柄谷行人「移動と批評」

リチャード・ローティというアメリカの哲学者がいたが、彼の書いている本を読んでいて、あるとき、非常に興味深いな、と思ったことがある。彼は彼自身の考える「リベラル・ユートピア」構想において、その柱になるものを、

  • 同情

に置いた。つまりそれは、残酷さに対する「同情」が、ユートピア的共同体を実現する、と構想した。しかし、他方において、彼は興味深いことを言う。つまり、この「共感」する市民たちは、

  • プライベートとパブリック

をもっている、と言ったのである。つまり、この「共感」する市民は、パブリックな場にひきずりだされたときは「共感」を語りながら、ひとたび、プライベートな空間に自分が戻ったとき、彼らを罵倒し始める。つまり、そこで「本音」がさらけ出される。
つまり、どこかしらアイロニカルであるが、ローティは、こういったパブリックとプライベートを区別する生き方は「健全」だと言ったわけである。
こうなってくると、非常に困ったことになる。ケインズ美人投票ではないが、一体、この市民は本当に「同情」していたのかが疑わしい、ということなのである。
どうして、こんなことになってしまうのであろうか。つまりここには、なんらかの「ねじれ」が生まれている、ということなのだ。

たとえば、イギリスでは、一八世紀後半、産業革命とともに、新たな見方が出てきました。アダム・スミスがいう同情 sympathy が、その一例です。スミスは経済に関して自由競争(レッセフェール)を説いたのですが、他方で、それがもたらす階級格差を憂慮していました。今の新自由主義とはまったく違います。スミスは今では経済学者として知られていますが、一貫して倫理学者でした。彼が唱えたのは新たな倫理であり、その核心が「同情」です。それは宗教で説く、憐憫や慈悲とは似て非なるものです。スミスがいう同情とは、人の身になって考える「想像力」であって、それはむしろ、エゴイズムの肯定、すなわち、近代の市場経済を前提とするものです。したがって、同情は、近代以前の共同体が壊れたあとに、そして、エゴイズムが浸透したあとに、出てくるものです。だから、それ以前の宗教的慈悲や憐憫とは異質なのです。

ここでアダム・スミスが言っている「同情」は、非常にテクニカルな言葉である。商品の需要と供給は、ある「均衡点」において、平行する。ところが、この平行は「残酷」な並行である。ある商人を一文無しにするかと思えば、別の商人を、一生かかっても使いきれない財産家に変える。大事なことは、この「交換」に、慈悲はない、ということである。無限大の借金は、無限大の資産と「形式的」には、等価である。
アダム・スミスが言う「同情」の担い手である商人について、一つだけはっきりしていることは、「商品を買う」ということである。つまり、この「交換」を、この商人は行う。大事なポイントはここである。この商人が「交換」することを、なぜ私たちは疑わないのか。それは、この定義がすでに「含意」している。近代における市民とは、すでに、

  • 商品交換をする人

であることと等価である。つまり、商人は「それ」を行うわけである。「行う」ということは、それを行うことの「意味」を含意する。交換するとは、「得をしようとする」ということであって、それ以上ではない。つまり、これが「エゴイズム」の定義なのだ。ここで「得とは何か」と考えてはいけない。大事なことは、「なんだか分からないけど<交換>をする」ということである。この「交換」を続けることを止めないことを、私たちは「エゴイズム」と定義したのだ。
これは、近代市場経済の「空間」の定義だと言える。この場合に、上記の引用で強調されていることは、

  • その「交換」を行うメンバーシップについて、一切の制約がない

ということである。これが近代市場経済「空間」の特徴なのだ。私たちは、どんな「身分」の違う個人の間でも「交換」が行われることを不思議に思わない。というか、そういった諸関係が、アプリオリに、この「交換」関係のルールを制約する、といった発想をしない。つまり、近代経済学の前提に、そういった「思考回路」が最初から抜け落ちているのだ。

  • だれとでも交換をする

ということは、つまり、「身分の差がない」ということである。この空間は、人間を区別していない、ということである。しかし、ここにもニヒリズムがある。人間を区別しないが、「交換」という「エゴイズム」は肯定される。しかし、これは矛盾ではないのか。エゴイズムの肯定は、そもそも、人間の区別を

  • 目的

にするから、そう呼ばれるのではないのか。こういったところから、近代経済市場を構成する市民たちは、どこか「分裂症」のような様相を示していくことになる。

感覚、感情、そして、文学がこのように重視されるようになったのは、近代社会において当然だといえます。しかし、それを真に理論的に考察したのは、私の見るかぎり、カント一人です。彼は、文学・芸術が、哲学的な知や宗教的な道徳性に対して、どのような関係にあるのかを見極めようとしました。といっても、彼が目指したのは、たんに文学・芸術を位置づけることではありません。われわれの知の可能性と限界を明らかにすること、です。
カントの考えでは、感性を伴わない理性は空虚である。形而上学はそのようなものです。他方、理性を伴わない感性は盲目である。つまり、感覚や感情だけでは、知にはなりません。そこで、カントは、理性と感性をつなぐものを見出そうとしました。それが想像力(構想力)です。それまで、想像力は、不在のものを想起したり、存在しないものを空想することと見なされていました。それは感覚・感情と同様に、低く見られてきた。このことは、それまで文学が知的に低く見られてきたのと同じです。ところが、カントの位置づけによって、想像力、したがって、文学・芸術が、重要な地位を獲得しました。それは、感性や理性ではできないこと、いいかえれば、フィジックスやメタフィジックスではできないことを、実現しうるものと見なされたからです。
それまで、文学はいつも教会から、非道徳的だという理由で、攻撃されてきました。したがって、一八世紀西洋では、「詩の擁護」や「文学の擁護」というような論が多く書かれました。それらは、文学を宗教の非難から擁護するものでした。カント以後、文学はそのような非難を免れた。立派な存在理由が与えられたからです。
しかし、文学は宗教からの非難を免れたとしても、自由になったわけではありません。逆に、大変な重荷を背負うことになった。なぜなら、想像力はある意味で、理性を引き受けることになるからです。

私たちは、文学と呼ぶとき、それが「物語(=空想=形式)」のことを言っているのか、「批評(=想像)」のことを言っているのかの区別をしていない。柄谷さんが強調するように、ドンキホーテを「物語」として読めば、それだけであるが、これを「批評」として読んだとき、そんなに単純な話でないことが分かってくる。
しかし、ここで言っている「物語」とは、いわゆる「哲学」と呼ばれてきた「形而上学」と、表面的には、大きく違っているように見えても、本質的には違わないわけである。なぜなら、物語は「形式化」されているし、厳密にこの「形式」に従うからであり、この「ルール」、つまり、チャート式の「あんちょこ」こそ、形而上学の定義だったからだ。
生きることは「すべて」である。文学とはなにかが書かれたもの「すべて」を指示している何かであることを言っているのであって、批評も文学であるし、理論も文学であるし、そこになんらかの本質的な区別などない。そういう意味において、書くことは、最初から「倫理的」な、その人にとって、重要な何かだったわけで、それ以上でもそれ以下でもないわけである。
そういった意味で、ドゥルーズデリダがある時期から、自らを「マルクス主義者」と呼んだことは、瑣末な無視できるノイズではない。文学がアダム・スミスが「予感」し、警告した、近代市場経済が、その発展の最初から萌芽し胚胎していた、

  • 危機

が、なにも解決されていないことの現れ、冷戦体制が崩壊し、その姿が顕在化されていたその様子が示していた「危機」の感情が、そう言わずにいられなくしていたわけで、文学とは「物語」なんかとはまったく無縁の何かなのだ...。

現代思想 2015年3月号 特集=認知症新時代

現代思想 2015年3月号 特集=認知症新時代