高学歴者による「いじめ」

世の中には、さまざまな言説があるが、それらの「真偽」を問うということは、一般的には、それらの「科学的真理」を問う、ということに対応している、と言えるだろう。

  • 科学者集団の科学的「手続き」:世の中の言説 --> 真理 or トンデモ

この場合の、「世の中の言説」については、なんでもいい。世の中にある「噂」レベルでもいいが、一般には、科学論文のようなものを意味していて、それを、科学者集団内における一定の

  • 手続き

によって、真理か「トンデモ」かを、「ジャッジ」していく。そしてその論文は、当然、その科学者集団内の人物によって主張されてもいい。
また、この吐き出され、真理かトンデモかに分けられた言説についても、また、社会がその判断に疑問をもてば、もう一度、上記の「手続き」によって、再審査をされることがあっていい。つまり、この真理は、

  • 再帰的(循環的)な真理

という性格をもっていて、まあ、こういうことをいつまでも繰り返していたら、ちょっと変ではあるが、かといって、原理的にその態度が否定されているわけでもない。
上記において、言うまでもなく、問題は「科学者集団」である。彼らは、どういった人たちによって構成されているのか。
そういう視点から考えたとき、実質的に、現代の科学者集団は、小中高大のエスカレータ式の「教育」システムを、かけ上がってきた人たちによってるることが分かる。つまり、非常に、

  • 国家の教育システム

と密接に結びついて、育まれ、構成されていることがわかる。
つまり、科学とは「国家システム」だ、という部分を大きく指摘せざるをえない。もちろん、そういった科学学会は、ユニバーサルなものだから、本来は国境とか、なんの関係もないのだが、こと、国内に限って見たときに、そこには、

  • 国家教育の選別の「結果」

という色彩が大きくあらわれている(実際、予算や補助金の配分などを考えても、大学教授のポストが、まったくの、国の権力中枢と無関係とも思われないわけで、また、その「独立」を主張したいのなら、それなりの、「自治」を実現するための、「システム」作りをやっているのか、ということになるだろう)。
ネットを見ていると、いわゆる、アカデミズムの人たちが、自分の専門以外の人を捉まえて、

  • 袋叩き

なまでに、その「トンデモ」を、ボロクソ、けなしている姿が、多く見られる。しかし、実際に、その当事者に、直接に、

  • 諫言

しているという様子は見うけられない。最初から、「こいつの性根は腐っていて、害悪をふりまき、世間に悪業を繰り返すことは、まぬがれないのだから、徹底して、社会から排除していこう」という、

  • いじめ的行動

を、無邪気に「楽しんでる」姿が見うけられる。
しかし、私には、こういった態度は、さまざまな視点から問題を含んでいると考えている。
まず、こういった科学者集団、つまり、大学の教授たちは、上記で指摘したように、そもそも、日本の幼少期から続く、学校システムの「選抜者」であるわけであって、つまり、彼らは、理由はどうあれ、

  • 公共的な教育機関から、「選ばれてきた」人たち

ということである。ということは、「選ばれなかった」多くの人たちが現前として「存在する」ということである。
自分は国家に選んでもらった「から」、今のアカデミックな知識の習得があったのに、「選ばれなかった」人たちを捉まえて、

  • バカ、アホ、マヌケ

とか、どのツラ下げて言ってるんだ、ということであろう。「選ばれなかった」人たちは、「本当はやりたかった」人たちなわけであろう。それを、

  • お前がいたからできなかった

にすぎないわけで、そんなことを言うなら、学生時代に戻って、お前が、学科の入学を辞退していれば、そいつにポストが空いたのだから、そいつは「バカ、アホ、マヌケ」にならなくてすんだわけであろう。
つまり、こういった、「無邪気な」大学教授たちの、大衆侮蔑っぷりこそが、人格的問題を抱えてるんじゃないのか、ということになるだろう。
大学教授たちにやれることは、

  • 啓蒙・教育
  • 諫言
  • 法制化

この三つしか、ありえない。
もし、その知識が大衆に必要だというなら、どうぞ、小中の「義務教育」で教えやがれ、それをやってないで「知らない奴はバカ」とか「迷惑」って、教えてないのに分かると思っている、お前がバカということであろう。
そして、本当に相手に分かってもらいたいなら、どこまで「諫言」をしたのか、ということであろう。陰で、こそこそと

  • 噂(うわさ)

をばらまいて、相手の評判を下げることしか能のない日本の学者って、本当に社会の役に立っていると言えるのか、ということであろう。
そして、そもそもの根本にたちかえるなら、つまりは、「法律」にしてないのに、怒ってるから、「幼稚」だっていうわけであろう。一人一人を、つるし上げて、カタルシスにひたっているだけで、ようするに、そいつが
嫌い
と言っているだけにすぎない。それがダメなら、

となるように、実際に、法律の作成を目指せばいい。そして、実際に「牢屋」に入れたらどうだ? その努力をしないで、「バカ、アホ、マヌケ」とか言っているから、前近代の野蛮人にしか見えないわけだろう。

  • 福島の農業を守りたいなら、国民の一定以上の年齢の人には、強制的に福島の農産物を「定価」で買わせる法律を作ればいいではないか?
  • 福島の人を、「脅して」県外に移住させては「いけない」と思っているなら、そういった行為を「禁止」する法律を目指せばいいではないか?
  • フリーのジャーナリストの記事の品質が悪いというなら、フリーのジャーナリストを「規制」する法律を目指せばいいではないか?
  • 危険を過剰にあおるのが問題なら、それを禁止する法律を作ればいいではないか?

ようするに、陰で個人を「恫喝」してるんじゃなくて、堂々と、

  • 政治活動

をされたら? ということであろう。なんのことはない。科学とは、最後は「政治」なのだから...。