福島第一事故の東京の人の健康への影響

私に理解できないのは、3・11で福島第一事故の原発事故で、東京が汚染されたというとき、

  • だって、この事故で、実際に、一人も死んでないじゃないか

というような、池田信夫のような(特定秘密保護法案が<問題ない>と臆面もなく言うような)連中に対して、じゃあ、どのような形で、この「因果関係」に、私たちは迫れるのか、ということが気になるわけである。
そのことに関して、最近でた以下の本は、非常に明確に、「科学的根拠」の方法的意味を分類している。

第一章で述べるように、医学的根拠に関して、欧米では一九世紀前半から論争が繰り返されてきた。歴史的には、医学的根拠は三つ存在するのである。本書では、それらを仮に直観派、メカニズム派、数量化派と呼ぶ。直観派は医師としての個人的な経験を重んじ、メカニズム派は動物実験や(現代では)遺伝子実験など、生物学的研究の結果を重視する。そして数量化派は、統計学の方法論を用いて、人間のデータを定量的に分析した結果を重視する。一般にはあまり知られていない分野ではあるが、今日では、病気などの原因を科学的に証明するためには、疫学あるいは医療統計学と呼ばれる方法論が用いられる。生物学的メカニズムの解明こそが病気の原因を明らかにするという考えは、実は誤りである。
二〇世紀後半に至って、国際的にはこれら三つの根拠の優先順位に関して合意ができた。第1章第2節で述べるように、医学においては、数量化の方法が、医師の個人的経験や実験室の研究結果に優先させるべき科学的根拠となっている。急いで付け加えるが、これは数量化の方法が万能という意味ではない。医学がこれら三つの根拠の上に成り立っていることは事実である。しかし、人間を対象に治療などの行為をする上で科学的根拠となっているのは、他の二つではなく数量化なのである。

医学的根拠とは何か (岩波新書)

医学的根拠とは何か (岩波新書)

上記におけるポイントは、これが「人間」の学問だということである。人間とネズミは確かに同じ哺乳類かもしれない。しかし、違う動物であることは確かである。ネズミは2年くらいで死んでしまうが、人間は80年近く生きる。そうしたときに、メカニズム派のように、どんなに

  • 検証可能

なまでに、ネズミを何匹も殺して示された結果であろうと、それは、人間では違った形で現れるかもしれない。これが、

  • 医学的根拠においては、数量化を第一とする

と、この著者が言っている意味である。しかし、このことは私たちにとって、驚きを感じないであろうか。医者は患者を診断する。また、医学者は、検証可能な動物実験をする。私たちは、医学とはこういったものだと思ってきた。しかし、そもそもの「医学的根拠」には、

を第一とする、というわけである。

日本の医学部では根本的な考えの転倒が起きているようだ。例えば、東京大学医学部内科永井良三教授は対談で次のように語っている。「臨床的なスキルであれ、基礎的な研究であれ、若い人はまず各論ができなくてはいけないと私は思います。若いうちは、狭い領域ではあっても一度は最前線を経験してほしいと思います。分子生物学などの最先端のサイエンスとしての医学研究は、これからもっと推進しなくてはいけないわけですが、一方で医学は全人的なものでもあります。そういう意味で、これからの医学をどのように考えるかは、とても重要な問題ではないでしょうか」(矢崎義雄編『医の未来』岩波新書)。
永井教授は医学部の教授の中でも疫学や統計学、臨床研究に理解が深い方のようであり、冒頭の教授とはまったく異なる。そのような永井教授ですら「基礎的な研究」や「最先端のサイエンス」に引きずられているように見えるのだ。(要素還元主義的)科学への暗黙の思い込みが日本の医学研究に特徴的な偏りをもたらせている。
医学的根拠とは何か (岩波新書)

ここで、非常に重要な問題が提起されている。日本の医学部で、本当に、統計学は徹底して教えているのだろうか? 彼らは統計情報を見るトレーニングを受けているのだろうか。というか、彼らは、そういった「疫学」的論文を書いているのだろうか? 多くの研究者が、実際は、メカニズム派の

  • 科学の最先端

の研究によって、論文を書き、学者になっている。そして、こういった学者が、3・11のときも、マスコミに呼ばれて、安全神話を繰り返した。

日本の医学的研究で動物あるいは細胞実験や分子・遺伝子研究が大勢を占める傾向が生じるもう一つの重要な理由は、社会的に当たり障りがないという点だ。人間を対象とした研究と違って、動物でのことだか試験管内のことだと言い逃れができる。
医学的根拠とは何か (岩波新書)

そりゃそうだろう。福島第一でさえ、ちょっとでも、低線量放射性物質の危険性を訴えようものなら、そこら中から、鉄砲玉が飛んでくる。科学者でさえ、「福島に住んでいる人のことを考えているのか」とか、感情論で非難し難癖をつけてくる(そういった科学者に限って、自分が専門にしている研究は、「メカニズム派」の<人間と関係のない>、「お気楽」な分野の研究論文を書いて学者になっているわけで、他人の事情も思いやることのできない、やれやれな連中なわけである)。ようするに、彼らは、「疫学」研究をするな、と言いたいのか。この分野で、日本の医学が大幅に遅れている現状を

  • タブー

のままにしておきたいのか。
つまり、本当に人間サイエンス(=医学)を「やる気」があるのか、利益相反と真面目に取り組んで、フェアなタブーを作らないサイエンスを発展させる環境を目指すのか、が疑わしいわけである。

本書執筆の追い込みをかけていたころ、『ビッグデータの正体 -- 情報の産業革命が世界のすべてを変える』(講談社)を読んだ。人間の知識のあり方がどんどん変わっていっていることがわかる。本書に書いたようなことを日本の医学部が認識できない限り、日本の医学がこの動きについて行くことはとてもできない。
医学的根拠とは何か (岩波新書)

さて、この記事のタイトルについてですが、おもしろいブログの記事を見かけました。詳しいところは、読んでもらえばいいと思いますが、大きな主張は、

●東京の放射能汚染は、「放射線管理区域」相当の汚染状況である。
●広島・長崎やチェルノブイリなどの過去の例からいって、被曝による健康被害の典型は癌ではなく、倦怠感・心不全・膀胱炎・ホルモン異常・免疫低下など、全身の多様な慢性疾患であること。
Space of ishtarist: 東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編

ここで、前者の意味であるが、

さて、東京はどれほど、放射能で汚染されているのでしょうか?東京の空間線量は、現在のところ0.05μSv/h程度(2013年10月14日現在)であり、東電原発事故の影響はもはやほとんどないように見られます。しかしそれは、単に外部被曝の危険性が少ないということしか意味していません。首都圏の健康リスクは、むしろ空中線量つまり外部被曝よりも、むしろ呼吸や食物によって放射性物質を直接体内に取り込むこと、すなわち内部被曝によるものの方が高いと思われます。その意味では、土壌汚染に注目しなければなりません。
Space of ishtarist: 東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編

まあ、主張されていることは、以前から多くの方が懸念されていることに近いので、それほど違和感はないわけだが、おもしろかったのが、それを google トレンドを使われて、示されていることである。


Space of ishtarist: 東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編

上記は、関東圏で、「心臓 痛い」で検索されたグラフということですが、もちろん、こういったことは、多くの検証を経て、その証拠能力が示されていくのでしょうけど(ネットユーザやネットトラフィック自体が年々増加してますからね)、私が言いたかったのが、東京で生活している人で、3・11以降に、時々でも、心臓が痛くなったことがある人は多いんじゃないかと思うんですよね。それは、もちろん、年々、年をとっていきますから、そういった病気にもなるのでしょうけど(私も何回かはありましたけど、もちろん、それが同じ原因だと言う方法もないですけど)、こういった

  • 統計的手法

の能力であり、重要さを人々が理解していく切っ掛けとして、この事故が認識されていくんじゃないか、とは思いますね...。