バーターの社会学

近代経済学以降の、計量数理経済学は、商品の価格の「均衡」とか言いだして、まるで、ものの価格がその商品の

  • 価値

であるかのように僭称し始めた。これに異論を唱えたのがケインズ美人投票であったわけだが、しかしそんな難しいことを言わなくても、こういった「仮定」が、あまりにも現実離れしていることは、私たちの日常の経験から言っても自明だったのではないか。
なぜその商品は売れるのか、と問うたとき、なぜ他ならぬその商品が売れるのか、と問うたとき、それがその商品の「価値」なのだ、と解釈するためには、ある「モデル」が必要とされる。
つまりこの「モデル」は、ケインズ美人投票と同様の困難を「克服」しなければならない、ということである。つまり、この商品を買う人が、純粋に、その他の商品と比較して、

  • この商品が機能的に「優れている」

から、買おうと思う、という仮定が。
一見すると、この仮定は、あまりにも「当たり前」のように思われる。だれだって、いいものが欲しい。便利になるから、なにかを買う。だから、より便利で品質のよいものを探して市場を彷徨うのではないのか、と。
しかし、こういった仮説が「偽善」的なのは、次のように考えてみればいい。一番簡単に物を売る方法はなんだろうか、と。それは、半強制的に、他人に物を買ってもらうことにきまっている。しかし、誰がその命令に従ってくれるだろうか?
その人に、なんらかの弱みを握られている人であることが分かるであろう。
つまり、こういうことである。いつも、ご贔屓に、お得意様にしてもらっているある商売人がいるとして、その人に、この関係の「継続」と引き換えに、一定の範囲で、その商品を買いとってもらうことを、お願いするわけである。
この提案をもちかけられた商売人の方は、まず、この商品を買いとることが「合理的」であるのかを判断しなければならない。この一時的な損失は長期的に耐えられるレベルか。それなりに、その商品を買って使うことは、まあ「役に立つ」と言えるのか。そこまでして、このお得意先との関係を続けるべきなのか。そういった

  • 全体

における「合理性」の計算によって、この「契約」が成立するかどうかが判断される。
これは一種のホーリズムだと言えるだろう。上記の仮説においては、各商品の価格の均衡は、その商品を買う側の「純粋」な「価値」判断を確率論的な意味における「独立」性によって担保しなければならない、とされていた。他方、こちらのバーター取引というホーリズムにおいては、この確率は少しも「独立」性を担保しない。つまり、

  • 条件付き期待値

で考えていることを意味する。
第二期安倍政権が、麻生元総理による「ナチスを参考にしろ」といった発言から始まっていることは、だれもが知っている。このメディアを通じて流されたコードは、多くの大衆にインスピレーションを与えた。その一つが在特会であることは分かりやすいであろう。彼らは、ナチス・ドイツにおける、レームの突撃隊であり、SSに似ている。
安倍首相の特徴は、まったく国民の「望んでいる」政治に「反する」政策を行いたい、と思っているというところにある。そういう意味では、ヒトラーと形式的な類似性がある。
つまり、独裁者はどのようにして、国民の圧倒的に不評な政策を実現していくのか、といった意味で、実際にナチスと似た手法を、この第二期安倍内閣は実践している、と考えられる、ということである。
安倍さんが、国民の多くが「望んでいる」ことに反するなにかを実現したいと思うとき、それは端的に、その安倍さんの「野望」に反対している日本人は彼にとって「敵」であることを意味している。つまり、こういった彼にとっての「敵」を国内に抱えながら、どのようにして、彼は自らの野望を実現していこうとするのか、ということになる。
まず、最初に目指されるのが、さまざまな「正統性」機関との、「バーター取引」である。

こういった組織とは、そもそも国家はさまざまな相において、関係している。そういった関係の継続とのバーターで、相手にこの安倍さんの「野望」に賛成させるわけである(そうして、周辺から正当性を少しずつあつめることで、世間的にこういったものに逆らいにくい雰囲気にしていくわけである)。アメリカとのTPP交渉は、その一つだと言えるだろう。安倍さんにとって、その「野望」は、なにものにもかえられない目指される理念なのであって、これへの賛意を獲得するためなら、国益の損失の一つや二つは、どうでもいい。また、これと同じような力学は、アベノミクスにおける、リフレ政策を彼が採用する動機にもなっている、と考えられる。同じことは、親イスラエル寄りの中東各国を歴訪して、リップサービスをした、最近の行動にもあらわれているだろう。
では、こういった安倍首相の「目的」とは一体なんなのか、ということになるであろう。今の政権の体制を見れば、一目瞭然なのが

ということになるが、それを具体的に見ていけば、

こうやって見ると、彼のモチベーションとなっているものの位置に、「A級戦犯」が代表しているような、戦前的価値の「復古」へのモチベーションが高いことがわかってくる。この「A級戦犯」の問題は、決定的な側面がある。彼の自意識において、この「A級戦犯」への名誉回復は、なによりもかえがたい欲望だと言えるだろう。彼らが「犯罪者」だと言われ続けることは、彼が子供時代に、友達にいじめられた「理由」への反発とも近い。しかし、他方において、この難しい目標は、日本の政治が

  • 明治政治に近づく

ことによって、「少しずつ近づいている」といったような「満足感」を与えることにもなるわけである。
しかし、他方において次のようにも言える。「A級戦犯」の戦争犯罪人化は、日本が戦後、国際社会に復帰するための「条件」だった。つまり、サンフランシスコ講和条約をのむことで、戦後の世界秩序を「承認」したから、今の日本がある、ということである。つまり、この世界秩序構想を、戦後何十年も経って、今ごろになって、破棄したい、と言い始めている、ということを意味している。つまりここで

との関係が問題となる。もしもアメリカが、第二次イラク戦争の頃のブッシュ・ジュニアのような奴が大統領だったら、彼はなんらかの「バーター」によって、この要求を飲んだのかもしれない。しかし、今は民主党オバマ大統領の時代である。つまり、安倍さんの言う

  • 敵(=左翼?)

が政権中枢である。安倍さんはオバマと仲良くするつもりはない。それは、彼が今の沖縄県知事と会見をしないことや、ISに殺害された後藤さんの親族にかたくなに会おうとしないこととも一致する。彼は自分の「敵」である

  • 左翼=人権

勢力とは、徹底して話し合う姿勢がない。つまり、安倍さんのアメリカは「自分の友達」である、ブッシュ・ジュニアのような、共和党の中にいる、彼の「バーター」を聞いてくれそうな、ケンカっぱやそうな連中のことを「アメリカ」と言っているのであって、あとの「人権派」は、たんなる「敵」なのだ。
身近に迫っている安倍「バーター」の危機として、日本の軍事オペレーションの拡大を目指す法改正や、TPPにおける著作権の非申告罪化がある。国家を壊すのは簡単である。ありえないような、無駄で複雑なプロセスを国民に強いさせる

  • 法律

を国民に強いればいいわけである(法律作成に、国民投票は必要ない。いや、そもそも国会さえ通す必要がない、とも言える。つまり行政府とは、法の「解釈」を閣議決定によって、内閣の中で変えてしまえば、なんとでもなる、とも言える)。その無駄な作業を行い続けることで、人生の大半を無駄に過ごさせることによって、国民の自由を奪う。これこそ、一種の国民の「奴隷」化であるわけだが、国家の重要な特徴は

  • その国家が作った法律に、国民全員が「ボイコット」をすれば、その罪は「あってなきもの」になる
  • 「結果的」にその作られた法律が、どんなに支離滅裂で、無駄な作業を国民に一生涯強い続ける「奴隷化」であったとして、その「違反者」が、国民の大半を超え、それらの国民の「死刑」によって、ほとんどの国民が、「死刑」の執行によっていなくなっても、「こんな結果になるようなことを意図していなかった」と<言う>ことは、だれだってできる

ということである。国家を<内部>から破壊するのは、実に簡単だと言わざるをえないだろう...。