によって禁止される。

そこで、本書では視点を変え、いったん天皇制論の枠組みから離れて、リン・ハント『フランス革命の政治文化』における指摘を導きの糸として、議論を展開してみたい。
どんな形態の政治体制であっても、「シンボル」を必要としない体制はなく、「シンボルなくして統治は不可能である」というのが、ハントの指摘である。なお、この場合の「シンボル」は、わたしたちが文学的記号として日常的に用いているそれとは異なり、統治のための政治的装置である。本書では、これを「政治シンボル」と言い表わしておこう。
彼女の議論を定義風に整理しておく。政治シンボルとは、第一に、統治の正当化を担う政治的装置である。第二に、統治(者)の理想や原則を具体的なイメージとして表わし、その統治が正当であるという根拠を示す。だから、第三に、統治者は、政治シンボルとみずからの存在を強く結び付ける論理(国家イデオロギー)を紡ぎ出すことによって、みずからの統治の正当性を主張することができる。また、第四に、政治シンボルを用いた教義や物語・儀式・モニュメントなどを通してこの論理を広めることで、統治者層と被治者層の間にこの統治の正当性に関する合意を作り出し、互いに再確認させることができる。

私は前に、そもそも、政治は直接民主制しかありえない、と書いた(まあ、レーニンですね)。しかし、実際のところ、政治は直接民主制では行われていない、当たり前であるが。だとするなら、現在の政治は、それとは違った論理によって行われている、と考えられる。それが、
シンボル政治
だと言えるだろう。直接民主制を採用しない政治が、どうやって「正当性」を調達しているのか。どうやって、その「うそ民主主義」を、国民に、まるで「自分で決めた」ように思わせるのか。それこそ、「シンボル」操作によって、と言えるだろう。
問題は、「それ」が、明治以降の日本において、どのように
操作
されてきたのか、だと言えるだろう。
ここで、若き明治天皇を錦の御旗とする、薩長の革命政権が、どのような論理によって、自らの支配を正当化しようとしたのかを、ふりかえってみたい。

この政権は、公家の岩倉具視長州藩木戸孝允薩摩藩大久保利通西郷隆盛らが主導した統治者層内部のクーデターによって成立した。
だから、この政権は、一部の勢力が国家権力を「私(わたくし)」するもの(統治の正当性がない)と見なされてしまった。一八六八(慶応四)年一月早々には、前将軍徳川慶喜が「討薩表」を出し、これは薩摩藩による陰謀であり、「私意」をもって天皇や朝廷をたぶらかすものであると宣伝した。そして、新政府軍と旧幕府軍との間で戊辰戦争が勃発する。

私は、この問題は今でも続いていると思う。そもそも、こういった「クーデター」は、正当化が不可能なのであって、無理なものを通そうとするなら、それなりの「無理」が生じる。つまり、その「無理」がこの社会の「形」を決定してしまうところがある。
彼らクーデター首謀者が強調したことは、自分たちのやってることは、「私」でない、ことを人々に分からせることであっただろう。ということは、どういうことか。今までが、「私」だったから、そういった「私」をぶち壊し、これからは

でやる、と、つまり、過去が「不当」であった、ことを強調する方向へと進むだろう。

さらに、旧藩主が統治権天皇に返還する旨を宣言した「版籍奉還」(一八六九年六月)でも、藩主が土地や人民を「私有」することを否定し、すべてを天皇という「公」の下に帰一させるというレトリックを見出すことができる。

この部分の論理は、大変に興味深いですよね。彼らクーデター首謀者は、それまでの政治が間違っていた、ということを強調する。つまり、江戸時代に正当性がなかった。あれだけ、何百年と続いた支配は、嘘だった、と。そうなると、じゃあ、
本当
ってなんなの? ということになるでしょう。それが「公(おおやけ)」ですよね。なぜその支配は、正当なのか。それは、それが「私」ではないから。つまり、「私」が存在する形態は、こと政治の場においては、あってはならない、となるわけです。
それこそ、天皇の「政治利用」。
もし、個人の私的な利益のために、国民が天皇を「利用」しようとしたなら、その「政治的行為」は、正当化できないだろう。なぜなら、それでは、その支配の正統性が疑わしいから(私たちは、天皇という名前を使うことに、相当慎重にならなくてはならない)。
しかし、このことを逆から言うなら、日本においては、あらゆることは、「公(おおやけ)」でなければならない、ということを意味しているわけですね。つまり、「私(わたくし)」というものが、あっちゃーならないわけでしょう。
もし、「私(わたくし)」というものが存在するなら、それは天皇を私的に「利用」しているということになり、その支配の正当性を認めることはできなくなる。
このことは、かなり強烈なわけで、ほとんど、旧ソ連社会主義に近い観念になってきますよね。まず、私的所有は疑わしい。それは日本においては、究極的には
天皇の「もの」
だということになる。日本において、天皇のものでないものはない。それが、臣民としての日本国民の存在形態なのであって、もっと言えば、
私的人格
でさえ、存在してはならない、というところまで行くだろう。私たち国民は、臣民として天皇に滅私奉公をするから、その「公的」存在に正当性が生まれる。一種の「ロボット」として、生きるから、私たちがこの日本列島で生きていくことを「認められる」理由が説明できる。
もしそうでないなら、私たちが、この日本列島を「自分のもの」としようとしている、ということを意味するだろう。つまり、自分が天皇になり代わって、日本の支配者になることをたくらんでいる、ということになる。
これは、一種の旧ソ連社会主義と言えなくもない。もちろん、日本は資本主義の国ではあるのだが、究極的には、国民の財産は天皇のモノ。つまり、もし天皇の意志が、
それを国民全員で均等に分けろ
だったら、それを「しなければならない」。個人が所有しているお金という資本主義のベースでさえ、この国の正当性の論理からは、否定される(ちょっと、北一輝に似ていますね)。
上記の議論において、大事なポイントは、そもそも、明治のクーデター首謀者の「正当性」を、論証「できない」という、不可能の証明の証明の問題だったことを、忘れてはならない。無理なことをやらなければならなかったから、こういった無理な結果になるわけである。
上記のように、明治のクーデター首謀者の論理は、

をやめて、

を「復古」させる、というところにある(上記での議論は、この江戸幕府の「私」性の主張が疑わしい、ということだったわけである。そのため、明治のクーデター首謀者たちは「過剰」な公をラディカルに主張しないわけにはいかなくなった、ということだろう)。
しかし、このフレームには、もう一つ問題がある。そもそも、「なぜ天皇なら公なのか」という問題である。それは、
天皇の正当性の問題
とも言える。なぜ、天皇はこの日本を支配する存在としての正当性をもっていると言えるのか。つまり、天皇の「正当化」を、なにによって担保するのか。なぜ、日本の支配者の天皇は、そう言えるのか。
しかし、この問題に答えられない限り、上記のフレームは成立しないので、明治のクーデター首謀者の正当性を根拠づけることができない。
掲題の本も、そこは錯綜としているが、結局のところ、それは「神話」によって、主張された、と。つまり、アマテラスによって。
アマテラスがいるから、天皇の支配は、正しい。だったら、私たちが本当に崇拝すべきは、アマテラスだということになるだろう。
ここにおいて、日本のシンボル支配は完成する。
アマテラスという「イメージ」
が、私たちのこの「中空」に吊り下げられ、ぶらぶらとしている、「正当性」の源泉にある、と。

ピーター・L・バーガーによれば、宗教的正当化には、三つの要素がある。
第一に、制度的秩序が原初以来から存在してきたものの開示であるかのように思わせること。
第二に、この秩序が人間によって作られ、人間の承認によって維持されていることを忘れさせること。
第三に、革命による秩序が民衆自身の奥深い欲望を実現し、宇宙の根本秩序に自分たちを調和せしめているのだと民衆に信じさせることである(『聖なる天蓋』)。

しかし、何度も強調しているように、こういった議論は、そもそも、明治のクーデター首謀者の正当性をどうやって根拠づけるか、という
無理な問題
によって、どうしても強いられた論理にすぎなく、無理なものを無理に正当化しようとするから、どうしても、問題がラディカルに顕在化せざるをえなくなる。
例えば、上記の議論によって、そもそも、「民主主義」はいるのか? という問題にさえなってしまう。なぜ、
日本のファシズム
が「問題」だったのか。ひとえにそれは、「軍部の強大化」だったわけであろう。もちろん、ここで「軍部」と言ったときに、それを官僚「集団」というような、政治家によって「統制」されているものを想像してはならない。
そうではなく、各官僚が勝手に、独自に「行動」していく。そこでは、さまざまな「やくざ」のような、民間の集団ともからみながら、さまざまな
党派抗争
を続けているようなものをイメージする必要がある。

七月には、村中・磯部らによって統制派の横暴振りを批判する「粛軍に関する意見書」が各方面に頒布され、統制派と青年将校との対立が表面化するに至った。
そして、七月一五日付けで、統制派にバックアップされた林陸相によって、急進派青年将校がリーダーと仰ぐ真崎教育総監が更迭されると、彼らの怒りがついに爆発し、八月二二日には、相沢三郎中佐による永田鉄山殺害事件が起こった。ただちに憲兵によって逮捕された相沢は、憲兵曹長小坂慶介の尋問に対し、「伊勢神宮の神旨によって、天誅が下ったのだ。おれの知ったことではない」と息巻いた(『特高』)。軍部中枢は、みずからタガを外した政治シンボルによって、逆にみずからの地位や命を脅かされる事態に陥ったわけである。
なお、永田を失った統制派は、青年将校のさらなる反発を恐れて強硬な弾圧を行えなかった。事件の責任をとって辞任した林の後任として陸軍大臣となった川島義之は、青年将校のシンパだった荒木や真崎に近い人物で、青年将校と統制派の仲立ちを期待されたが、この事態を収拾する能力がなく、優柔不断な態度に終始したため、翌年二月の青年将校によるクーデターの暴発(ニ・ニ六事件)を防ぐことができなかった。
しかし、ニ・ニ六事件は、杉山元梅津美治郎らを基幹とする新統制派にとって奇貨となった。これを契機として、彼らは、三月から一一月にかけて大規模な人事異動を行い、軍内部の急進派青年将校やそのシンパを容赦なく「芟除」することに成功したのである。また、この事件のインパクトを利用して、岡田内閣の総辞職に伴う広田弘毅新内閣の組閣人事に干渉し、軍部の国政掌握を決定的なものとした。
一九三七(昭和一二)年五月、軍部が主導権を握る政府の下で『国体の本義』が刊行された。ここにおいて、政府は、アマテラスという政治シンボルを帝国憲法体制によるいっさいの規制から解き放つことを改めて公式見解と定め、それを来るべき総力戦体制の絶対的な正当化原理として定式化した。
これ以降、天皇は、政治シンボルであるアマテラスと一体化した「現人神」と見なされるようになり、「神」の名の下に、政府(軍部)の政策に背くあらゆる思想や言動は、右翼も左翼もかかわりなく、徹底的に「芟除」され、すべての国民が、政府と不可分なこの絶対的な権威への完全な帰一を求められた。

統制派と青年将校側との「内部抗争」が、その粛清によって、「解決」されたとき、また、その粛清の「正当性」が問題となる。つまり、さらにラディカルな、権力の正当性が「証明」されなければならない。
しかし、もともと、無理なものに正当性を与えようとするから、よりその主張は過激になっていかざるをえなくなる。日本の戦争への突入は、ひとえに、軍内部の権力闘争と深く関係している。日露戦争での、一見したところの、日本のロシアに対しての大勝利は、言うほどの圧倒的なものでなかったはずなのに、日本国内においては、軍という官僚に対して、あまりにも大きな発言権が発生してしまう。
もともと、江戸時代は武士という軍人、武装集団が政治をしていたわけで、彼らには、民主主義への「軽蔑」がある。政治家を尊重しなければならない理由が理解できない。意見の対立を、
永田鉄山殺害事件

ニ・ニ六事件
のように、人殺し、で「解決」してきた、軍が民主主義を軽視するのは、分かりやすい話であろう。もともと、日本の「政治」とは、そういう面があったと言わざるをえない。意見の対立は、対立者を「殺害」することによって、「解決」されてきた。
これだって、一つの「政治的解決」だと、ファシストたちは言うだろう。実際、現実の政治は、これによってだって、進んで行く。
軍が暴力によってしか、軍を統制できなくなるということは、軍「内部」の暴力の「外」への放出を、暴力によってしかコントロールできなくなることを意味する。
それ以降、軍は軍としての「統制」を失う。政治家は、軍内部の一部の暴走によって、脅され、意志表明ができなくなり、あらゆる政策をシヴィリアン・コントロールで行うことが不可能となり、意志決定は、すべて前に進まなくなる。
国民は、そういった軍の「私的」な暴走に正当性がないと主張を始めるだろうが、これこそ、軍の正当性を危うくする行為であって、軍が最も嫌う状態となる。ならどうするか。言うまでもない。国民の口を塞ぐしかない。
強烈な言論統制は、軍の暴力が主導して行われる。余計なことを言えば、牢屋に入れられるし、日本人だろうと、(軍への)侮辱罪によって、殺される。大事なことは、国民に軍への「批判」を言わせない、こどであって、そもそも、軍人は武器をもっていて、国民は武器をもっていないのだから、その場で、ピストルで撃ち殺してしまえばいい。そうすれば、国民は一人として、軍を批判する人はいなくなるだろう。
そもそも、なぜ国民が軍を批判するのか。それは、軍の「正当性」を絶えず、国民に自覚させることに失敗しているから、と言えるだろう。つまり、なぜ軍に「正当性」があるのか。言うまでもなく、天皇がいるからであり、その天皇の正当性を担保するアマテラスを「信じる」からであろう。
そこから、軍による、天皇、アマテラスへの信仰の徹底化(偶像崇拝化)が進められる。そもそも、こういった礼拝行為を朝から晩まで、行わせておけば、国民は軍を批判する

がなくなるわけだ。国民に考える暇を与えないことが、軍への批判を最小化する最も効率的な方法と言えるだろう。
しかし、その日本も戦争に負け、戦後はアメリカGHQによって、占領され、
アメリカのもの
となる。

日本政府は、敗戦後もなお、国体護持の姿勢を崩さなかったが、この指令を受け、一九四六年一月一日、天皇の名による年頭の詔書(いわゆる「人間宣言」)を発するに至った。

朕と爾等国民との間の紐帯は、終始、相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし、且つ日本国民を以て、他の民族に優越する民族にして、延いては世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず。

つまり、政府は天皇の言葉によって、天皇自身の神性を否定し、天皇の特殊な地位や天皇統治、政府の侵略政策の正当性を強力に支えてきた記紀神話に基づく政治シンボル(アマテラスも当然ここに含まれる)の存在を否定した。
ただし、これでいっさいの政治シンボルが天皇制の政治文化から失われたというわけではない。なぜならば、「人間宣言」の前段には、明治天皇の五箇条の誓文が敗戦後の新日本の国家的理想として掲げられたからである。ここには、明治天皇が、GHQの要求する政治の世俗化・民主化に対応した理想の君主像と統治像を提供する新たな政治シンボルとしてアマテラスに成り代わり提示されたことが読み取れる。

ここの議論がおもしろいですね。つまり、戦後憲法とは、アマテラスの神話性を
明治天皇
によって代替されることによって、「神話」化を目指した、と。天皇の正当性は、明治天皇「から」始まる。むしろ、クーデターの正当性は、そのクーデター政権が、
どういう支配なのか
によって、その「良さ」を考えるべき、という、しごくまっとうなところにおさまった、と言うことなのだろうか。
日本は、
明治
から始まった。それなら、それでいいんじゃないだろうか。
それは、日本の政治を否定することではなく、むしろ、若き明治天皇が始めた政治を「肯定」するところから始まる、と...。

アマテラスと天皇: 〈政治シンボル〉の近代史 (歴史文化ライブラリー)

アマテラスと天皇: 〈政治シンボル〉の近代史 (歴史文化ライブラリー)