柄谷行人「批評とポストモダン」

最近出版された、岡本さんという人の書いた『フランス現代思想史』という本を読むと、一つだけはっきりとした「違和感」を抱く部分がある。それは、つまりは「ポストモダン」という言葉についてである。
それは、むしろ、この本が「間違っている」ということではなく、むしろ、この本は「正しく」歴史的な記述がされている、ということであって、私たちのこの言葉について感じている受けとり方が間違っていたのではないか、ということである。もっと言えば

  • この言葉の日本への「紹介」のされ方がおかしかった

ということなのではないか。
そもそもなぜこの本は、「フランス現代思想史」となっているのか。この本の最初は「構造主義」を掲げて、サルトルを批判する形でさっそうと登場したレヴィ=ストロースから始まっている。そして、フーコードゥルーズ=ガタリデリダが、その構造主義を批判する形で議論を展開したという意味で「ポスト構造主義」として注目された、というまとめになっている。
ところが、この著者によると、その「流行」は、フランス本土では、あっという間に終わっていた、と言うわけである。

ソルジェニーツィンの『収容所群島』に衝撃を受け、社会主義マルクス主義への批判を開始したのが、「ヌーヴォー・フィロゾフ(新哲学派)」と呼ばれる若手の思想家たちである。彼らの大部分は、六八年のことは「毛沢東派」であったが、七〇年代になると思想的に転向したのである。

ようするに、ポスト構造主義は68年5月革命の衝撃を受けて、この可能性を追求するところから始まった。そういう意味では、マルクス主義の可能性を追求する運動だったと言える。対して、ソルジェニーツィンがやったことは、徹底して、ソ連社会主義を内側の体験として批判したところにある。つまり、ソ連であれ中国であれ、社会主義であれ共産主義であれマルクス主義であれ、こういった「思想」は「危険」であり、

  • 社会悪

として、社会から排除されなければならない「汚染物」として扱われた、ということである。それに対して、こういった「新哲学派」と呼ばれる若い人たちのジャーナリスティックな運動と平行する形で、リオタールの「ポストモダン」論が現れた、と著者は解釈する。

このポストモダン論を発表する以前、リオタールはマルクス主義者として知られ、六八年五月にも政治活動を行なっていた。また、一九七三年に『漂流の思想----マルクスフロイトからの漂流』、七四年に『リビドー経済学』を出版して、一般にはドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』に近い立場だと見なされていた。じっさい、彼とドゥルーズは当時、同じ大学で教え、良好な友人関係を保っていたようだ。
ところが、『ポストモダンの条件』が発表されると、二人の関係は冷え切ってしまったのである。ドッスが描いた『ドゥルーズガタリ 交差的評伝』に、当時の状況を伝えるような記述がある。

ヴァンセンヌの哲学者で、ドゥルーズに近いもうひとりの大物は、《社会主義か野蛮人か》から来たジャン=フランソワ・リオタールである。[......]リオタールは『アンチ・オイディプス』の刊行を熱狂的に賞賛する。[......]しかしながら、リオタールの『ポストモダンの条件』の刊行によって、断絶が訪れる。ドゥルーズはリオタールが根源的に相対主義的な立場を擁護することに耐えれなかった。ガタリガタリで、いっさいのメタ物語の拒否を次のような言い方でからかう。「これはうねり(ヴァーグ)じゃなくて、流行(ヴォーグ)だね」。

一般的には、ポストモダニズムと言えば、ドゥルーズの差異の哲学と親和的だと見なされている。ところが、ドゥルーズガタリの受け取り方を考えると、むしろ「新哲学派」の流れで理解したほうがいいだろう。リオタールのポストモダン論は、「ソルジェニーツィン事件」以来続いてきた、マルクス主義共産主義への批判、さらには革命的左翼思想への非難の一環として、理解されたわけである。
フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

この二つは非常に強く繋がっている。新哲学派が、一種の「赤狩り」に奔走したとき、彼らの大義名分は「人間主義」であった。その視点から、一切のマルクス主義

  • 非人間的=悪

として、社会からの排除物として表象される。そして、リオタールの言う「ポストモダン」も、この延長にある。まず、マルクス主義の否定が、すぐに

  • 資本主義の肯定(=現実として妥協)

という形であらわれる。これは一種の「現実との妥協」であり、非操作的に自生してくる「秩序」のような無秩序を「肯定」する形によって示される。
新哲学派が、マルクス主義から「悪」が生まれることから、マルクス主義の「社会的排除」を、いわば

によって主張したのに対して、リオタールの言う「ポストモダン」論は、マルクス主義という「悪」を排除する「目的」を達成するために、言わば

  • 消費社会(=資本主義)という「正義」

を代替した、ということになる。彼らポストモダニストたちは言わば、マルクス主義という「絶対悪」と戦うために、「消費社会」の絶対肯定を「正義」を実現するために、貫いた、というわけであり、そういう意味において、リオタールの言う「ポストモダン」論は、新哲学派の「人間主義」を反転させた、一種の

  • 正義論

の形態をとっていた、というわけである。こういった文脈において、他方デリダは、1992年のフクヤマの『歴史の終わり』論に対応する形で、自らの「ポストモダニズム」や「ポスト構造主義」からの決別と、マルクス主義

  • 擁護

の立場を明確にすることになる。

こうしたデリダの政治化と密接にかかわっているのが、「ポストモダニズム」や「ポスト構造主義」との関連である。一般的な傾向として、デリダの思想を「ポスト構造主義」と呼び、「脱構築」の戦略を「ポストモダニズム」と見なすことは、アメリカを中心に広がっていた。そのため、本書でもまた、ドゥルーズデリダの思想を「ポスト構造主義」と位置づけていた。ところが、政治化することによって、デリダはこのレッテルに猛然と抗議することになる。たとえば、二〇〇二年の『マルクスと息子たち』において、次のように書いている。

マルクスの亡霊たち』あるいは私の仕事全般を、ポストモダニズムとかポスト構造主義とかいった「類」の単なる一種、一ケース、一例のように語る性急さにも私は驚かされた。それは十把一絡と呼ぶべき概念にほかならない。事情をよく知らない世論(そして多くの場合は巨大ジャーナリズム)は、「脱構築」をはじめとして、自分たちが好まない、あるいは理解できないもののほとんどすべてをこの概念の中に並べてしまうのだ。私は自分のことをポスト構造主義者とも、ポストモダニストとも考えていない。

ここで注意したいのは、デリダがこの発言を行なった背景である。九〇年代になると、フランシス・フクヤマというアメリカの政治学者が『歴史の終わりと最後の人間』(一九九二年)を出版して、「マルクス主義の死」を高らかに宣言し、それを「歴史の終わり」と呼んだ。ところが、フクヤマの「歴史の終わり」という考えは、一般的には、「ポストモダニズム」や「ポスト構造主義」と「政治的、哲学的に見て近接している」と見なされていた。
したがって、もしデリダが「ポスト構造主義者」ならば、フクヤマの政治思想と立場が近いことになるだろう。しかしながら、こうした理解は、デリダにとって断固として拒否すべきことだったのだ。フクヤマが下した「マルクス主義の死、共産主義の死」という評言を、デリダは哲学者として批判すべきだと考えたからである。

「ブラボー、これで[マルクス主義共産主義は]終わった、ネオ資本主義とネオリベラリズムの勝利だ」という類の偏執的で浮かえきった言いぐさは、政治的なレトリックの最も力強いモチーフとなりました。そのようなものに対して抗議することこそ、私たち、哲学者や市民の責任であると私には思われたのです。

フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

このように考えてきたとき、掲題の1984年に書かれた柄谷さんの論文が、どういった文脈においてあったのかが分かってくるのではないか、と思うわけである。

去年の夏アメリカで、私が最も興味深く読んだのは、リチャード・ローティの『プラグマティズムの帰結』である。文学の "ニュー・クリティシズム" がポスト構造主義にとってかわられたのはいうまでもないが、アメリカにおいて、この文学批評は、それが根本的に哲学を標的とするがゆえに、新しい哲学というよりも哲学の脱構築(ポスト哲学)としてあるがゆえに、哲学者たちには "批評" の侵入として受けとめられている。もっとも、それは大多数の分析哲学者たちに受けいれられているわけではない。その意義を積極的に受けとめようとしたローティなどはむしろ少数派である。彼の主張をひどく簡単に要約してしまうと、デリダのような西洋形而上学脱構築の仕事と、ヴィトゲンシュタインのような哲学批判の仕事は結果的に交叉するのであり、そしてその地点はアメリカのプラグマティスト(ジェームスやデューイ)によって先取られていたということである。こういう主張がついにアメリカの哲学者の間から出てきたことに、私は驚かなかった。もちろんその内容は粗雑で感心しなかったが、理論的なものとはべつにこの本は興味深かった。つまり、私はこの本を、ポスト・モダニズム(ポスト哲学・ポスト批評)の嵐の吹きあれるなかで、自分の正体(アイデンティティ)を確認しようとする一つの応答として読んだのである。

このように考えたとき、むしろ、「ポストモダン」とは、アメリカにおけるローティによるフランス現代思想

  • 受容

の形態のことを言っていた、と考えるべきなのではないか、ということになるであろう。ローティの言っている「プラグマティズム」とは、一種の現実との「妥協」のことなわけであろう。もっと言えば、保守主義である。それは、フクヤマによる「歴史の終わり」つまり、資本主義の「勝利」と繋がる。資本主義の勝利とは、

のことである。もっと言えば、資本主義しか「ありえない」から「今の現実が<素晴しい>」と同値になっていく。この消費社会が「いい」のであって、徹底した「格差社会」を肯定するサバイバル社会になることが「ソルジェニーツィン」問題を回避する唯一の正しい方法なんだ、というわけである。
しかし、だとするなら、上記において、ドゥルーズデリダがなぜ「ポストモダン」を徹底して拒否したのか、が問われるわけであろう。それは言わば、この「ポストモダン」論が、一種の

  • 現状肯定

であり、知の不可能性(知的な分析への軽蔑、自然の肯定、理性的であることへの嘲笑)を、ある意味において「受け入れ」ようとした、その価値相対的な姿勢そのものにあったわけであろう。

たとえば、安岡章太郎はつぎのように言っている。

僕は自分の性格が、われながらイヤになる。おそらく主体性というものが、てんから僕には欠けているのだろうか? それとも、これは主体性の問題ではなく、また別の事柄なのだろうか? 主体性というものは、おそらく将来を或る程度見透すことの出来るときでなければ発揮できない。しかるに僕は、生れてこの方、将来のことが自分自身できめられるような環境にいたことがない。ものごころつくまでは、父親の転任にひっぱられて、一、二年おきに、あっちこっちと住む所を転々とさせられてきたし、ものごころついたときには十五年戦争の真っ只中にいて、将来を自分自身できめるどろこじゃなかった。やっと落ち着いて自分で自分がどう生きめられるようになったのは、戦後になってからだ。しかし、あえられた "自由" と "民主主義" の世の中で、それを拒否したり否定したりする権利や自由が僕にあるとしてお、それを行使することに何の意味もありはしない。結果としては、与えられたものを強制的に受けとらされるだけで、そのこと自体は戦争以前と何の変りもなかった。
(「僕の昭和史2」)

このような率直な感慨は、森鴎外のそれに似ている。これは「性格」の問題でも環境の問題でもあるまい。たとえば、私自身が内心右のように感じているし、おそらく正直にいえばアメリカ人もそう感じているだろう。だが、「主体性」を前提している世界では、右のような率直さそのものが排除されている。

リチャード・ローティが「プラグマティズム」と言ったとき、それは、ようするに「現状肯定」と解釈された。もっと言えば、格差社会は「しょうがない」と言っているのと変わらない。いや、むしろ

  • マルクス主義の害悪から逃げるためには、「格差」があることが「正義」だ

というふうに「反転」される。これは一種の「イデオロギー」として主張される。つまり、ドゥルーズデリダが反発したのは、この「保守派」による、知的な態度に対する「嘲笑」にあった、と言えるだろう。言ってみれば、ポストモダンとは一種の「反知性主義」運動として彼らには受けとられた、ということである。
たしかに、ニーチェの言葉(「私たちが意識するすべてのものは、徹頭徹尾、まず調整され、単純化され、図式化され、解釈されている」)にあるように、リオタールの言う「大きな物語」への疑いには、それなりに、ポスト構造主義的な文脈における根拠がある。それは、上記の引用にあるように、なにかを主張するときにはすでに

  • 将来を或る程度見通す

ような「行為」が介在している。つまり、一見「出来事」として発見された「事件」のように記述をしていながら、他方において、まるで将来を見通しているかのような「パフォーマンス」として「はったり」として行われる。問題はこの

  • 恣意性

にあると言えるだろう。大事なことは、ポストモダンは上記でローティが「プラグマティズム」と言ったように、一種の「政治」性を介在させることを「肯定=妥協」しているという意味で、理論に対する「誠実さ」を、なにかしら捨てている、ということである。
つまり、ポストモダニストは、たんに現状追認ではない。それを「恣意的」に行う(=保守政治的に行う)ことを宣言している、ということになる。
大事なポイントは、このように早い段階で、ドゥルーズデリダによって「ポストモダン」論の

  • 理論的「うさんくささ」

が指摘されることによって、この理論自体がフレンチ・セオリーにおいても、かなり早い段階において「時代遅れ」になっていたということであって、ひるがってこの問題が、なぜか日本においては真面目に向き合われてこなかった、ということなのであろう...。

批評とポスト・モダン (福武文庫)

批評とポスト・モダン (福武文庫)