大竹弘二「公開性の起源 第6回 情念を統治する」

デカルトは近代哲学の祖のように言われるが、そもそも、デカルトがなにか新しいことを言ったのか、と言われたとき、人々は、なんと答えるのであろうか?
そう言わてみると、結局、この人は、なんだったのかな、と思わなくもない。いや、別に、新しいことを言ってなくたっていいのだが、結局彼はなんだったのか、ということを、多くの人がどう受けとっているのかが、気になったわけだ。
もちろん、デカルトが、前の世代の、「ガリレオ革命」の洗礼を明確に受けていることを否定するわけではない。そういう意味では、彼こそ「ガリレオ革命の可能性の中心」を徹底して考えた、ということは言える。
ガリレオ革命」については、最近書いたが、それは「振り子」を、理想的な状態において、「永久機関」と考えたときの、その「等速運動」から自然と導き出される、

  • 周期という「単位」

が、時間に「長さ」という概念を与え、そこから、自然に、

  • 3次元の「長さ」の単位による空間の「位置」化と、1次元の時間という「長さ」の単位による空間の「位置」化

が、

として、この「世界」を「基準」化(ノーマライズ)したわけで、デカルトはこの延長で考えていることは間違いない。
しかし、じゃあ、デカルト単独で何が「新しい」のか。いや。デカルト「自身」が、自分の何を新しいと思っていたのか、と問いを変えたとき、私はそこに「情念論」があったのではないか、と考えてしまう。

わたしたちが古人からうけついだ学問がいかに欠陥のあるものか、何よりもこれがよく現れているのは、情念について古人の書いたものである。

情念論 (岩波文庫)

情念論 (岩波文庫)

デカルトは明確に、「昔の人は間違っていた」と言っている。つまり、彼はここで「新しい学問」を自分は語る、と言っているわけである。
ここでデカルトが仮想敵としているのは誰か。言うまでもなく、ストア哲学である。

古代ストア派が旧来のギリシア・ポリス秩序の解体という危機のなかで成立したように、近代の「新ストア主義」もまた戦争と混乱のなかで生まれ、危機の時代における個人の倫理的生についての教説を発展させた。目指されるのは、怒り・悲しみ・苦しみといった情念を単に判断の誤謬によってもたらされた心の状態とみなし、理性によってそうした情念から解放されることである。すなわち、古代ストア派で言われる「平静(アパテイア)」に至ることである。このような内面性に到達することこそが、自然と一致した賢人の有徳な生とされるのである。
この時代のこうしたストア的な賢人理想を、単に世界逃避的な個人主義とみなすことはできない。情念からの解放の要請は、ヨーロッパの宗教内戦の克服という目的と不可分であるからだ。それゆえ、フランスのユグノー戦争やオランダ独立扇子といった内戦状況のなかからこそ、ミシェル・ド・モンテーニュやユストゥス・リプシウスといった新ストア主義の代表的理論家が現れる。

なぜストア主義は、古代ギリシアの栄光の時代以降、大きな影響力をもつようになったのか。
それは間違いなく、古代ギリシア文明の「没落」と関係している。輝かしい古代ギリシアのポリスの時代は、少しずつ終焉を迎えようとしていた。そのことが意味していることは、結局のところ、

  • 集団「を」救えない

ということである。集団には、その集団に対応した「寿命」のようなものがある。堕落した集団は、必然的に没落する。いや。この場合、大事なのは、集団の没落ではなく、

  • そういった集団の没落の中で、個人は「どのように」生きるのか

という「倫理」の方に問題は移った、ということである。
つまり、集団の「死」を前にして、個人は「なぜ自分が今生きているのか」という、「個人的な問題」に直面させられた、ということになる。
デカルトの時代に、新ストア派が流行したのも、同様の理由である。長びく戦争、内戦の繰り返しの中で、戦争は、一つの「情念」と考えられるようになる。つまり、戦争を人間は「やってしまう」わけである。

例えば、ユストゥス・リプシウスはオランダ独立戦争の渦中で著した著作のなかで、戦争や騒乱といったこの世の災厄は、情念に流される大衆の「臆見(opinio)」によってもらされるとしている。そして、こうした政治危機の克服もまた、人間学的な仕方で試みられる。つまり、公安と秩序を回復するためには、何よりも人々のむき出しの情念の発露を抑えることが必要であるとされるのである。

こうしたなかで、今日から見れば奇妙に見えるが、当時の統治論のなかでは、情念の統御という心理的コントロールの問題が極めて大きな重要性を持つことになった。そのさい特に重視されたの、大衆の情念の統御というよりは、何よりも支配者自身が自らの情念を抑え、その荒れ狂う魂を静めることである。実際、政治的叡智論のなかで君主が身に付けるべきとされた偽装や隠蔽の技術とは、自らの情念を抑圧する技術にほかならない。偽装し隠蔽すべきなのは、とりわけ自分自身の情念なのである。例えば、バルダサール・グラシアンの『神託手引』ではこう言われている。「激情に身を任せると、内なる心の扉は開けっぱなしになる。最も実用的な生活の知恵は、真意を悟られないことである」(第九八番)。

このように人間学的な観点から考察された統治術の書は、とりわけ近代初期には重要な意味を持つことになる。なぜなら、内戦を終結させる道として君主への中央集権化が望まれ、そして実際にそれが進展するなかで、今度は、法を踏み越えることもありうる君主の絶対権力をいかにして倫理的に統御すべきかが問題となったからである。

デカルトストア派的な情念論に対決してとった立場は、どのようなものであった、と考えられるであろう。
例えば、血管というものを考えてみよう。私たちは、興奮すると血管が膨張し、血流の流れが早くなる。しかし、その血流の流れが早くなる、というのは「加速度」の問題である。つまり、血流の血管内の流れは、

の範囲の話である、ということになる。デカルトは、ガリレオの後の世代だけに、すでに、人体解剖学の知識をもっていたわけで、血管、脳、心臓、胃、腸なども知っている。しかし、他方において、彼は「魂」という表現を使うことをやめない。というのは、彼自身は、キリスト教徒だからであって、つまり、彼の説明は、その主の視点は、人間を機械に類似した「物質」として考える方であるにも関わらず、

  • それ以外

のなにかとして、「魂」を語らずにはいられなかった、ということになる。キリスト教会の巨大な組織に、自分が異端思想と考えられたら生きていけないと思っているだけに、その「矛盾」に踏み込めない。

例えば、若きデカルトはデュ・ヴェールやリプシウスなど新ストア主義者からの多大な影響のもとで思想形成を行ったが、後期の著作『情念論』(一六四九)に見られるのは、新ストア主義的な情動理解からの離脱である。そのなかでデカルト心身二元論に基づき、身体固有のメカニズムに属するものとして情念を価値中立化する。つまり、情念とは非物質的な精神とは別に併存する人間身体の自然であり、それ自体として非難すべきものでも避けるべきものでもない。こうして彼は『情念論』の末尾において、ストア的な「平静(アパテイア)」の理想を退け、情念を単に操縦・利用すればそれで充分でるような自然現象として中和化するのである。

デカルトが情念を「身体」側にしたことは、彼が「魂」なるものを「仮定」せずには、なにも考えられなかったことと大いに関係している。
もし「魂」なるものがあれば、結局はそれがなんなのかを語らないわけにはいかなくなる。ところが、だれもそれがなんなのかを言ってくれない。
というのは、実際は、デカルトは身体一元論だと言うべきだから、である。
デカルトは身体とは別に「魂」について語らずにはいられない。しかし、彼が話したいのは、身体の医学的な構造であったり、その相互作用がなにをもたらすのか、であった、ということは言えるであろう。
彼が情念を「身体」の側のことだ、と言うことは、どこかパラドキシカルに聞こえる。もし、彼がそう言うのであれば、そもそも「魂」とはなんなのか、「魂」と「身体」の定義をしないわけにはいかなくなる。
一般には、「魂」とは、「理性」と等値な感じで説明される。理性とはロジカルな態度を含んでいる、と言えるであろう。そういった手続きを、規範を守って実行できるのは、理性の作用だと考えるわけである。
しかし、そう言ってしまうと、そういった「理性」であり「論理」でないものは、「魂」の方に含ませられない、ということになる。
そこで、自然と、「身体」の側は、「あらゆるものを含んでいる」ということを意味せざるをえなくなった、ということである。
それと同時に、

  • 「身体」の側に、道徳的規範や倫理的姿勢を「期待しなくていい」

という考えが、徐々に普及するようになる。
つまり、デカルトの考えをラディカルに徹底すると、一切の「徳」論の否定、「善悪の彼岸」論に、ニーチェに至ることは、もう時間の問題だったわけである。
(こういった意味で、デカルトは、近代の心理学の祖だと言えるであろう。心理学とは、デカルト心身二元論の身体の側を「無意識」という言葉で説明することを目指した運動だった、と言えるであろう。)
どうして、デカルトは、そのことについて、楽観的だったのであろう。それは、彼が人間に対して、「魂」を分離したとき、

  • まだ当時の科学は「魂」が「どこにあるのか」を「究明できていない」

という形で説明したからで、ということは、彼は

  • 近いうちに「魂」の「物理的根拠が見つかる」と考えていた

と考えられるのである(事実、彼は、松果体をそれらしいものとにらんでいた)。だから、あまりこの「分裂」を深刻に考えていなかったわけである。
彼は、近いうちに、「魂」と「身体」が繋がる、その理論的な「からくり」が解明されると思っていた。だから、「魂」と「身体」の区別を仮説的に用意することに抵抗がなかった。つまり、どうせ近いうちにその間の関係は分かるので、そうであるなら、今の段階で、分かれたままにしておくことは、むしろ、論理的には時間的に解決される問題として妥当だ、と考えたのであろう。
もし、人間が魂と身体に分裂するなら、この身体の側の「徳」論を考えることには、意味がないであろう。なにせ、物質でしかないのだから。
そこから、私たちが無意識で行ってしまうような、情念の発露は、

  • どちらかというと身体の側に入れざるをえないんじゃないか

というふうに考える。なぜなら、魂、つまり、理性は「秩序だった論理的思考過程」に関わるもののはずだから、そうなると、情念のようなフワフワしたものを理性に含めるわけにはいかない、ということになる。
つまり、情念的な態度に対して、なんらかの「価値」付与的な態度は難しくなるわけである。情念は、たんに、身体と関係したものである。つまり、

  • 情念の良し悪しを議論することは反動的だ

ということになる。自然とわきあがってくる感情に、良し悪しを言っていてもしょうがない、と。
しかし、こういった議論は、ある視点を完全に見逃している。それは、なぜストア派は、あのような形で、一貫して、それまでの時代、支持されたのか、である。
それは、二つある。

  • 外的な環境における、国家の没落、外国との絶え間ない戦争、内戦の泥沼化
  • 個人的な環境における、個人の「内面」の注視(コントロール

ストア派の「徳」論は、むしろそれが「不可能」な時代において唱えられていることに注意がいる。共同体的な観点からは、もはや、その共同体の「善」化が不可能だという諦念から始まっている。むしろ、社会のどうしようもない抗えない認識が、人々に、個人の「内面」へ向かわせる。
つまり、大事なことは、どっちにしろ、この共同体は、どう抗っても、うまくいかない、という認識が、ストア派的な態度を強いるわけである。
それに対して、ガリレオ革命によって、この世界を

として認識するようになった、デカルト世代になると、むしろ、社会は「操作可能」な対象として認識されるようになる。普遍的な時間と空間のセカイという次元を手に入れた人間たちは、

  • あらゆる

認識対象を「幾何学」の「パターン」として認識するようになる。こうして、

  • 歴史の終焉

を迎えたのだ。これ以降、もう素朴にストア主義を語ることはできなくなった。つまり、世界は魂のない物質だけの時代になった、ということである。
しかし、である。
本当だろうか?
例えば、上記のデカルトの理屈は、おかしくないだろうか? もともと、彼は魂を身体とは別に提示しておきながら、いずれは、この二つが「繋がる」ことを予感しながら、この二つの分裂を前提にして、新ストア主義を嘲笑した。つまり、デカルトはレトリカルな混乱を起こしている。デカルトがあそこまで、新ストア主義をボロクソに言えたのは、彼が魂と身体を完全に分けてしまったからにすぎない。つまり、そうした「から」、彼は身体に対する一切の価値中立を、「徹底化」させることができた。つまり、そもそも、そうでなかったら、どうだったのかが問われざるをえない、ということである。
このことに対して、ホッブスが示した姿勢は、興味深い。

こうした虚栄心という情念がもたらす社会的不和に対して、ホッブズはある一つの情念に優位を見出すことで解決策を与えようとする。すなわち、「死への恐怖」という情念である。それは、他のすべての情念に勝る人間の根源的な情念として位置付けられる。究極的には人間の感情生活はすべて、自分自身の生命と安全への配慮、すなわち自己保存に由来するとされる。このように先への恐怖を根底に据えた人間観への転換によって、カオスと闘争の支配する自然状態か、秩序ある社会状態へと至る道が見出される。人間を栄光への呪縛から解き放つのは、死を前にした恐怖の情念にほかならない。万人の万人に対する闘争を意識し、死を恐怖するがゆえにこそ、人々は社会契約を行なうのである。栄光を渇望する人々は、他人に対する優越を求めて争い続け、そこでは決して社会契約は生じないだろう。
このとき死への恐怖は情念というよりも、むしろ理性の原理にも等しいものとなる。虚栄心が人間を盲目・非合理にし、秩序の混乱をひき起こすのに対し、理性は平和を命じるはずである。それゆえ、社会契約を通じて人々が守ろうとする自らの生命の保護は、理性に即した権利、すなわち自然権である(『法の原理』第一四章第六節)。実際、『市民論』では、「暴力的な死」を避けることは「自然的理性の要求」であるとされている。したがって、理性的な人間とは、恐怖を知る人間にほかならない。政治秩序を形成することができるのは、有徳な人間ではなく、自己の生命を保存しようとする人間である。つまり、ホッブズ自身が「利益」という語を頻繁に使用しているわけではないが、自己保存という自らの利益を知り、それに配慮することのできる人間が、合理的な人間なのである。人間は利己的であるからこそ、平和と秩序を作り出すことができる。このようにして、自己保存という個々人の利害関心(自然権)は、秩序と調和のある客観的世界(自然法)とおのずから一致するはずである。ホッブズの方法論的個人主義のもとでは、徳や善き生についての問いはもはや役割を果たさない。

(ここで、ホッブズが描いている「個人主義」は、まさに、功利主義をベースに形成される、現代のリベラリズムの原型そのものだと言っていいであろう。)
上記のホッブスは、人間の死に注目していることは、興味深い。というのは、「ガリレオ革命」によって、確かに、世界は「幾何学」化された。というのは、時間を「逆回転」させれば、

も可能だということであるから。しかし、唯一それが無理な認識がある。それが「死」である。死は不可逆である。死んだ後、私たちは、なにかを思考できない。「ガリレオ革命」によって、過去を思考的に「逆回転」できない。「死」は、その人個人にとっては、

  • あらゆるものの最後

を意味する。そこから、「死の情念」は、どこか「理性」に似てくる。つまり、死を避けようとするから「こそ」、人々は理性的になる、というわけである。
しかし、そのことで、新ストア主義を「乗り越えた」と言われると、違和感がある。ストア派においては、そもそも、その戦乱の世界に対する「絶望」が前提にあった。終わらない社会の混乱に「対して」、個人がとるべき態度として「徳」性が問題にされていた。
それに対して、デカルトホッブズは、どこか「楽天的」に思える。デカルトは魂と身体をアプリオリに分割しておいて、情念を身体の側に含めることで、実質、身体一元論にする。つまり、そうしてしまうと、そもそもの「善悪」といったような「魂」の側の議論は、現代において、「魂なんて存在しない」と考えられていることと同じく、不要な議論だ、ということになる。
同じことはホッブズにも言える。「死の情念」を特権化することによって、社会秩序がもし形成されるなら、ある種の「テクノロジー」の進歩によって、ある階級の人たちが、「それほど自らの死を深刻視しなくなる」ような「平和」な時代が続いたとき、

  • 一部の跳ねっかえりたちの「悪ふざけ」

によって、いわば「殺人ゲーム」のように、戦争を「必要悪」と考え始め、実際、古代ローマのコロシアムのように戦争を「享楽物」として消費し始めるのであろう。
つまり、ホッブズの認識は、どこかテクノロジーなどの社会的諸条件に、大きく依存している印象を受けるわけである。事実、ホッブズ以降の世界史は戦争の歴史でもあったわけで、一定の効果はあるとしても、あまりに楽観的なのではないか、と思わなくはない。
例えば、宗教を考えてみればいい。子供十字軍にしても、まずもって、「殉教」が人々に「礼賛」される。それは、日本のカミカゼにしてもそうであろう。つまり、死は、「感謝」されることで、「崇高」なものとして扱われる。つまり、死者は「望んで死を選んだ」存在として扱われる。死者は「信仰」の対象となる。しかしそうやって、みんなが「自殺」する社会がまともなわけがないであろう。
なぜ人間は、多くの時代において、戦争をやらない人たちがいたのか。また、戦後の日本人は戦争をしていないのか。それは、デカルトホッブズのように、そう簡単に「機械」的に社会を「判断」できるようなことではないんじゃないか。やはり、その時代を動かしていたような、主要な人たちが、

  • 極私的

に戦争を避けようという「徳」性を、もって具体的に行動したんじゃないのか。そのように考えるなら、デカルトによるストア派への嘲笑は、言うほど成功していないように思えるし、ストア的態度は少しも不要になっているとは思えないわけである...。

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