新自由主義と「職業シフト」

例えば、以前であれば、どこの会社でも、会計業務は、ソロバンと手書きでやっていたわけで、その頃には、それを厳密にこなせるプロのような人がいた。ところが、最近では、IT化とわけで、コンピュータでみんなやってしまうようになった。
しかし、そうすると、そういった以前には、非常に重宝がられたプロが、廃業していく、ということになる。
こういった状況は、非常に多くの現場で見られているんじゃないのか、と思っている。
こういった、いわゆる産業構造改革の特徴は、二つのケースが考えられる。一つは、上記のITのように、ほとんど、その「進化」に抗えなかったような改革であろう。
もう一つが、官僚主導の改革といったものであろう。どうもこれからは、こんな産業構造が注目されそうだ、となると、そればっかり、目指すようになる。しかし、そのようにして、ある産業分野を潰し、別の産業ばかりを大きくしようと、政府が運動を始めると、大量の失業が生まれる。
彼らを、どうしようとするのかね。

また、新自由主義というのは、その最大の提唱者だったR・ライシュの本など見れば、先に述べた自由放任主義社会民主主義の理念対立を下敷きに、それを止揚しようとしたものだったと思うんですね。自由放任主義だけではどうもダメらしい、かといって正義を貫徹する方法もいまいち具体性に欠けると。じゃあどうするかといったときに、自由市場の中で成長する産業に対して政府が投資する、政府の役割をもう一回見直そうよ、という話だった。だからこそ政府のイニシアチブで、衰退産業にはちょっと退場してもらいましょう、そこにいた人材とかは再教育して成長産業に振り向けましょう、そこに政府が一役買いましょう、というのが新自由主義だったと思うんです。
高原基彰サヨクはなぜ経済成長の夢をみるか?」)

はい、そうです。自由放任主義フリードマン社会民主主義リベラリズムロールズの両巨頭がいて、自由と正義という議論の対立軸があった。でも別にこの対立は、「格差が広がってもいいから全部市場化しよう」いう話と「弱者が可哀想だから分配しなひゃダメ」という話との間いあったのではまったくない。分配が良い悪いとか、誰が弱者かとか、そういう話を越えたところで、「分配も成長もこの原理に従ってやらなければいけない、その方が合理的であり倫理的にも正当である」という議論ですよね。日本ではこれまで、そうした原理的な議論が驚くほどなかったと思います。新自由主義をどう考えるかという軸がブレがちなのも、こうした欠如が影響しているのでしょう。
高原基彰サヨクはなぜ経済成長の夢をみるか?」)
真剣に話しましょう 小熊英二対談集

まあ、高齢の人たちに、今日から職業訓練をやるから、一ヶ月後には、あなたも(今の時代に合った)手に職をつけなさい、と言われて、一体どこまでできるのか。これからは、ITの時代だ、とか言ったって、だまされて、尻の穴まで、むしりとられるのが関の山ではないのか。
私がよく分からないのは、そういった場合に「しょうがない」と言うのが、近年のリベラリストなんですかね。貧乏人が馬鹿を見るのが避けられないのが、資本主義なんですかね。だとするなら、どうして「こんな」社会が、

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社会なのか、私にはよく分からないんですよね。なぜ、この二つを「両立」させるような社会を構想しないのかな。だって、理不尽でしょう。そういった非倫理的な社会は、長続きしないんじゃないですかね。しかし、それはどういった社会なのか。このことを考えることのない社会は、長続きしないんじゃないですかね...。