ワンクリック革命

以前、ケータイのモバイルスイカを使っていたとき、いつも、ケータイをいじっていたので、そのまま、ペチっとやればいいというのは便利だな、と思ったものだが、最近のスマホは、そういった電子磁気カードを内包するオーバースペックがもったいないということのようで、アイフォンを始めとして、モバイルスイカが使えない機器がけっこうあって戸惑う。
これは、毎日、東京の電車の交通網を使って仕事をする人にとっては、お馴染みの感覚であろう。もしも、スイカを財布の中に入れていたら、あの人込みの中で、財布を取り出し、カードを取り出してペチっとするというわけで、あまりに、時間もアクションもかかり、後ろの人にわるいなあ、と思うというわけである。
ところが、最近のスマホカバーで、手帳型のものは、カード入れがついているので、そこにスイカを入れておけば、同じようなアクションでやれるということで、なんとまあ、こんな原始的な仕組みでよかったんだなあ、とあっけにとられるわけである。
例えば、ネットで、アマゾンのサイトで何かを買おうとしたとき、まず、私たちは、グーグルでアマゾンのサイトを検索して、そのアマゾンのサイトから、買いたい商品を検索して、注文する。
しかし、私たちは思うわけである。私がここで、グーグル検索をしているとき、私はこれから何をしたいのかが決定している。だとするなら、この「2アクション」は、凡長なのではないか。
つまり、こういうことである。

  • 一つの意志 = 複数の行動の合わせ技

これを強いるシステムは、競争に勝てない。消費者に複数の行為をさせなければ、消費者に目的の達成を許さないようなシステムは、エントロピー的に消費者の離反を招くことになる。一つ一つの行動は、その人にとって「重労働」だと考えるべきだ。つまり、途中で「疲れて」、やる気をなくし、気が変わってしまい、商品を買うモチベーション自体を失ってしまうかもしれない。
よって、求められていることは以下である。

  • 一つの意志 = 一つの行為(行動)

つまり、あらゆることは「ワンクリック」で行えなければならない。このように考えたとき、スマホアプリのように、各サイトのサービスをアプリとして、ワンクリックで起動し、作業を行えることは合理的だと言えるだろう。
あらゆることがこれに通じる。
なにかをするとき、意味不明な複数のアクションを強いるシステムは「あまごいの儀式」のようなものだ。なんか、ごちゃごちゃとうるさい行為をしないと、一つの意志が相手に伝わらないようなシステムは「周縁化」し、だれの目にもつかないようになる。まさに時代は「ワンクリック革命」だというわけである...。