著作権の非申告罪化

例えば、次のような未来を考えてみよう。
著作権の非申告罪化は、「この社会の悪」である、著作権違反を行う犯罪者をとりしまるために、当事者本人と

  • 関係なく

人々が勝手に「犯罪者」を、社会の隅々から探し出してきて、あくまでもその「事実」に基いて、

  • 悪人を牢屋にぶちこむ

ことを「目的」とした制度である。つまり、ここで警察はある「システム」を考える。
社会悪である、この社会の悪である「著作権違反者」は、この社会から一掃しなければならない。彼らを野放しにしておいたら、社会が腐って行ってしまう。不潔な彼らを「駆除」することは、この社会を無菌状態のクリーンな状態にしておくには必要なことである。それが「著作権の非申告罪化」の考えである。
警察は、どうやってこの人件費のない現代において、この社会悪の抹殺を実現するのかを考えた。そこで、「ドローン」が参考になると考えた。つまりは、人工知能である。
警察は、ネット上の著作権違反を行っている著作物を次々と、一定の「アルゴリズム」を使って、篩にかけていく。そして、それが犯罪と分かったら、自動的に、

  • 逮捕

するシステムを考えた。しかし、このドローンは「優秀」であった。ある意味、優秀「すぎた」。ドローン・アルゴリズムは考えた。そもそも、なぜ、この社会悪である著作権侵害が次々と発生するのか。それは、この世に

  • 著作物があるから

ではないのか。コンテンツ・クリエーターが、わざわざコンテンツなんていう、「どうぞ著作権違反をやってください」と言っているのと変わらないような著作物を作っているから、こんなことが起こっているのであって、世の中から、著作物なんていうものがなくなればいいんじゃないのか、と考えた。
そこで、このドローンは、この「社会悪退治」を行う最も効率的なアルゴリズムを思い付く。それは、

  • 一次創作物と呼ばれているものの製作者

にターゲットを絞ることである。よく考えてみてほしい。あなたが今月発売された「新刊」を本屋に見に行くとしよう。その本。帯を見ると、哲学だとか思想だとか批評だとか「かっこいい」言葉が書いてあるが、内容はほどんどネットのどこかで見かけた議論からの

  • パクリ

だったりする。彼らはまるで「自分が全て頭で考えたもの」といったように「しらばっくれる」わけだが、彼らにはそんな能力はない。彼らの考えることは常にどこかからのパクリであり、あまり世間に知られていないから、これをパクっても誰にも文句は言われない、という見積りがあって、しらばっくれる。
ところがドローンは「優秀」である。この文章と似たものなど、いくらでも世間から探して来る。この能力をしてみれば、一著作者に過ぎないコンテンツ・クリエーターを「はめて」、パクリ犯罪者にしたてあげて、牢屋に入れて、出てこれないようにすることなど、造作もないこと。ドローンの能力を「なめるな」、というわけである。
こうして、次々と、一次創作者を牢屋にぶちこんで、一切の一次創作者がいなくなった「世界」で、しかし、古いコンテンツに対する「二次創作」者たちが、次のドローンの

  • ターゲット

になる。そもそも「二次創作」は定義上、「パクリ」のことなのだから、もはや、ドローンの能力自体がいらない。機械的に、次々と、二次創作者=牢屋、ということで、次々と、牢屋にぶちこむ、ということになる。
ところがここで、このドローンは、はたと気付くことになるのである。

  • 人間がいなくなった!

どういうことか? ドローン以外の人間は、そもそも日常生活で文章を書かないことはない。というか、何かを作らないということがない。つまり、「二次創作をやらないことがない」わけであって、ということは、論理的に、すべての国民を牢屋に入れてOKだった、ということに、そのドローンは気付く、というわけである。
つまり、ドローンの優秀な能力は必要ではなかった。そんなものは、必要とすらされていなかった。なぜなら、国民全員を牢屋に入れていいことが最初から決定していたのだから。そういう意味では、こんなことにも、なかなか気付けなかった、このドローンは馬鹿だった、ということになる。
しかし、ここで矛盾が発生する。そもそも誰もいなくなった、この社会で、それらの機能を与えられたドローンたちだけが、まるで、ワンルームの床を、住人が昼間、会社で働いている間に、グルグルと何度も同じところをきれいにし続ける、自動ロボットのように、この社会を彷徨い続ける、著作権非申告罪化ドローンは、社会を彷徨う。すでに、どこにもいない。全員が牢屋に入れられて、存在しなくなった無人の社会を、これらドローンたちだけが、お掃除ロボットのように彷徨い続ける。
ドローンは人間ではない。いわば、この人間の社会の「悪」を駆除するために人間自らによって生み出された「救世主」である。ドローンは、この人間社会の「悪」を言わば、人間になりかわって「退治」してくれる。しかし、ドローンは知らなかったのだ。そもそも「悪」こそが人間の定義であることを。彼らは、あまりにも「まじめ」に仕事をした。だから、どうしても人間全員を逮捕せずにはいられなかった。つまり、彼らが

  • あまりにも正しい

から、人間はこの社会には必要でないことを証明してしまった。機械だけがいればいい、ということを分かってしまった。人間の「悪」を駆除することを目的に生まれた著作権非申告罪化マシーンは、その仕事を

  • やり遂げる

ことが、人間を滅ぼすことと同値であることを知らなかったのだ...。
これを、多くの人は「おおげさ」と思うであろう。
しかし、こういうことなのではないか?
中国は、諸子百家の時代に多くの思想家を排出してから以降、ほとんどクリエーティブな著述家が排出されなくなった。それは、儒家思想が、基本的に新しい思想を必要としなくなったから、と言えるであろう。
なにか「思想」を語ることは、社会の「破壊者」を意味するようになる。いわば「サヨク」だ。四書五経の膨大な文献をひたすら「暗記」することが、生きることと同値となる。
なにか新しいことを言おうとしているということは、逆に言えば、「だれかのパクリをしようとしている」ことと同値と解釈される。だれかのパクリなのに、まるでパクリでないかのように、しらばっくれることが「発明」と同値と解釈される。つまり、新しいと「言う」ことが、犯罪と同値になる。
これが「中世」であるが、国立大学の文系学部を廃止しようとしていて、政権与党は新興宗教団体に支配されていて、こういった宗教団体の嫌がることを言う文系の学者が次々と、社会から追い出されるようになろうとしている今の社会状況を見ていると、あながち空想物語ではないようにも見えてくる。言うまでもなく、今、最もその存在が危ぶまれているのが、安保法制を憲法違反と訴えた憲法学者であろうし、サヨク嫌いの連中によって、原発に反対してきたような人権派の良識派の人たちが、次々と社会的なステータスからパージされていくであろう。そして、それを嫌がる御用文化人、エア御用文化人たちが、自らの「サヨク嫌い」をその証明として、彼らの身代わりとして、彼らサヨクを政府に

  • 売る

というわけである...。