長州テロリズム

さて。日本軍がなぜ敗北し、ポツダム宣言という無条件降伏を飲まされることになったのかを考えることは、この日本の戦後の出発点であったはずであるが、それは一体、どこのどなたがされたのであろうか?
私がここで強調したいのは、これが明治政府から「一貫」して継承された政治政体によって行われた、なんらかの

  • 成功した体験

を一貫して継続し続けた、いわゆる「パラダイム」のようなものによって継続され続けた結果だ、と言うことができる、ということであろう。
その判型は言うまでもなく「長州テロリズム」である。日本の侵略戦争は、完全にこの「パターン」によって継続された。では、この「タクティクス」がどのようなスタイルのものであったのか、が問題となるわけである。
それは、おおよそ以下の二つを軸にしたもの、と言えるだろう。

  • 最新鋭の武器
  • 鉄砲玉として前線に立つチンピラ

この二つが「なぜ長州テロリストは<強かった>のか」を説明するわけである。

一つ、二つ冷や水を注しておくと、坂本龍馬という男は長崎・グラバー商会の "営業マン" 的な存在であったようだ。薩摩藩に武器弾薬を買わせ、それを長州に転売することができれば、彼にとってもメリットがある。グラバー商会とは、清国でアヘン戦争を推進して中国侵略を展開した中心勢力ジャーディン・マセソン社の長崎(日本)代理店である。この存在が「薩長同盟」の背景に厳然としてある。朝敵なった長州は武器が欲しい、薩摩は米が欲しい......この相互メリットをグラバー商会が繋いだ。
明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

よく、薩長軍を「尊皇攘夷」派と言うが、本当に彼らは「攘夷」派なのであろうか。それは、今の安倍首相が沖縄をアメリカ軍に「禅譲」している姿や、アメリカ軍のポチとして、日本の自衛隊を「禅譲」しようとしている姿によく現れているだろう。長州テロリストたちは、むしろ、彼ら欧米の勢力と仲良くすることによって、

  • 日本を攻撃した

わけである。彼らはむしろ「外国軍」だった、と言ってもいいであろう。実際、江戸幕府という「日本国」を滅ぼしたのだから。攘夷など嘘なのである。むしろ、彼らは欧米勢力と協力して、日本を滅ぼした。欧米の「味方」をした。しかし、そうすることによって、彼らは

  • 最新鋭の武器

を欧米の人たちから与えてもらえた。つまりは、このことが決定的だった、ということである。

もし火縄銃とライフル銃部隊が正面きって戦えばどういう結果になるか。結果は明らかであろう。百回戦えば、ライフル銃部隊が百連勝する。勿論、一対一で戦っても、ライフルに故障でも発生しない限り、結果は同じである。部隊と部隊の衝突となれば、数丁のライフルが同時に故障しても結果は変わらない。戊辰東北戦争とは、そういう戦いであったのだ。
明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

このような観点から見たとき、戊辰戦争は完全な「リンチ」である。まさに、一種の「なぶり殺し」である。長州テロリズムは、こういった最新鋭の武器を、街のチンピラに与え、彼らに

  • 好きにやらせる

ことによって、自分たちが汚い手を汚さないで、「欲しい結果」を手に入れる、というわけである。もちろん、何人かは長州テロリストの中からも死人がでる。問題は、こういった「被害」を、長州テロリスト側がどのように受け取るのか、というところにある。
彼らはそもそも、なんの社会的なステータスもない連中である。つまり生きていたって、なんの楽しいことも、待っていない。どうせ、回りの偉い連中に一生、こき使われて終わるのが関の山の連中である。
だから、
今、ここで死ぬことに、なんの未練もない。むしろ、どうせ死ぬんなら、いっそのこと、なんだってやってやる、という感性しかない。

山縣有朋が連れ込んできた奇兵隊や人足たちのならず者集団は、山縣が新発田へ去っていたこともあって全く統制がとれておらず、余計にやりたい放題を繰り返す無秩序集団なっていた。女と金品を求めて村々を荒らし回ったのである。彼らは、徒党を組んで「山狩り」と称して村人や藩士の家族が避難している山々を巡り、強盗、婦女暴行を繰り返した。集団で女性を強姦、つまり輪姦して、時にはなぶり殺す。家族のみている前で娘を輪姦するということも平然と行い、家族が抵抗すると撃ち殺す。中には、八歳、十歳の女の子が陵辱されたという例が存在するという。高齢の女性も犠牲となり、事が済むと裸にして池に投げ捨てられたこともあった。要するに、奇兵隊の連中にとっては女性なら誰でも、何歳でもよかったのである。
坂下、新鶴、高田、塩川周辺では、戦後、犯された約百人に及ぶ娘・子供のほとんどが妊娠していた。医者は可能な限り堕胎をしたが、それによって死亡した娘もいたという。月が満ちて産まれてきた赤子は、奇兵隊の誰の子かも分からない。村人たちは赤子を寺の脇に穴を掘って埋め、小さな塚を作って小石を載せて目印にしたのである。村人は、これを「小梅塚」とか「子塚」と呼んだ。
明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

これが、基本的には明治以降の日本軍の中国侵略における姿勢だった、と考えられるのであろう。
日本軍の特徴は、とにかく、全体を通して「勝とう」としていると考えるには、兵隊も少ないし、武器の量も少ない。つまり、本気で継続して戦闘に勝とうとしているのかが怪しい。確かに、前線に最新鋭の武器は配備される。しかし、それにしたって、長期的には底をつくし、そういった長期的に相手を兵力で圧倒して、この戦争の最終的な勝利を本気で考えているのかが怪しい、というところにあったのではないか。
つまり「刹那」的には、その目の前の戦局は「いい勝負」が可能なのかもしれないが、そこからどう考えても、長期的な展望をどのように考えているのかが、まったく分からない、というところにあった、と。欧米列強の特徴は、決定的なまでに、東アジアの

  • 軽視

にあった。確かに彼らは、東南アジアの島々を「植民地」にしていたが、彼らにとっては、あまりにも遠い地域なわけで、圧倒的に「戦略的な優先度」が低かった。
しかし、そういった中において、幾つかの戦線においては「例外」があったわけである。

周知の通り、司馬さんは、あの悪名高き関東軍の戦車隊の一兵士であった体験をもっている。司馬さんの部隊が内地へ引き揚げた後に入った戦車隊が、司馬さんのもっとも忌み嫌う、あのノモンハン事変に遭遇している。司馬さんがノモンハンのことを調べに調べて、結局「書けない」として膨大な資料がありながら一切書かなかったこともよく知られているところである。司馬さんには、こんなバカな戦争を誰が惹き起こしたという、個人的体験からくる激しい怒りがある。昭和陸軍の職業軍人に対する烈火の如き怒りが終生消えなかったことは、いろいろな著作、講演を読み、聞けば、明白である。内地へ引き揚げた自分の戦車隊の愚かしい位置づけにも激しく怒っている。
明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

ノモンハン戦争は、ロシアがめずらしく、この極東の戦局に優秀な指揮官を派遣して、日本に対して物量共に、圧倒した戦争であった。つまり、ここにおいて、とうとう「長州メソッド」が通用しなくなった、ということが言えるのではないだろうか。
ある意味、この戦いが、この後の日本のアメリカとの戦いの「敗北」を予見していた、と言ってもいいであろう。日本の戦い方は、言ってみれば、最初から最後まで

  • チンピラ戦争

でしかなかった、ということになるであろう。チンピラたちの狂乱的なその地での、最新鋭の武器を使った、傍若無人な暴れ方で、礼儀正しく、行儀のいい「貴族」を震え上がらせることによって、

  • たいした戦力ではない

にもかかわらず、その「暴虐」さの「ひどさ」によって、周辺地域の人たちをおびえさせることによって、実際の能力以上の「戦果」を勝ち取ろうとする(むしろ、そのために、日本の「エリート」は、彼ら「チンピラ」に、好きなだけ、やりたいように

  • 放任

している、とも読み取れる、というわけである)。
しかし、なぜこの「戦略」は、こと、アメリカやロシアとの全面対決となったとき、まったく、通用しなかったのか。まあ、言うまでもないか。そもそもこの戦略は、一種の「武力」の非対称性を利用して、彼らを「挑発」する戦略だったわけであるが、その「ネタ元」は最初から、欧米列強であった。たんなる「マネっこ」で、自分が強くなったと思い込んだチンピラたちが、本家にその貸してもらった「オモチャ」で挑んでいったら、モノホンで仕返しをされた、といったところであろう。
しかし、このように考えてくると、長州チンピラ・メソッドは、言ってみればこの「脅し」が通用している場合は、傍若無人にやりたいだけやると言っているだけなわけで、本当にそれだけで、世界を渡っていけるようなメソッドなのか、というたんなる「アホ」なんじゃないのか、といった印象を受けるのではないか。まあ、人間としてどうかとは思わなくはないが、もう少し「工夫」がないと、たんに恨まれて、一生終わりのような気がするわけであるが、ここのところを彼らはどう考えていたのであろうか?

かつて、日本の企業社会では「飲ませる・抱かせる・掴ませる」という「三せる」営業が幅を利かせていた。典型的な営業マンなら、誰でもやったものである。公務員や官僚相手には特に盛んに行われていた営業手法である。本来こんなんものを手法とはいわないが、酒を飲ませ、女を抱かせて、金を懐にねじ込む......これをやらされると大概の相手は陥落するのである。長州は、幕府官吏に対してこれをやった。徹底してやった。結局、幕府の使者は萩へは足を延ばすことなく、何と「萩城の破壊を確認した」とのでたらめな報告書まで書いたのである。このことが、第二次長州征伐の失敗につながったことはいうまでもない。長州人にしてみれば、萩城死守という目的の為には、必要なら女を抱かせておけばいいのである。酒を惜しんでも始まらない。賄賂など、いってみれば必要経費である。司馬遼太郎氏は「長州法人説」を唱えたが、ある意味で長州人は挙って商人的気質が染みついており、司馬さんのいうところとは違った意味で「法人」であったといえるかも知れない。薩摩にはここまでの割り切りはなく、これは長州の大きな特徴である。
東北の武家に、これができたか。無理である。考えようによっては、世良の淫楽、放蕩三昧など放っておけばよかったのだ。女を抱いていれば満足している下劣な男なら、とことん抱かせて、骨抜きにしておけばよかったのである。更にいえば、藩の軍事費を削ってえも世良に掴ませればよかったのだ。その上で、のらりくらりと会津攻めを延ばし、和平工作にもっていく。そうすれば、二本松十万石も会津二十八万石も滅ぶことはなかった。
明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

今、安倍首相がアメリカに行ってオバマ大統領にやってきたことも同じであろう。いわば「抱き付き」戦法である。相手の懐に入り込んで、お金をあげる。女をあてがう。こうすることで、相手にこちらとの「関係」を離れられなくする。おそらく、日本軍が中国大陸に行ってやっていたことも同じなのであろう。地元の有力者に、酒と女と金を握らせて、骨抜きにしていく。この抱き付き戦法によって、「なんとなく」一部の有力者を、こちら側に抱き込んでいく。これによって、軍事的にかならずしも圧倒していないにもかかわらず、それなりのバランスによって、長期的にはそこまで「不利」にならない範囲で、戦線を維持し続ける。
おそらく、今、日本の原発が3・11以降もなぜか存続されようとしているのも、こういった原発関係者を「酒女金」で抱き込んで、骨抜きにしていく戦法が、さまざまな分野で行われている結果だと考えられるであろう。
こういった「長州メソッド」の特徴は、とにかく、

  • パブリック

は滅茶苦茶だ、ということになるであろう。つまり、建前はまったくもって、どうしようもない最低下劣であるわけだが、それを一人一人にターゲットをしぼって、まさに「テロ」のターゲットとして

  • プライベート

を探偵されたとき、「酒女金」によって、国家の要職にある「一人一人」を丸裸にして、締め上げていく。まさに、

について、非常に「研究」をされた、武装集団だった、ということになるだろうか...。