中村礼治「吉本隆明と原発」

吉本隆明がなぜ、原発推進派であり続けてきたのか。それは、彼の持論に関係している。多くの人たちは、その吉本の持論をまともに相手にしない。それは、いわゆる思想家なる、いっぱしにものを考えている大人が口にするには、どこか「文学」的で、ナイーブな印象を受けるからだ。
しかし、3・11以降。その吉本隆明の戦後の日本の文壇における影響力を考え、その主張に「真っ向」から「対決」しようとしたのが、中沢新一である。

宮台真司と違って、吉本が依拠する原理そのものに批判を加えたのは中沢新一だった。彼は吉本を追悼するエッセイの中で、吉本の立脚点と「真正面から対決しなければならない」と書いている(「自然史過程」について」、『新潮』二〇一二年五月号)。吉本の原発肯定論は、原発が安全かどうか、安価かどうかといったことを判断の基準にしているのではなく、科学技術は後戻りできないという一点にその根拠を置いている。事故を起こしたからといって、それを捨て去るのは分明に逆行する行為であり、失敗したら、たとえ金がかかっても、より高度な技術を開発して乗り越えていくしかない、というのが吉本の原理的な立場だ。それはマルクスエンゲルスに由来する「自然史過程」という概念にもとづいている、と中沢はいう。

中沢の吉本乗り越えの戦略は、つまりは、放射性物質の「特殊」論だと言えるであろう。放射性物質は、今まで人類が相手にしてきたものとは、異質である。いわば、これらは

  • 地球環境圏

の中のものではない。どちらかというと、地球の外のものなのだ、と。なぜ、人間がいつまでたっても大気圏の外に行けないのかは、この大気圏が外の宇宙から飛来してくる放射線を弱めているから、であろう。そこに、剥き出しのまま出ていけば、どうしても、地球外にある放射線を大量に体内を通過し浴びることは避けられない。つまり、地球外は人間が住む場所に適さない、という結論になる。同じことは、放射性物質についても言える。これらを人間が「使用」することは、人間が地球外で住もうとすることと同じで、いわば、地球内を地球外に近づけていこうとしている「行為」に近くなる。つまり、そのことから、この技術は人間活動と親和性が弱い、と考える、ということである。
こういった形での主張には、それ自体にそれなりの理屈があるようには思えるが、しかし、だからといって、果して、吉本に、自らの持論を取り下げさせるほどに、彼に対して有効か、と言われると、私には、なんとも判断ができない。
というのは、吉本が言いたいのは、これが「資本主義の自己運動」だということなのであろう。

素粒子を見つけ出して使い始めた限り、人間はあらゆる知恵を駆使して徹底的に解明してゆかないと大変な事態を招く時代になってしまった。原子力は危険を伴いすが、その危険をできる限り防ぐ方法を考え進めないと、人間や人類はアウトですね。俺をどうしてくれるんだと素粒子側から反問されて答えられなければ困るわけで、何とかして答えられるようにしなければならない。心細く言えば、人間は終わりが近づいているくらい悲観的なものですが、でもここまで来たら悲観しても収まりがつくものではないわけで、この道を行くしかないのですね。(『思想としての3・11』)

吉本は、一貫してマルクスエンゲルスで考えている。原子力エネルギーは、いずれにしろ、人類が「発明」してしまったのだから、これを日本やドイツが放棄しても、どこかのマフィアのような組織が使い始めるかもしれない。つまり、吉本隆明は、原発推進

  • 人類悲観論

として言っているのである。彼は、ある意味で、人類終末が「近い」ことを示唆しながら、この問題を考えているわけである。人類は、新しい科学技術を次々と発見することで、その技術に「よって」滅びるだろう、それも、そう遠くない時期に。しかし、「それ」への「抵抗」も、

  • 新しい科学技術

によってしか、行いえない。負け戦であることが分かっていても、戦わないわけにはいかない、ということなのであろう。
しかし、掲題の著者はここで、(おそらく吉本ならこう言うだろう、ということで、ある)奇妙なことを言う。というのが、原発核兵器を「本質的に違うもの」と考える視点である。

原発核兵器はともに核エネルギーを使う点で同じだが、その機能は正反対だ。原発の目的が電力の大量生産であるのに対して、核兵器は人と物の大量破壊を目的としている。しかも大量破壊の力は計算上では全人類を滅ぼせるまでに達した。つまり、細かいところを除けば、現在以上の技術の発達は不要になっている。そして何よりも、そのけた外れの破壊力のゆえにそれは使えない兵器になってしまった。技術の存続と発達にはその技術の社会的な有用性が必須の条件だが、核兵器の場合はその有用性を超える新たな技術が出現したのと同等の事態が起きていることを意味する。新たな技術の出現とは既存の技術の有用性を大幅に減衰させることと同義だからだ。
だからこそ、米ソ、米ロの核軍縮も可能になった。

なぜ、これが奇妙なのか。吉本は科学は後戻りできない、と言っておきながら、なぜか、核兵器は後戻りが可能だと言う。普通に考えれば、こっちの方こそ「矛盾」であろう。つまり、なぜ核兵器が廃絶に向かえるのかは、その

  • 目的

から考えて、「これ以上はない」くらいに発達し過ぎたから、というわけである。地球を何回も破壊できるくらいの「数」の核兵器を人類が所持した時点で、「進化の袋小路」に到達してしまった、というわけである。
では、なぜ、原発は廃棄できないか。逆説的であるが、人類にとって、それが

  • 有用

だから、と言うのである。つまり、核兵器は人類を滅ぼすことしかできないが、原発は人類にとって「有用」なエネルギーを生み出してしまう。つまり、

  • 人類があると助かる

ものは、滅ぼしたいと思っても、「有用」ゆえに滅ぼせない、というパラドックスになる、というわけである。
しかし、そうだろうか?
現代兵器の主流は、劣化ウラン弾という、放射性物質を内包した「小型」の砲弾である。つまり、吉本の屁理屈がなんであろうと、この敵も味方も両方を、分け隔てなく「被曝」させる、「小型核兵器」が、普通に戦場で使われている。それは、これからも、兵器製造企業が職にあぶれないように、

  • 定期的

に作られては、在庫一掃セールのように、世界の各地で、小規模のドンパチを行ない続けるのであろうことが分かるから、であろう。
このことは、原発についても言える。そもそも、なぜ福島第一の事故が起きたのかは、ひとえに、東電が原発の安全対策を「しぶった」からであろう。つまり、お金がもったいなかったのである。
すでに、それまでの知見から、日本の原発は、さまざまな安全対策をやれば「より安全になる」ということが、海外の知見も含めて、知られていた。ところが、東電はそれをしなかった。というのは、すでに、その頃から、原発には、

  • 価格競争力がない

ことが、次第に知れ渡ってきていたから、であろう。だから、東電は、安全対策をやりたがらなかった。だって、それをやればやるほど、

  • 原発は少しも安くない

ことが、ばれてしまうからである。つまり、むしろ吉本の言っていた、

ことを、「資本主義」が「市場」を通して、迫っていたわけである。吉本のように科学技術を市場を「超える」ものと考える必要なんてない。たんに儲からない技術は、市場的に「撤退」をする。もちろん、だからといって、その技術が滅びるわけではない。より技術が発展して、その安全対策が「万全」に近づき「安く」行えるようになった

  • 未来

において、原発技術は「復活」するのかもしれないが、だとしても、それ「も」資本主義の運動が「強いる」ものなのであって、吉本の屁理屈のように、きばって考える必要など1ミリもないわけである。
ところで、掲題の著者は、吉本隆明の死の直前のこの、福島第一の原発事故は、彼の長年の持論である原発推進に少なからぬ、「揺らぎ」を残したのではないか、と推論する。
それは、どちらかというと、原発推進の彼の考えをくつがえす、というより、大衆の判断を「優先」する、というところにある。

吉本の揺らぎを示す発言はほかにもある。

「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」(毎日新聞

僕は技術者として考えてもやっぱり、「危険だから止める」という考え方にはどう頭を捻っても同意できない。そういうことを詳細にちゃんと検討して、考えた上でこれはどうしてもやめる他ないという結論に達したら、僕はそのときはやめていいと思います。(『撃論』vol.3、二〇一一年一〇月)

吉本とは、そもそも、思想家なのだろうか? 彼はポピュリストだと言っていい。むしろ、彼はポピュリストであることを「あえて」選択している。彼には、そもそも、それ以上の原理主義などないのではないか?

3・11後もかたくなに見えるほど脱原発を批判してきた吉本隆明が、もし現在の脱原発運動の広がりを目の当たりにしたら、どうしただろうか。三十年前『「反核」異論』を書いた当時のように、運動を徹底的に批判しただろうか。三上治はそれとはおよそ正反対の見方をしている。六〇年安保闘争全学連の学生とともに国会構内に突入し、演説もした吉本だから、身体さえ許せば首相官邸前の反原発の抗議行動に加わり、演説くらいしたのではないか。彼はそう見ている。六〇年の闘争も、現在の脱原発運動も、既存の体制に異議申し立てをる直接民主主義的な行動である点で共通しているというのがその理由だ。

掲題の著者は、この意見に反対のようであるが、私には、上記の引用の意見は、当たらずも遠からずに思われる。彼は自らの「屁理屈」に興味がない。それ以上に、ポピュリストなのだ。彼は大衆の「感情」にしか興味がないのであって、それが明確に他の知識人と違うところだったわけで、いいも悪いも、彼は大衆によりそうことしかやらなかったし、できなかったし、それしか興味のなかった人なのであろう...。