加納実紀代『女たちの<銃後>』

(アニメ「輪るピングドラム」を、なんとか最後まで見たのだが、これは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のオマージュのようなものなんですかね。)
貨幣とは、ある「普遍的」な価値が存在すると仮定することと、関係した「運動」だと考えることができるだろう。
もし普遍的な価値が存在するなら、それを「順序」化することが可能になり、つまり、数値化できるということであり、貨幣の「普遍」性を証明している、と。
では、もし普遍的な価値が存在しないなら、貨幣はどうなってしまうのだろうか。言うまでもない。
大恐慌
となる。価値があると思われていたものには、なんの価値もないことが分かり、その幻想に気付くとともに、人々は貨幣を使うことをやめる。
つまり、これは人間の歴史を覆う「ゲーム」なのだ、と。
貨幣の不思議は、二つの意味において示される。

  • 個別性=地域貨幣化(誰でも生み出せること)
  • 普遍性=グローバル化(どんな貨幣とも「交換可能性」ができてしまうこと)

貨幣は、だれもが、「これが貨幣だ」と言った時点で、貨幣となる。つまり、だれでも貨幣をこの世界に生み出せる。実際に、歴史上に生まれた貨幣は、すべて、その地域での
利便性
において普及したものだ。これがあると便利だから、多くの人が利用し始めるという以外の「使う理由」は存在しない。つまり、だれが生み出した貨幣か、ということになんの意味もない。
ところが、そうやって生み出された貨幣(というゲーム)は、必ず、次のステップに直面することになる。つまり、別の貨幣と「交換」するというステップに。
しかし、もし、ある貨幣と別の貨幣が交換可能なら、その二つを区別することに、なにか意味があるだろうか?
これは、なかなか、難しい問題である。もし、金本位制を採用しているなら、その区別に意味はない、と言えるかもしれない。しかし、金本位制は、なかなか、それを成立させ続けることは難しい。なぜなら、これを認める限り、各国家は自国の「金融政策」を行わない、と言っていることと同値になるから。事実、現在の主権国家金本位制を採用している国はない。
他方、変動相場制においては、その二つの貨幣の「価値」は、それぞれの取引によって「証明」される、ということになる。一方より他方を欲しがる人が多ければ、そちらの方が「価値」が高い、ということを意味「している」と解釈し、価値を「相対的に」高める。
つまり、貨幣の価値は、その「相場」によって成立させている、ということになる。その貨幣を欲しがっている人がどれだけいるのか、によって、それぞれの貨幣ごとの欲しがられ度の「差異」を、交換レートと「連結」する。
しかし、それってつまり、

  • それぞれの貨幣の「上」にもう一つの「メタ価値」がある

と言っていることを意味しているだろう。つまり、これがグローバル化だ。
しかし、よく考えてみよう。グローバル化ということは、各地域ごとの「政策」というのは、存在しない、と言っているのと変わらない。世界のどこかで、
大恐慌
が起きれば、その「信用不安」は、またたく間に、世界中を覆う。

一九三〇年から三年あまり、日本は大恐慌の嵐の中にあった。三〇年一月につづく世界恐慌の波及によって、輸出産業(とくに繊維関係)を中心に倒産企業が続出し、失業者はうなぎのぼり、三二年には、その数三〇〇万といわれている。職を失った人々はふるさとの農村に向かったが、しかし農村も、疲弊の極にあった。製糸業の不振で養蚕農家は壊滅的な打撃を受けた上に、三一年は未曾有の大凶作。都会からの失業者でふくれあがった農村は、飢餓線上にあえいでいたのだ。地方新聞の紙上には、欠食児童や娘の身売り、親子心中が、連日のように報じられている。
エロ・グロ・テロの横行は、こうした恐慌下の民衆疲弊を背景にしている。テロについていえば、三〇年一一月浜口雄幸首相、三二年二月前蔵相井上準之助、三月三井合名理事長団琢磨......と、暗殺(未遂)事件があいつぎ、三二年五月には、青年将校による五・一五事件が起こっている。これらのテロを実行した血盟団員、青年将校たちの胸に、農村の惨状を放置している政財界に対する怒りがあった。
エロについても、同様だ。恐慌のなかで、花柳界はさびれ、ちゃんとした芸をもった芸者の玉代は減る一方なのに、遊廓・カフェーは大盛況、そこで働く女たちも増加の一途をたどっている。

グロは、こうした女たちによって織りなされる<エロ全盛>の結果である場合も多い。このころ、押入れのなかに、赤児の白骨死体がゴロゴロ----といった陰惨な「貰子殺し事件」が相ついだが、殺された赤児の多くは、<エロ全盛>のなかで生まれた<父なし子>であった。
こうしたエロ・グロ・テロの横行のなかで、若者たちは三Sにうつつをぬかし、大島三原山火口に身を投じて自ら生命を絶った。そして親たちは、これらの若者を、ただオロオロと見守っているよりなかった。<革命>なんぞに夢中になるよりは......との思いがあったからだ。
一九二〇年代後半から三〇年代はじめにかけて、知識人の間では、<左翼全盛>の感があった。論壇には、この恐慌を資本主義の断末魔現象と見、革命運動への参加を呼びかける声がこだましていた。これらの呼びかけにこたえ、数多くの若者が革命の戦列に参加し、そして無残な敗北を喫している。過酷な弾圧もさることながら、アカを一人出せば、家族ぐるみ村八分になるといった風土のなかで、家族の懇願に負けて、自ら戦列を離れる若者も多かったのだ。
こうした若者たちは、<革命>を裏切った罪悪感をまぎらわせるために酒と女に溺れていく。そして大人たちも、浅草の歓楽街でナンセンス劇に興じ、カジノ・フォリーの舞台にかじりついて、見えがくれるす股下三寸のズロースに見入る。いい年をしてヨーヨーに夢中になり、「東京音頭」に踊り狂う----。

そういう意味では、戦後、私たちは、グローバル化セカイに生きていた。そのように感じられなかったのは、冷戦や南北問題のような、
国境
による、人や物な情報の移動を制限することによって信じられてきたから、であろう。近年、さかんにグローバル化が言われるのは、まず、ネットによって、こと
伝言ゲーム
においては、ほぼ、光の速さと同じくらいに「平等」になったと思われていること、また、冷戦崩壊や中国の改革開放路線などにより、飛行機などの実際の人の移動も、かなり、自由になったことによるだろう。
あらゆる製造現場で、より「安い」労働者を求めての、工場の世界中「放浪」が始まるのと一緒に、「労働者」が、それぞれの場所で生まれ、そして、それらの場所で、
市場
が生まれる。白物家電など、今まで買えなかったような、アジアの田舎でも、工場で小金を稼ぐ「労働者」があらわれ、実際に売れるようになり、その地域が、先進国の市場と変わらなくなっていく。
それと同時に、先進国内の工場は、どんどん閉鎖され、先進国には、仕事がなくなる。多くの人々は、生活保護によって、所得を「管理」され、無駄使いを「管理」され、日本全体は一つの「社会主義国」に近づいていく。
なぜ中国や北朝鮮の体制は、今もって、続いているのであろうか。一般にはこれは軍事政治によると考えていると言えるだろう。天安門事件を代表として、軍隊による示威行動が、国民の反乱の意欲をくじいていると。
しかし、東ドイツにしても、ソ連にしても、それをのり超えて崩壊したわけで、なにか、アジア地域の「特殊」な事情を考えたくなる。
とりあえず言えることは、中国も北朝鮮も、「とりあえず」国民が全員飢えているわけではない、ということだろう。アジア地域は、その湿潤な気候もあり、それなりに、食べられる。そうであるなら、本質的に国民が国家に、なにかを求めるという「正当性」を考えられない、ということはあるのだろう。
さらに、中国の近年の経済発展(さまざまな統計において、アメリカを上回ってさえいる)は、同時に、北朝鮮の存続に大きく影響していると思われる。中国が北朝鮮の体制を崩壊させたくないと思い続ける限り、北朝鮮への経済援助を続けるだろう。
戦後すぐから、私たちはすでに、グローバル化の中にいた、と言うとき、そこでイメージしているものは、国連である。つまり、国連とは一つの「国家」、世界共和国であった。もうすでに、その頃から、そうであったのであり、そうでないと言うことは、欺瞞である。すでに、そこで、世界の「ルール」は一つであり、世界の「価値」は一つの「民主主義」によって、決定されていた。
だとするなら、世界中のあらゆる、矛盾や不条理は、国連によって解決できたはずである。
私が感じる違和感はここにある。近年の、日本の「貧困化」は、相対的に、BRICsや東南アジアの発展の「恩恵」を、日本やアメリカの労働者が享受していないことにある、と言えるだろう。
他方において、北朝鮮のような国は、あれだけ、一見、国民は貧困の中にいるように、私たちからは見えるのに、なぜか、国民は反乱を起こさない。これはなぜか? 私たちが彼らを「貧困」と見るその「価値観」と、彼らが自らを「貧困」と見る「価値観」が、そもそも、なんらかの、「齟齬」を起こしている、ということなのではないかだろうか。
それは、ある種のデジャビュと言えるのかもしれない。つまり、今の北朝鮮は、戦前の日本にあまりにも似ている。今の北朝鮮の人を「不思議」と思うことは、どこか、自らの国の、第二次世界大戦中の、総力戦体制時の、日本人自身に、問いかけているように、どうしても、重なって思えてきてしまうのだ。

それにしても、なぜ、戦争はたんなる武力戦ではなく、経済戦、思想戦を含めた総力戦でなければならないのか。「陸軍パンフ」によれば、第一次世界大戦以後の「学芸技術の異常なる発達と、国際関係の複雑化」、そこから来る「戦争規模の拡大」による。
たしかに、植民地再分割をめぐって戦われた第一次世界大戦は、人類の歴史はじまって以来の大規模なものであり、したがって、各国が投入した<人的及び物的資源>は、これまでの戦争とは比較にならない大量なものだった。この戦争ではじめて登場した飛行機、潜水艦、戦車等は、戦争の帰結を大きく左右したが、それらの兵器は、<物的資源>をとてつもなく消費するものであったし、また、それらを用いての戦闘は、これまでとは比較にならないスピードで「人的資源」を消費する。
したがって、戦争の勝敗は、大量に消費される<物的資源>、<人的資源>を、いかに早く、いかに多く補給し得るかにかかっている----。これが、第一次世界大戦の動向をつぶさに検討した軍関係者が出した結論である。

第一次世界大戦第二次世界大戦は、一つのフレームの上で展開された「ゲーム」であったと言えるだろう。植民地獲得競争と、「塹壕戦」。
塹壕戦は、その局面において、非常に典型的であると言える。あらゆる局面は、塹壕戦のアナロジーで説明できるだろう。
塹壕戦は、それぞれ新たなテクノロジーによる、武器の投入によって、次々と戦局が変わっていった、非常にドラマチックな「戦争」だったと言えるだろう。
この戦争の特徴は、とにかく、「たくさん」の人と物の「補給」が必要だった、ということである。
ということは、どういうことであろうか。
人手が手に入るなら、どんな手段であっても、かき集めなければならない、ということを意味する。
国内においては、国民皆兵義務、つまり、徴兵制となる。では、女性はどうなのか。確かに、戦中において、女性が最前線で戦うことはなかった。それは、なぜか。言うまでもない。
再生産
と関係する。女性はとにかく、次の世代の「戦力」を産む「役割」がある、と考えられたからであろう。

一九四一年になると、戦線拡大の結果、労働力不足はいよいよ深刻化し、四一年一一月、国民勤労報国協力令を出して、十四歳から二十五歳までの未婚の女たちに対して、一年に三十日間の勤労奉仕を課した。しかし、その半年ほど前に出された「人口政策確立要網」には、<人的資源>増強のために、女は二十一歳未満で結婚すべしとされており、「女子の被傭者としての就業については、二十歳を超ゆるものの就業を成る可く抑制する方針をとると共に、婚姻を阻害するが如き雇傭及び就業条件を緩和又は改善せしむる如く措置する」とある。

しかし、だからといって、彼女たちが「戦わなかった」と言うことは、正しくない。彼女たちも、日本国内において、工場で武器を作るなど、戦争に深く関係していた。彼女たちも、「間接的に」人殺しをしていた、と言える。
しかし、その「戦争」とは、なんだろう?
これは、現代についても言える問いではないだろうか。戦後、第一次世界大戦第二次世界大戦の特徴としてあったフレームはなくなる。それは、原爆の発明による。
これによって、戦争の意味が変わってしまったのだ。
戦争は、世界終末戦争を意味することとなり、つまり、戦争の「不可能」性が証明された。もうどこの国も、「本当の意味」での戦争を行うことができなくなる。つまり、戦争とは、「警察」行為のこととなる。
世界のグローバル化が完成する。
これ以降、世界中に、企業は進出する。マクドナルドが進出した国で、戦争が起きていない、とはそういうことを意味する。各国の経済は、すでに、その他の国に存在する、企業を始めとした、さまざまな経済単位と深く繋がっているため、簡単に戦争をできなくなった。つまり、戦争を始めることが、国内の企業の浮沈を左右するため、
同意
をかき集められなくなった。
じゃあ、世界は「平和」になったのか?
こう問うことは、一体、「何」を問うていることになるのだろう?
私が言ったのは、第一次世界大戦第二次世界大戦のフレームがなくなった、ということでしかない。つまり「それ以外」は、なにも変わっていない。
そういう意味では、今でも、私たちは、「国家総動員体制」を生きていると言えないこともない。
近年の日本の閉塞感は、このことと関係していると言えるだろう。なぜ、バブルの頃まで、日本の労働者はそれなりに裕福となりながら、それ以降の「グローバル化」の中で、貧富の格差が広がり、日本の相対的な貧困が進んでいるのか。なぜ、北朝鮮は、あれだけの絶対的貧困にありながら、国民の反乱が起きないのか。
そのすべてを、各国が今も「国家総動員体制」を生きているから、と言えないこともないのではないだろうか、と思えてくる。そう考えるなら、21世紀の日本の今後において、さらなる、
相対的貧困
が訪れるのではないか、という予想も、あながち、根拠がなくはない、ということになるだろう。
国家とは、なんだろう? これを私は、「ヴァーチャル・リアリティ」と定義してみよう。国家とは、一つの「箱」と考えるのだ。
私たちは、その外にいない。もちろん、それは「言語」の問題もあるが、そもそも、この「箱」の外に出ない限り、その外の「リアリティ」を理解できるはずもない。
その「箱」の外は、中の人にとって「存在」しないわけではない。その箱の外は、
観念
として「存在」する。つまり、「夢」として。

とくに若い娘にとっては、<戦争>は観念の世界だった。彼女たちにとって<戦争>は、軍歌に歌いこまれた<男の友情>の世界であり、映画にみる突撃シーンであり、新聞の中の「壮烈なる戦死」である。そして、小学校の時ワルでどうしようもなかった魚屋の竹ちゃんや、グズで泣き虫で、女の子にまでバカにされていた正男までが、軍服を着たとたん、にわかに凛々しくたくましく、近よりがたい存在になる----。
「娘同士、あまり男の人がきれいすぎて、と呟きあった」
日中戦争開戦当時、女学校二年生だったある女性は言う。
<銃後の女>の多くにとって、戦争の生々しい実態がみえなかったということ、それはあの戦争が、他国を戦場とする侵略戦争であったからだ。娘たちの眼に、男たちが急に美しく見えはじめたころ、他ならぬその男たちによって、中国の女たちは、強姦・輪姦されたうえに、乳房を切りとられ腹を切り裂かれ......まさに血の海にのたうっていた。その中国の同姓たちの苦悶を、ほんのわずかでも感じとることができれば、女たちは、あれほど熱心に<銃後の務め>に励みはしなかったろうと思う。

これで、なぜ、戦中の日本で、男だけが、徴兵されたのかの理由が分かったであろう。つまり、女性を徴兵できなかったわけだ。男と女を同じ「軍の組織」内で、混合して、組織を編成できなかったわけだ。なぜなら、男には上記のような、
慣習
があったから。日本の軍がなぜ「負けた」のかは、この延長に考えることができるだろう。たしかに、物資などの問題もあったのだろうが、そもそも、中国や韓国の人々を本気で、徴兵する気があったのかは疑問と言わざるをえない。
第一次世界大戦第二次世界大戦のフレームとは、人的資源、物的資源、の終わることのない「投入」のことであった。そうであれば、日本国民かどうかなど関係なく、どこまでも、人的資源を投入し続けなければならなかったことは自明なわけで、中国や韓国の人々に
恨まれている
時点で、日本がこの戦争に勝てるわけがなかったのだ。つまり、日本は、戦争に勝つ気がなかったのだ。
このように考えてきたとき、果して、日本は戦後、変わったのか、というところから疑問に思えてくる。一体、戦後になって、日本のなにが変わったのか。ずっと「同じ」ことをやっているようにさえ、思えてくる。あい変わらず、国内という
観念
を夢見て、国外という
観念
を夢見て、戦前と同じように、日本は貧しくなっていくのだろうか...。

女たちの「銃後」

女たちの「銃後」