Rie fu「あなたがここにいる理由」

私が東京で暮らし始めて、どれくらいになるのだろうか。
どうして東京で暮らしてるんだろう?
なんで、私は「ここ」にいるんだろう?
よく考えると不思議だ。
別にそうしなくても、よかったのだ。
もっと違った選択があったはずなのだ。

届かない そうじゃない 扉はもう 開かれてる

大学生活から、実家を離れて暮らし始めたのだから、そう考えれば、自分の感触から、実家というのも、ずいぶんと薄らいでいることは確かなのだろう。
たまに、お盆だとか、正月だとかで帰るくらいで、その実家からすれば、自分はもう、「お客さん」なのだ。それは、年々、強く実感する。
自分が実家にいる「理由」は、もう薄らいでいる。
もう、そこは自分がいる場所ではない。
とっくの昔に、そうなのだ。
じゃあ、自分が東京にいる「理由」は、実感のある「厚さ」を示しているのだろうか?
独我論的に言うなら、自分と自分が感覚する世界を区別することには、意味がない。なぜなら、それは自分が「生み出している」のだから。
いつも眺める東京の風景は、私が日々、自分の中から生み出しているものであり、それは自分の中にあるものであり、自分の一部である。
だとするなら、「そこ」には、自分を証明する「なにか」があるのだろう。だって、それは自分なのだから。

あぁ踏み込むだけ 思いっきり
吸い込むだけ この焦燥感を
あなたが今 ここにいる理由は
この雨音知ってる

東京の景色が、「私」なら、「私」がどうしたいのか、なにをしたいのかをこの景色は知っているのだろう。自分がこれから、なにをしたいのかを。
東京の景色が私を知っているということは、自分に語りかけてくるということは、つまり、
私は知っている
のだ。

気付かない そうじゃない 痛いほどわかってる

東京の景色が過ぎ去る。
それは、「自分」のはずなのに、その一瞬一瞬は、次々と、私を置き去りにして、去っていく。思えば、いろいろな人と知りあっては、すぎさっていった。彼らは今、なにをしているのだろう? なにを思っているのだろう? みんな前を向いて、未来を夢見て、建設的に進んでいるだろうか。
自分はなにをしているのだろう?
ふいに立ち止まり、前を見る。もちろん、なにもない。そうなのか? なにか大事なことがあったんじゃないのか。忘れちゃいけないことがあったんじゃないのか。決して、忘れちゃならない、大事なことがあったんじゃないだろうか。
思い出せない!
...。少しずつ、落ち着いていく。少しずつ、自分を取り戻してきて、また、いつもの日常が戻ってくる。そして、また「忘れる」。
でも、いいんだ。
自分はただ、この一瞬。この今を、少し、吸い込んで、少しだけ、少しだけ...。
自分は欲しかったのだろう。自分にないものを。自分にないものを、「あなた」はもっている。だから...。

あぁ胸を張って 思いっきり
吸い込むだけ この瞬間を
あなたが今 ここにいる理由は
この夕空が知ってる
ないものねだり 私にはないものを
あなたが 持ってるはず
あぁ踏み込むだけ 思いっきり
吸い込むだけ この焦燥感を
私が今 ここにいる理由を
これからもさがしてる

私は雨音に問いかけ、夕空に問いかけ、この自分の中から沸き上がってくる
焦燥感。
自分がなぜここ、東京にいるのかの理由を探し続けるのだろう...。

Tobira Album

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