谷喬夫『ナチ・イデオロギーの系譜』

日本を中心に世界地図を眺めていると、もちろん、韓国は近い。非常に近いが、韓国、北朝鮮の向こうは、すぐ、中国である。つまり、北朝鮮の裏側は、

  • すぐ

に中国であり、つまり、満洲だ。この地域一体は、地図を眺めても、非常に日本に近い。そして、その中国のすぐ上には、ロシアがある。
これら地域一帯は、北日本から見ると、もう、目と鼻の先のような印象を受ける。実際に、上記の元満洲の地域の中国の方では、朝鮮語を話せる人は多いし、ロシアと経済活動をしている人は多いと聞く。また、70歳以上になると、こんどは、満洲国時代の教育の関係で、ほとんどの老人は日本語が話せるという。
私などは、素朴に、この寒い地域は、北海道や東北や北陸と共に、感覚的にも近いし、もっと、経済活動をしたらいいんじゃないのか、と思わなくもないのだが、やはり、多くの国が関係しているため(特に、北朝鮮が真ん中にあるあめ)、特に、日本があまり積極的でない印象を受ける。
というか、おそらく、日本があまり率先して動くと、多くの場合、まとまる話もまとまらないのであろう。というのは、日本は戦中、これらの地域に「侵略」したからである。だから、どうしても、日本主導で動くことには、警戒感が高まってしまう。
しかし、現政権の、安倍総理にしても、麻生副首相にしても、彼らのじっちゃんたちは、満洲国や韓国で一財産を築いて、戦後の影響力を獲得してきたのであるから、もしかしたら、彼らには今でも、そういった「野望」はあるのかもしれない(少なくとも、彼らがじっちゃんたちの行動を「正当化」しているところがあるなら、そう考えていても不思議ではない)。
私が日本の保守派が、かなりナイーブに、戦前の日本を正当化することが、どうしても信じられないのは、少なくとも形だけだったにせよ、第二次世界大戦は、日本が

と「同盟」を組んで戦った戦争だった、ということにある。つまり、戦前の日本の「正当化」は、どうしても、ナチス・ドイツの正当化と「区別できないのではないか」という疑念が拭えないわけである。
そのように考えたとき、ナチス・ドイツの決定的な特徴は、東方構想。つまり、生存圏。ドイツの東、ロシアへの侵略を通して、その一帯を、植民地化していくというドイツ帝国構想があったわけであるが、その構想と、日本の韓国、満洲侵略は、非常に似ている印象を受ける。
つまり、日本やドイツは、イギリスなど、世界中に植民地をもっていた先進国に「遅れて」、この世界植民地競争に参加したためか、軍艦を使って、遠方の国へ植民地を求めて行くという方法を使わず、どこか、

  • 陸続き

に、領土を拡大していく、いわゆる「侵略」という手法を使う。

<世界政策>はいわばドイツの近代化政策であった。それに対して<生存圏>概念には、近代批判のモチーフが内在している。それはドイツの領土拡張を、民族至上主義的(volkisch)かつ農本ロマン主義的に正当化するイデオロギーであって、後にヒトラーによってナチ・イデオロギーの中心に据えられた。ヴィルヘルム期の急進民族主義がこの用語を多用したわけではないが、その思想的内実は戦前戦中に、全ドイツ連盟などの急進ナショナリストによって十分完成されており、ヒトラーはそれを生存圏というタームで受け継いだのである。生存圏の用語は、動物・地理学者で全ドイツ連盟の会員でもあったF・ラッツェル(F.Ratzel)が考案したものである。ラッツェルはダーウィンやヘッケル(E.Hacckel)の影響を受け、生存闘争を、動植物による空間すなわち生存圏をめぐる争いとして解釈した。しかし生存圏コンセプトはラッツェルの意図を遥かに超えて行った。もともと「急進ナショナリスト帝国主義」には、植民地に農民階級を形成することによって、本国での産業化や都市化のもたらす弊害(失業、環境悪化、住宅難、道徳の腐敗、金銭主義など)を癒し、ドイツ固有の民族性を回復しようという、近代批判と保守革命の意図が含まれていた。領土拡大と民族性強化という要請からすれば、母国から離れた海外植民地よりも、近接する「中欧」ブロックを拡大し、そこに帝国の基盤を確立する方がふさわしい。

もちろん、オランダやイギリスのように、軍艦で遠洋に出て、日本に開国を迫って、実質の、植民地を拡大していくという手法も、えげつないが、ドイツのように、周辺諸国に軍事で攻め込み、無条件降伏をさせて、領土を拡大するというのは、言うまでもなく、それが行われるまでは、お互いの国同士は、なんらかの、ルールによって「平和」を維持してきたわけで、それを一方が、勝手に破って、侵略したわけであるから、それへの

  • 反発

が近親憎悪的に強い。お互いがよく知っているだけに、その殺し合いは、「凄惨」を極める。つい最近まで、仲良くやっていたお互いが殺しあう、こういった

  • 陸続きの領土拡大

は、そういった意味では、感情的な「憎しみ」を、どうしても、後世に残してしまうという意味で、日本やドイツは、かなり「無理」な植民地のアプローチを目指していた、とは言えるのかもしれない。
日本の歴史をみても、ヤマトタケルの遠征にしても、ようするに、日本の歴史は領土拡大から始まっているわけで、鎖国が終わり、近代化と共に、科学テクノロジーを手にした日本のエリートたちが、周辺国へ、「陸続きの領土拡大」を野心していったところには、日本の歴史の「必然」のようなものを感じなくはない。
しかし、どんなに近代科学テクノロジーの「威力」が桁外れに、それ以前のテクノロジーを凌駕していたとしても、近接の周辺国への侵略(=殺し合いの軍事支配)は、多大な感情的「軋轢」をもたらす。そしてそれは、戦後の日本に対する、中国や韓国や北朝鮮の態度において、あらわれていると言える。

ハインリヒ・クラース(一八六八 - 一九五三)は、一九〇八年から一九三九年まで約三〇年にわたって「全ドイツ連盟(Alldeutscher Verband)」(一八九四 - 一九三九)の会長を務め、帝政ドイツ末期の極右勢力を代表するとともに、ヴィマール共和国期にも右翼フィクサーとして暗躍した。

ここでわれわれが注目したいのは、ヒトラーが一九一二年に刊行されたクラースの(D・フライマンというペンネームで書かれた)『もしわれ皇帝なれば』を読んで大きなインパクト、「ドイツ民族にとってもっとも重要なこと、必須のことのすべて」を得たと述べていることであり、さらに二月に制定したばかりの二五箇条からなる「ナチ党網領」について、クラースが辟易するほど詳細に説明したという点である。

領土の拡張的拡大を野望した、日本とドイツの共通点は、自国の「民族的特徴」の維持を重要視しているところにあると言えるであろう。はるか遠方のアフリカに植民地を作るという場合は、どうしても、その土地の事情を

  • 優先

しなければならなくなるため、自国の文化に固執することは難しくなる。しかし、一見すると、領土拡大型の植民地政策は、同じ「規範」を、その土地でも適用すれば、うまくいくような錯覚をもってしまう(それは、満洲という非常に寒い地域が、日本の東北や北海道の気候に「似ている」という、どこか、「同じ感覚」があるというような、印象をもつことに似ているかもしれない)。
しかし、そういった自国の民族的特徴に固執する政策は、必然的に、自国の最も急進的な保守思想家に、政権のリーダーが、

  • 擦り寄る

という形をとることによって、もともとは「素朴」なポピュリストでしかなかったリーダーを、自覚的な右翼少年に変える。

クラースによって、全ドイツ連盟の帝国主義政策のなかに反ユダヤ主義流入することになった。確かに連盟はこの時期、公式には反ユダや主義を標榜しなかったけれども、誰もがクラースの急進反ユダヤ主義に異議を唱えることもなかったのである。クラースの反ユダヤ主義は、中世依頼の伝統である宗教的反感に基づくものではなく、何よりもユダヤ人を人種として把握するものである。それは、近代的反ユダヤ主義創始者の一人、W・マルの『ゲルマン民族に対するユダヤ民族の勝利』(一八七九)を受け継いだものといってよい。<皇帝本>は『人種不平等論』のゴビノー(C.A.de Gobineau)や『一九世紀の基礎』のチェンバレン(H.Chamberlain)を高く評価しているし、そこにはまた、ユダヤ人を民族の「分解酵素」であるとする、後にヒトラーも用いた定義も見出される。そしてクラースの反ユダヤ主義ユダヤ人政策は、後に、ナチズムの一連の<ユダヤ人問題>解決策にきわめて不吉な影響を与えた。

掲題の著者は、ナチス・ドイツユダヤ絶滅収容所のような政策にのみ、ナチスの特徴を見ようとすると、その全体を見誤ると指摘する。それは、クラースにおいてすでに見られるように、こういった周辺に領土を拡大していこうとする国家に特徴的な、

  • ドイツ的

であることを「保持」していくこと、その「民族性」にあくまでも、こだわる姿勢が特徴的である。つまり、この「民族性」について、徹底して、

  • 同一性

を保ちながら、国民の<生存圏>を維持していこうとする姿勢。つまり、その「土地」にとって、

  • 最適な人口(=人の数)

から、さらなる、領土の拡大、ドイツ民族のそれら植民地への移住の必要性を唱えながら、他方において、ドイツ人がその民族としての「同一」性を保ち続ける。つまり、他の民族という「分解酵素」を、徹底して、自国から追い出しつつ、自国民族の同一性を保ちながら、最適な人口を維持可能にするために、周辺国家の領土を侵略し、自国のものにしていくという(または、他の民族を絶滅させ、自国民の「純度」を保つ)といった、20世紀に起きた、ナチス・ドイツの東方侵略の特徴があった、と。
ナチスはどこか「科学」的である。最適な人口密度(=健康な国民の人口密度)を維持しつつ、自国民の民族の純粋性を保つということは、他民族を自国領土から、排除(=場合によっては、絶滅)させつつ、自国の領土を拡大しなければ、実現できない。
それは、いわば、「民族の生き残り」を賭けた、ドイツ人側から見た、ユダヤ人との「生存」を賭けた、絶滅「生存闘争」と考えられたわけである。
私が、「文化」という言葉嫌いなのも、こういったところにある。
これは、究極の、「二元論」である。そもそも、民族などという「生物種」は存在しない。だから、ドイツ人の民族的同一性などというものもない。だから、民族の「純度」を保つための、生存競争などという

  • 文化絶滅闘争

に意味などあるわけがない。あるのは、各地域ごとのちょっとしか慣習の違いなのであって、それを生物の「生存闘争」というアナロジーによって、同一視した「妄想」であり「幻想」が、いかに「危険」であるかをよく示している。
しかし、近年のネトウヨを見ても、ほとんど、ナチス・ドイツと変わらないレベルの「民族」や「文化」レベルでの、中国や韓国への「嫌悪」を披瀝している状況を見ても、彼らに、この東アジア。北海道から東北、北陸。そして、韓国、北朝鮮、その後の中国の元満洲の地域、その上の極東ロシア。こういった比較的極寒の地域の「同一」性、

  • 同一的経済発展

の必要性についての、認識をほとんど感じないのには、彼らの想像力の「貧困」を嘆かずにはいられないであろう...。

ナチ・イデオロギーの系譜: ヒトラー東方帝国の起原

ナチ・イデオロギーの系譜: ヒトラー東方帝国の起原