須田桃子『捏造の科学者』

今回の、STAP細胞の件は、さまざまな意味において興味深かったが、なかでも、これが一般の意味における「科学コミュニティ」において起きている、ということが非常に多くのことを示唆していたのではないか、と思っている。
まず、非常にこの世界「だから」起きたような、二つの現象が起きている。一つが、この論文発表から、記者会見を行った場面において、彼ら科学者が、非常に

に、掲題の著者のような「科学ジャーナリスト」と、メールなどを使って、多くの「やりとり」をしている、ということなのである。
おそらく、一般の人たちは、こういったことが学者と記者の間で行われているというのを、ほとんど知らないのではないだろうか。だから、「いっぱい」さまざまな科学者が、この間で、話された内容が、実際に「アーカイブ」として残っている、ということなのである。
私はもう少し「秘密主義」でやっていたのではないか、と思っていたのだが、少なくとも、こういった一部の科学記者や科学ジャーナリストとは、かなり深い形で、説明的な「行為」を行っている、ということなのではないだろうか。
よって、これらの「分析」が行われれば、かなりのことが分かるのではないだろうか。これは、科学コミュニティの特徴だと言えるであろう。たとえば、一般の犯罪者であれば、基本的に、「なにもしゃべらない」わけでしょう。なぜなら、言質をつかまれて、余計な余罪まで見つけられて、罪に問われたらかなわないわけで、まあ、自分が不利になることを他人に言わない。しかし、科学コミュニティは、一種の「科学者共同体」として、話すこと、説明することが「当然」というアカデミックな「作法」が、今回の「事件」を特徴づけているわけである。
もう一つの特徴は、驚くべきなまでに、

  • その会話

において話された内容が、徹底した「性善説」だった、ということではないだろうか。この本の圧倒的な「おもしろさ」は、掲題の著者が、若山先生と、いろいろとやりとりしている部分ではないか、と思っている。つまり、若山さんが、どういった「マインド」で、これまでのいきさつをとらえているのかが、かなりリアルに分かるわけである。

若山氏によると、論文取り下げの提案は、チャールズ・バカンティ米ハーバード大学教授らを除く国内の日本人共著者に、メールで一斉に送った。理由は、博士論文の画像の酷似の他にもあった。
小保方氏は二〇一二年十二月、CDB時代の若山研究室であった週に一度の成果発表の会合でも、発表のスライドで問題の酷似画像を使っていたのだという。
「プリントアウトした発表資料が残っていたんです。研究室の中の発表なので、公にならないデータだから、イメージとして違う写真を使うことがあってもいいんですが、その場合は断りを入れる。(小保方氏から)そういう説明はありませんでした。本当のところ、ショックを受けました」

これが最初の若山さんが「論文撤回」を呼び掛ける「原因」となった「疑い」である。ここでのポイントは、この「エビデンス」が完全に若山さんの研究室の「内部」での話であって、この研究室の関係者が言わなければ、だれも気付きようがない問題だということである。つまり、そういうことを

  • わざわざ

その研究室長の若山さんが自分から言っている、というわけである。
だとするなら、ここで非常に興味深いのは、この若山研における、小保方さんの「生態」なのではないか。一体、ここにおいて何が起きていたのか。

だが、若山研の関係者によると、この間、小保方氏がSTAP細胞を作製する様子は、若山氏を含め研究者メンバーの誰も見たことがなかった。

加えて、研究室に通う時間帯も、小保方氏は他のメンバーと少しずれていた。

ただし、発表用の資料の作り方は、他の人と少し違っていた。日付もなく、一つひとつの画像の説明も書かれていないことがほとんど。後に不正と認定された博士論文と酷似するテラトーマ画像は、発表用資料でも使われていたが、その際も、実験に使った細胞の由来や具体的な作製方法は一切、記されていなかった。
しかし、若山氏は、小保方氏の発表をほめることはあっても、資料の不備を指摘することはなかった。「それまで見たこともないデータがボーンと出てきて、しかもしれがきれいな写真なので、こんなきれいな写真が出てくるなら、ちゃんとした裏付けがあり、確信が持てるまで何度も実験しているんだろうと思っていました」。

若山氏がなぜ、小保方氏の研究結果を「疑わなかった」のかの理由がよく分かる説明であろう。つまり、学者「だから」、プロだから、いっちょまえの資料を提示されているなら、この場合なら画像ですが、それが「説得力」があれば、当然、その画像を結果した研究があるはず、ということを少しも疑わない。当然、それだけの研究があるんだろう、というのは自分がやってきたことから、当たり前のことであって、それが対等のプロとしての態度だ、と。
しかし、だからこそ、自分が与えてきた「信用」の根幹を揺がす最初に引用したような、画像の取り替えが、

  • 彼自身に与えていた「直感的な真実性」への確信

を揺がした、ということなのであろう。

「画像の酷似は僕にとって一番ショックだったんですけど、とにかくあれはミスだった、という説明がいろいろ書いてありました。TCR再構成のことも、お互いの意思の疎通がなかったために起こってしまったミスであって、隠したということでは全くない、とにかく問題はないんだ、ということでした」
「それで、若山先生は納得できたのですか」
若山氏は言葉を探し、「もし相手が何かを『知らない』と言ったら、納得するしかないというのがありますよね。『ああ、そうですか』と言うしかないですから」とだけ言った。

この一言に尽きているのではないか。ここの引用についての若山先生の「感想」が、この事件のすべてを説明している。つまり、実際に何が起きていたの前に、若山氏と小保方氏、また、その他の研究者の方々が、若山研において

  • どういった生態

を営んでいたのか、その「生態学」こそが、この事件の多くを語っている。大事なポイントは、小保方氏といったような、しょせんは研究者の卵にすぎない「ザコ」がどうこうではない。その最もここでの「権威」と「信頼」を世間に「保証」している、若山先生「自身」の

  • 確信

が、ここにおいて揺らいだ時点で、この事件は終わったのだ...。

捏造の科学者 STAP細胞事件

捏造の科学者 STAP細胞事件