憲法2.0についての追記

前回の憲法2.0 について、一点、言及し忘れていたのが、プライバシー権について、かなり積極的に考えようとしている印象を受けたことだ。この問題を徹底して考えることは、私の考える「暗号社会」の要諦でもあるので、そういう姿勢は個人的には評価したい、という印象を受けた。
あと、前回ふれた後、ちょっと気になったところが、憲法改正の部分である。私はこここそ「全て」だと思うのだが、この憲法は、「第一部 政体」と「第二部 権利」と
意味論
的に「章立て」が分けてしまっている。しかしその、分けたということが「どういうこと」なのかを定義できていない。そのため、「たんに見易いように分けた」とも受け取れる。ところが、それぞれに対して「改正の手続き」が違っている。つまり、これらはなんとでも受けとられて使われてしまう可能性を感じる。
特に問題なのは、「第二部 権利」の今の(基本権的な)条文を実質変えられなくしている点であり、さらに「そこ」への、追加が比較的容易にされてしまっている、ことだ(しかも、そこに、なにを追加できるのかの定義、制限もない)。
憲法とは「全体」でなんらかの意味を発信するものだと考えるなら、変更できないというのは後世に重い負担を残す。また、そういったカテゴリーに比較的、追加が容易になっているのは、国政の代議制的な暴走を許す面を感じる。
つまり、こういった憲法「そのもの」に対する「意味」的制約は、憲法の「自由」度を制限しているようで、いい印象を受けない。
そのように考えていったとき、そもそも、この憲法案が、今の憲法の意味的な改正と、憲法そのものの「自己言及的」な「意味的変更」の二つが、ごちゃごちゃに、混ぜ合わされて呈示されているのが気になる。
つまり、

  • 憲法のリストラクチャー(さまざまな文の意味的な整理)
  • 憲法の意味的ヴァージョンアップ(新しい社会のニーズに対応した条文の追加・変更・削除)

の二つは、別の問題として、分けて検討されないと、ちょっとまともな議論に耐えないんじゃないか。
私はそういう意味では、前者にまったく関心がない。後者こそが重要だし、むしろ後者「だけ」が重要だと考えるので、そもそも、条文の順番が変わっていたり、不要だと判断した部分を削除されていたりするのは、いい印象を受けない。
しかし、そう考えると、なぜ憲法改正なのかが、あまり明確じゃなくなる。なぜ法律ではいけないのか(一部、政体の変更に、どう考えても憲法そのものの改正が必要だろう、というものがあることを認めないわけではないが、だとするなら、「その差異」を明確にしていないのも、議論を混乱させるように思われる...)。
ただ、ここが、この憲法案を「更新」と考えるのか「新規作成」と考えるのかの違いでもあるのだろう、とは思った。
つまり、これを「新規作成」と考えるなら、SF的なパラレル・ワールド。一つの思考実験と考えてほしい、ということなのだろうか、と...。