黒い彼女

善悪二元論が、空疎なのは、その人が悪人になる「前」があった、ということに尽きている。つまり、その人は、ある「状態遷移」を経て、悪人になっただけであって、それ「以前」は、そうでなかったわけだ。
だとするなら、私たちが興味をもつべきは、その「遷移」の

  • 法則

なのであって、よく考えてみれば「その人が善か悪か」などという問いは、

  • その人は「今」、善か悪か。

と問うているにすぎない。人それぞれ、その一瞬一瞬で考え悩み行動しているんだから、そんなその一瞬の「状態」を切り取って、永遠の一秒みたいに言ってみても、しょうがないだろう。
悪人になる「前」。その人はずっと、自分が悪人に見られないように、必死に善人を演じてきた。でもそれって、

  • 善人だった

ってことなんじゃないの? ヘーゲル的な「最後=目的」において、歴史を見る考えの人は、今のその人の「悪」を「本質」として、その人の人生全てに、適用し始める。今、こういった悪があるということは、過去から、こいつの「本質」は悪だったのであって、たまたま、今に至るまで、ばれなかったにすぎない、と。
しかし、そんなふうに言うなら、なんとでも言えないか。
そいつは「悪」だと思って、過去の人生をしらみつぶしに見てみたら、なるほど、いろいろとトラブル人生を歩んでいて、こんな環境で育ったのなら、納得だ、と。
ところが、そう思っていたら、どうもその「罪」は冤罪だったことが分かる。すると、過去の見え方まで変わる。こんな環境でも、立派に育たれて、本性において善人なのだろう、とか。
こういった考え方を「本質主義」と言っておこう。さて。ミネルバの梟(ふくろう)が、いつ飛び立つんでしたかね。

  • 本質などあるのか?

本質とは「イデア」だ。ということは、本質などないってことだ。本質だとか表層だとか、ちゃんちゃらおかしい。

  • それ。

「それ」があるだけだろう? なんで「それ」を別の言葉で言い換えようとするの? それをそのまま、あるがままで認めないの?
なぜなら、人間には「そのまま」に耐えられないのだろう。それを「そのまま」受け入れることに耐えられない。だから、抽象的な言葉で、なにか「別のもの」で呼び代えることで、

  • 自分の得意な

屁理屈の世界に、相手をヴァーチャルに、ひっぱり込み、(自分の得意な)「論理の殻」に閉じ込もることで、「それ」を直接体験することの耐えられなさを回避する。
世の中、全部、「言い換え」。
言い換えた時点で、全部「別」のこと、なのにね。
さて。ラノベココロコネクト」の第4巻のポイントは、どこだっただろうか。
黒い永瀬伊織(ながせいおり)の、何週間かの間、文研部の他の4人は、彼女と距離を置く。私はそれを見ながら、

  • なるほどね。

と思った。作者はうまい。つまり、彼女がいなくても、みんな「楽しそう」に描かれている。黒い彼女は、彼らの文研部という青春にとって「邪魔」なわけだ。
じゃあ、この物語にとって、永瀬伊織(ながせいおり)って、なんだったのだろうか? 彼女がいなくても、彼らはけっこう楽しそうにやっていた。実際、いないならいないで、最後までやれたんじゃないか?
部活動発表のための準備作業を、彼女抜きで、もくもくと作業する姿は、なかなか、考えさせられた。おそらく、黒い彼女が最後まで戻らなくても、彼らは4人で発表会を行い、わいわいがやがや楽しそうに、青春したのだろう。
私は逆に、そういう描き方に、納得してしまった。
では、なにをきっかけにして、永瀬伊織(ながせいおり)は、再度、文研部にコミットメントしていくことになったか。
彼女のせいで、文研部に迷惑をかけたことを知ったから。彼女をうらむ相手が、文研部の作成した資料類を滅茶苦茶にしたことを知って。彼女は、

  • 迷惑をかけたくない

という一心で、怒りだすわけですよね。
これってつまり、彼女が文研部に対して、本気で「デタッチメント」であろうとするからこそ、そういう決意を本気でしているからこそ、

  • 自分が原因での彼らへの迷惑

が許せなかった、という「逆のコミットメント」が起きた、ということなのでしょう。むしろ、デタッチメントがコミットメントになる。
まあ、現実社会も、そんなところがなきにしもあらずですよね。
私は、まだ、この第4巻までしか読んでないけど、はっきりしていることは、他の4人は、まったく、彼女のことを理解できていない。恐らく、

  • 想像

すらできないんじゃないだろうか。彼女が今まで、どんな人生を歩んできたか、を。何度も父親が変わり、その度に、そのセカイを受け入れてきた「それ」を。
おそらく、その理解されていないというコントラストを強調する形として<ふうせんかずら>や<二番目>が、むしろ、彼ら4人

  • よりもずっと彼女を理解している

かのように読者からは、見える形で描かれる。
そういった中で、稲葉姫子(いなばひめこ)の姿は、ある存在感を彼女に与えていことは間違いない。

「どれだけお前の理想は高いんだよ! 確かにアタシ達も無意識の内にお前に過度な期待をしていたかもなっ! でもそれに完璧に......綺麗に応えようとし過ぎて、無理をきたして、って。ただの......バカだろうが!」
なんかあの時と立場が逆転してるなっ、と稲葉は思い出したように付け足した。
あの時、とはいつのことだろうか。
「気持ち悪いくらいの完璧主義なんだよ! 上手くやれないから全部やめるってなんだよ! それじゃ今までのお前が全部嘘みたいじゃねえか!」
嘘と断じられ、慌てた様子で永瀬が返す。
「だからっ......嘘じゃないって......! あれも確かにわたしで......」
「だろうよ! てか気づいたよっ、お前の問題に! お前は......できるできないの二元論なんだよ!」
そう宣告された瞬間、永瀬は大きく目を見開いていた。
「なんでどっちかなんだよっ! 今までの理想の自分じゃいられない? だからそれとはかけ離れた嫌な自分でいく? バッッカじゃねえの!? 極端なんだよお前はっ。理想の自分ばっかじゃいられないんだったら、適当にガス抜きしてバランス取るぐらいしろよっ! 溜め込んで最後ブチギレるってどんだけやり方下手なんだよ!」
稲葉の怒涛のラッシュに、永瀬は完全に棒立ちだ。
「もうはっきり言ってやろうか! なんだ、みんなに期待された、だ? バカか? 何様のつもりなんだよ。なにどこぞのメインヒロインぶってんだよ、あ? 誰がどれだけの興味を持ってお前を見てると思ってんだよこの自意識過剰っ。誰もお前がどうやってどうなるかになんて無茶苦茶興味がある訳でもねーよバーーーーーーーカ!」

ココロコネクト ミチランダム (ファミ通文庫)

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稲葉姫子(いなばひめこ)は、この4人の中では、最も彼女との「つきあい」も長いし友情も厚い。そういった、長い間の時間の蓄積がある。
もちろん、彼女も永瀬伊織(ながせいおり)を分かっていない。その鈍感さは、さまざまな端々に感じられる。しかし、それを稲葉姫子(いなばひめこ)は自覚している。自分が分かっていないことを自覚している。でも、だからこそ、あえて、鈍感であることをさらけだすわけである。
相手を分からないということは、相手を「自由」な存在として扱っていることを意味する。そういった、自分の無防備さ「だけ」が、相手の「警戒」を緩めさせられる。そうやって、相手に自分との「距離」感を測らせられるようにさせることによって、そうやって保てている距離という「信頼」が、その人の

  • 社会性

の獲得にフリーハンドを与える。
稲葉姫子(いなばひめこ)は、自分が永瀬伊織(ながせいおり)を分かれないことを「気にしない」のだ。なぜなら、自分「が」分かれないことなどとは
較べものにならないくらい
に重要なことがあるからだ。つまり、永瀬伊織(ながせいおり)そのものの方が。そうして、自分は恥をかく。自分は傷つく。いいじゃないか。それが彼女の「自由」を担保するのだから。
永瀬伊織(ながせいおり)にとって、ブラック永瀬かホワイト永瀬かは、

  • 等価

である。彼女は現状を「ある条件」の下にあると考えることによって、ブラック永瀬を振る舞ってきた。では、それがもし変わるとするなら、その「条件」は、なんだろうか?

「わたしがいい策を教えて、手伝ってあげようかって言ってるんだよ」
自分の顔の角度を工夫して、相手にミステリアスな印象を与えるように努める。そうできていると、信じる。
自分の大嫌いでもあり大好きでもある『演じる能力』を、信じる。
「......はあ?」
男が、予想外の申し出だと言わんばかりに、訝しげな顔をする。
「......どういうことだよ......永瀬?」
戸惑った様子の太一が尋ねてくる。......だから太一は戸惑わなくてもいいんだって! 自分の段取りミスのせいだけど!
ちらと視線を動かす。瀬戸内は端の方で縮こまったままだ。困惑し過ぎて動けなくなっていることが見て取れた。無視して大丈夫そうだ。
なるべく低く、そして独特のリズムをつけて話す。
「わたしさぁ、こいつらにちょっと恨みがあってさ。そっちに協力したい訳。敵の敵は味方、って考えてくれればいいんじゃないかな?」
この男にはたぶん、『敵の敵は味方』みたいな言葉が、はまる。
最近精度が悪くなってきたが、自分の『他人の好き嫌いを見破る力』が教えてくれている。
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彼女は、自分が最も嫌っている自分の「演じる能力」(悪空間における悪作法)によって、4人の仲間の危機を救う。つまり、どういうことだろう?
彼女は自分の中の「悪(と自分で思っているもの)」によって、実践的に未来を変えていく、その「体験」を繰り返すことによって、環境を変えていくことへの、

  • 自分との間を保てる距離感

に気付いていく。つまりは、それまでの、4人の仲間(が構成する善空間)に対して、とりうる距離感を理解し、

  • 善空間の側でも、もう少しなんとかなるかもしれない

という、「免疫」によって、「もう少し、こちら側でやってみようか」ということになった、と考えられるだろう...。