憲法2.0

思想地図という本の最新刊に載っている、憲法改正案について、読んでみた(ニコ動の方は、ちょっと、おもしろかった。人は年ととると、おもしろくなるんですかねー)。
まず、これが「改正」なのか、「新」憲法として「交換」するような(ある意味での、革命のような)位置付けなのか、については、現在の憲法との対応関係が、記事の構成によって、上下に並列されているところから、意図としては、前者に近いのではないか、という印象を受けた。
そのように読むと、この新憲法案は、現憲法の下に存在しているさまざまな法律の改正手続きを、比較的容易になるような、「対応関係がはっきり分類可能な」部分を考慮した、現在の憲法の「理念」を、

  • 維持

し、この新憲法案を考えた人たちが考える今の憲法の「意志」を、比較的に「継承」しようとした内容なのではないだろうか。
そういう、今の憲法の「意志」を継承しようとしている(もっと言えば「守ろうとしている」)、という意味では、私のような比較的、護憲を重要視して考える人間には、好印象を与えるものだったと思う。
(特に、憲法改正の手続きを、第一部と第二部に対応して、その「やり易さ」に差をつけた、という部分は、一つの見識なのだろう、と。つまり、「基本権」に近いような重要な憲法が、そう簡単に変えられては困る、という意味で、現行憲法は、そういった理念から、憲法改正がかなり難しくなっていると考えられるので、それを引き継ぐ意味があるのではないか、と。)
全体の印象は、かなり「護憲左翼」の考えるような、国際的な知的なインテリの主張を満たす、理知的な印象を受ける。

  • 天皇の国権における今の位置をほぼ変えずに、総理を「首相公選制」とする。
  • 実質的な一院制。(もう一つは、あるにはあるが、立法機能をほとんどなくなっている、エリートによる、監視的なもの。)
  • 「住民」という概念の導入により、「外国人参政権」を認める。

個人的に、私がこの憲法案をいいなと思ったのは、「地方自治」を明確に憲法内で定義化できているところだった。

さらに第二五条において、地方自治を構成する住民自治と団体自治の理念を明記した。それを反映して、各基礎自治体とその連携体および広域行政体がそれぞれ適切な運営の組織形態と形式を選択できるものと定めた。これは英国や米国で見られる直接首長公選制や議院内閣制、委員会制、都市マネージャー制といった多様な組織形態と形式を、それぞれの地域に適するよう創意工夫をこらしながら採用していく、一国多制度の構想である。

このように第二三条から第二七条まででは、日本社会に地方自治の理念を導入するだけではなく、常に地方自身が実情に即したかたちで将来像を選択し、責任を持って組織や運営形態を改変できるようにすることを目指した。

(西田亮介「基礎自治体」)

日本2.0 思想地図β vol.3

日本2.0 思想地図β vol.3

地方自治を定義しながら、ここまで「なんの制限もない」というアナーキーな過激なものとは思わなかったが)この部分については、自分の考えにも近く、逆に、応援させてもらいたいくらいに思った。
安冨さんの近著にも書いてあったが、21世紀以降の未来を考えていくとき、私は近年のコンピュータの「個人化」は、非常に重要になってくるのではないかと思っている。

時代が下るにつれて、機械はシステム化し、集団もそれにあわせて巨大化しました。そうなると本家の西欧諸国よりも集団原理の強い日本社会のほうが、うまく対応するような事態まで起きたのです。この時代を代表するものは、大工場、鉄道、郵便、電話、戦艦、そして挙句の果ての核兵器でした。言うまでもなく原発は、核兵器の副産物です。
しかし、コンピュータの出現は、この流れを根本的に変えました。はじめはコンピュータ自体が巨大であったので、変化はよく見えませんでした。しかしコンピュータは恐るべき速度で小さくなりました。つい二〇年前に巨大な建物を占領していた計算機が、現在では各人のポケットに入ってしまいました。

幻影からの脱出―原発危機と東大話法を越えて―

幻影からの脱出―原発危機と東大話法を越えて―

コンピュータの個人化によって、明治以降の日本社会が得意としていた、

  • 団体行動

の利点が、あまり世界的に感じられなくなっている。つまり、コンピュータが、どんどん個人化することで、日本社会は、あまり世界に今までのアドバンテージがなくなってきた。だから、中国やインドのような、こういった日本的な団体行動を得意としない社会が急速に発展を達成し始めている。
たしかに、このことは日本が今までのような国際的な「一等国」の地位を独占できなくなっていくことを意味しているのだろうが、逆に言えば、日本人自身も、どんどんと「個人化」が進むことで(それは、最近の原発デモについての印象にも言える)、日本人自身が、それまでの上の世代が耐えていた「同調圧力」を、あまり感じなくても生きられる、

への、「手がかり」をつかみ始めているようにも思う。
つまり、コンピュータの個人化によって、日本人が今のソーシャルメディアを通して、

  • 政治的存在

となると同時に、

  • 政治の個人化

が進んでいるようにも思う。上記の憲法もそうだが、見ると、ほとんど具体的なことは書いていない。書いてあるのは、「基本権」に近いもので、つまり、今の国連のような機関に、日本の国会もなっていき、具体的なことは、より、

  • 実情

を分かっている、各地域が地域の事情で決めていく。そしてその究極の姿が、政治の個人化、ということなのだろうか...。
日本社会に、もう一つ起きるだろうと思う特徴は、「高齢化」であろう。高齢化は、先進国の病気のようなもので、90歳代のお年寄りを、60歳代のお年寄りが、「介護」をするような家庭のことであって、当然、相続税も、90歳代から60歳代に移り、20〜40歳代の、最も次世代の「再生産」を託される世代の、

  • 貧困

つまり、「少子化」社会を加速する(このあたりについては、もっと、外国人を「住民」として、日本社会に受け入れていくような形での、「改善」を定言されているのかな、とは思ったが、まあ、中国だって、高齢化ですからね...)。
あとは、素朴に思ったのは「情報通信技術」を、国家運営の「前提」として書きこんだことによって、代議制の理由とか、電気が作れない場合の国家運営を想定できなくしてしまっている面があるのかな、とか、そんなところだろうか...。