原田伊織『明治維新という過ち』

ISによる首切り事件があったとき、私はそれを鼻白んで見た記憶がある。そして、安倍が「テロは絶対に許されない」と一方で言っておきながら、他方において、大河ドラマに長州テロリスト集団の親玉である、吉田松蔭を無理矢理押し込んで、うれしそうな雰囲気をしているところを見て、なるほどと私などは思ったものである。
それって、ダブル・スタンダードなんじゃね?
私が日本の知識人を信用しないのも、そういったところに原因があるのかもしれない。一方でISを「道徳的」に非難をしておいて、他方でこういうことを言っている日本の総理大臣になにも言わないんだね、と思ったとき、彼らの思想的な誠実さが疑わしく、私などには思えてくる。

江戸という時代は、特に後期になると、諸学が盛んになっており、学問的には多用な時代であったが、幕末近くになるに従い国学諸派が力を得てきた。その国学の思想の中に、徳川幕府による全国統治は、朝廷即ち天皇徳川将軍家に委任したものであるという考え方があり、これを大政委任論と呼ぶ。しかし、この思想は、何も国学者によらずとも自然な形として大和民族の精神には、十分消化され、染み込んでいるものである。律令制の時代から、征夷大将軍とは朝廷内の官名であり、多少その性格が変わったのは頼朝からである。将軍とは清和源氏の流れを汲んでいないとなれない、信長は平氏を名乗ったから将軍にはなれなかったなどというもっともらしい説もあるが、こういうことがいわれるのも将軍というものが朝廷から任命されるものという感覚が消えなかったからだといえよう。

私は今でも、明治以降の日本の政治には「正統性」がないと思っている。言うまでもなく、江戸幕府でよかったわけである。文明開化のためには、江戸幕府が倒幕され、明治政府が作られなければならなかった、というのは、後世からの歴史の正当化を意味しているにすぎず、なぜ、江戸幕府がその後の文明開化を達成できなかったと考えるのかの理由になっていない。倒幕派の理屈は、江戸幕府には政治を行う正統性がない、というわけだが、上記にあるように、どうして「征夷大将軍」では正統性がないのかの、まったくの説明に成功していない。私は今まで生きてきて、これについて、まったくの説得に成功する理屈を聞いたことがない。
つまり、どういうことか?
つまり、「倒幕派」とは、一体、どういった「連中」によって行われた「テロリズム」だったのか、が問題なのである。

赤報隊が、正式に組織されたのは年が明けた慶応四(1868)年だが、その前に西郷は相楽たちに命じた。打ち手を失いつつあった長州・薩摩の "重石" のような存在であった西郷は、相楽たちに何を命じたのか。
江戸において、旗本・御家人を中心とする幕臣佐幕派諸藩を挑発することである。挑発といえばまだ聞こえはいいが、あからさまにいえば、放火・略奪・強姦・強殺である。倫理観の強かった江戸社会においては、もっとも罪の重かった蛮行を繰り返すことであった。
何せ毎夜のように、鉄砲までもった無頼の徒が徒党を組んで江戸の商家へ押し入るのである。日本橋の公儀御用達播磨屋、蔵前の札差伊勢屋、本郷の老舗高崎屋といった大店が次々とやられ、家人や近隣の住民が惨殺されたりした。そして、必ず薩摩藩邸に逃げ込む。江戸の市民は、このテロ集団を「薩摩御用益」と呼んで恐れた。夜の江戸市中からは人が消えたという。

江戸時代において、日本人はとても「倫理的」に生きていた。武士も庶民も、社会の秩序を守り、繁栄していた。これを

  • 破壊

したのが、長州テロリストである。彼らは何者だったのか。言わば、「下級武士」である。つまり、チンピラでありヤクザである。長州藩だろうが薩摩藩だろうが、上級武士は、そもそも、江戸幕府に反対ではなかった。そういった上級に「なれない」、街のチンピラたちが

  • その「うっぷん」

を晴らしたのが、これら「テロ」行為である。

本来「志士」とは、「国家、社会のために献身する高い志をもった人」のことをいう。『論語』に曰く、
「志士仁人は生を求めて以て仁を害するなし」
即ち、志士とか仁者と呼ばれる(資格のある)人は、自分の生存のために人の道に背くようなことはしない、という意味である。長州の桂小五郎たりは、京において、略奪、放火、暗殺というテロ行為を意識して積極的に展開した徳川から政権を奪うという単なる一藩有志の政治目的のために、それを行った。そういう彼らを「志士」と呼ぶことは、如何な詭弁を弄しても無理である。
彼らは、具体的にどういうテロ行為を行ったか。
一部を列挙する。

  • 桜田門外で水戸脱藩のテロリストと薩摩藩士に暗殺された大老井伊直弼彦根藩ゆかりの者の暗殺(長野主膳の家族など)
  • 同じく彦根藩ゆかりの村山可寿江生き晒し(女にも容赦しなかった)
  • 京都町奉行所与力やその配下の暗殺(賀川肇など)
  • 幕府に協力的とみた商人への略奪、放火、無差別殺人
  • 佐幕派とみた公家の家臣たちの暗殺(あまりに多数。これらは公家に対する脅し)
  • 学者の暗殺(儒学者池内大学など)
  • その他、仲間内でハクをつけるための無差別殺人

これらのテロを行ったテロリストには、薩摩藩士や土佐藩士、土佐の郷土崩れなども含まれているが、圧倒的中心が長州のテロリストである。彼らのやり口は非常に凄惨で、首と胴体、手首などをバラバラにし、それぞれ別々に公家の屋敷に届けたり、門前に掲げたり、上洛してた一橋慶喜が宿泊する東本願寺の門前に捨てたり、投げ入れたりした。

彼らは「武士」ではない。人殺し集団である。彼らは言わば「戦争」の道具である。彼らは自分が人を殺すための「道具」として使われていることを自覚しているから、従軍慰安婦の場合と同様に、江戸の娘たちをレイプしては殺して、なんの恥辱も感じない。大事なポイントは彼らは「武士」ではない、ということである。戦場に常に、前線に立たされる彼らは、生きるか死ぬかの毎日を生きている。彼らは武士のように、倫理的に生きなければならないという自覚がない。なぜなら、明日、敵に殺されるかもしれないからだ。だから、いつ殺されても不思議じゃないから、今、倫理的でなければならない、という感覚が少しも自分の心の中から生まれない。
これは明治政府による中国侵略政策に通じる「タクティクス」だと言えるのではないか。問題は、前線で闘う「鉄砲玉」たちの「動機」である。こういった連中は、まっさきに死ぬ。わざわざ死ぬのになぜ戦おうと思えるのかの、その動機をどのように与えるのかが問題なのである。
この点に関して、日本は、まったくもって「倫理」的ではなかった。こういった下級武士=チンピラ=ヤクザに、どうやって

  • 動機

を与えるのか。こういった連中は普通に生きていても、なにも楽しいことはない。せめて、自分たちをアゴで使う連中を「蹂躙」することを「させてくれる」空間、つまり、アナーキー空間、戦争空間に、自分のサディスティックな欲望を満足させてくれる「快楽」を見出す。これが、日本の上級武士階級から、中国の富裕階級に変わったにすぎない。これは一種の「革命」なのである。暴力によって、富裕階級を陵辱すること、その「快楽」が日本軍の鉄砲玉たちに「動機」を与える。どうせ死ぬなら、自分たちをさんざん「馬鹿」にした連中を道づれにして、「革命」を起こすことが彼らの「快楽」だ、というわけである。

そういう情勢下で『池田屋事変』が勃発した。
新撰組が、長州過激派の強烈なシンパである薪炭屋・枡屋喜右衛門(古高俊太郎)の存在を突き止め、その自白から、長州過激派の孝明天皇拉致計画が明らかになった。古高俊太郎とは、近江・栗太郡(今の守山市辺り)の出身で、長州間者の元締的存在として武器調達なども担っていた、御所襲撃計画のキーパーソンである。
古高俊太郎の自白内容の骨子は、おおよそ次の通りであった。

古高の邸から、血判書や武器弾薬、放火道具、「會」の文字の入った提灯、長州過激派との連絡書簡などの物証も挙がり、京都守護職会津藩は震え上がった。如何に凄惨なテロを繰り広げてきた連中であったとしても、凡そ御所に火を放ち、天皇を拉致して自藩に連れ去るなど、尊皇の志の篤い会津にとっては信じ難い暴挙である。

これが「長州テロリズム」である。これを「礼賛」するのが、安倍総理だとして、はて。日本の未来に「心配」にならない人がいるとするなら、一体、どういった精神をしているのか、ということであろう。なぜ、戦後のGHQが、日本に平和憲法を強制したのか。こういった狂信的な連中をなんとかして、「抑止」しておくためだったわけであろう。もし日本に、もう一度、戦中の「武器」を与えたなら、彼らはもう一度、同じことを始めるであろう...。

明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト