エリート・パニック

今回のフランスのパリで起きたテロ事件について、ある種の「エリート・パニック」のような状況が起きていることは、非常に懸念される事態ではないかと思っている。
まず、そもそも、アメリカにしても、フランスにしても、明確にシリアへの空爆攻撃を両国の軍隊が行っているわけで、その状況において、

  • 平和

はないんじゃないのか? 自国の軍隊が相手国に武力攻撃を行っている今の状況において、他方で自国内は「平和」というのは、事実の問題として、ありえないのではないか。
アメリカにしても、フランスにしても、自国の軍隊が今、シリアで何を行っているのかを分かっているなら、そもそも、それを「平和」と呼ぶことは許されないわけであろう。
実際の事実として、アメリカやフランスは「交戦状態」が続いている、と考えることができる。少なくとも「相手」には、そう受けとられている。それが現実なのではないか。
そもそもフランスは、ここのところ、何度も、いろいろな場所でテロ行為が起きていた。その事実を理解することなく、パリでの大きな被害を理由に「パニック」になることは、知識人の立場として許されるのだろうか?
今回、世界中にショックを与えたのは、ようするに、フランスの「パリ」が襲撃されたからであろう。つまり、それはアメリカのニューヨークでもいいけれど、ようするに、こういった都市は、東京も同様で

だったわけであろう。つまり、こういった都市が、実は「リスク」がある、ということをどうも認めたくない「エリート」たちが、パニックになっている。実際にこういった「エリート」は、こういった都市に「あえて」住んでいる。それは、こういった都市が「ブランド」だから。それだけに、端的に今の現実を受けいれられない、だからパニックになっている。
早い話が、3・11で福島第一の過酷事故で、東京ブランドが毀損されるとなったら、エリートが「パニック」になったのと同様であろう。
ということを考えるなら、アメリカやフランスやドイツが今後、中東のテロリストたちと「戦争」を行うということが、事実上不可能になっているのではないだろうか?
多くの人がすでに指摘しているが、たしかに、フランスのパリでの死者が百人を超えて、大きな被害であることは確かであるが、同じ時期に、レバノンの首都ベイルートでも同様のテロで二百人と死傷者がでているが、そちらは「いつものこと」であるから、なんの感情もわかないが、パリが「炎上」しているとなるとパニックになる、というのは、やはり、そこに「線」がある、ということなのであろう。
彼ら先進国エリートには、なんらかの「世界の線」があって、ニューヨークやパリや東京でテロがあると、パニックになるが、ベイルートだったら、なにも思わない、というわけであって、むしろ、そういった「感覚」が、今のこの「戦争」に対する

  • 感受性

を作ってしまっているんじゃないのか、といった反省はないようである。
つまり、ここにエリート知識人たちの「差別」感情がある。
なぜ今回のパリでのテロに対する日本のマスメディアの反応が、比較的「冷静」なのかは、単純にフランスと日本の関わりがそれほどないから、としか言いようがないであろう。これがもしもアメリカなら、つまり、9・11なら、あの時のように、民放も含めて、大きな報道となっていたであろう。アメリカは日本との実質的な「同盟国」であるだけでなく、太平洋をはさんだ「隣りの国」であるわけで、そういった感覚はマスメディアの人たちの認識とも合っている。
ようするに、どういうことか?
今回のパリのテロで、パニックになっている日本の知識人の多くは、フランス文化の研究者だ、と言うこともできるかもしれない。フランスは文化という意味では、アメリカ以上に世界中の知識人には認知されている。それだけに、パリが攻撃された、ということへの「ショック」が大きいのであろう。
フランス文化の研究者にとって、パリは多くの「仲間」がいる場所だ、ということになるであろう。そういう意味で、彼らへの「義理」を果たすという観点から考えるなら、今のフランスの中東政策を、フランス国民が「正義」と考えるなら、自らもその認識を同じくする、という方向になる、ということになる。ようするに、フランス文化の研究者は、そういった仲間意識から(もちろん、今後の仕事のやりやすさも関係して)、自らの「立場」を、フランス・ナショナリズムと同一化していかざるをえない。つまり、彼らは

となることと宿命づけられている。
それはアメリカについても同様で、どうもこういったフランス系、アメリカ系のエリート知識人の

が非常に深刻になっている、と考えることもできるのではないか。
彼らにしてみると、日本はアメリカやフランスとなぜ「一蓮托生」にならないのか、が気にいらない。アメリカやフランスが、中東と戦っているのに、なぜ日本は高見の見物をしているのか。そんな態度をとられると、自分が、アメリカやフランスの「仲間」と仕事をするときのイメージが悪い。
ようするに、なんで日本は中東と戦争をしないんだ、といった「パニック」を起こしている、ということになるのではないか。
日本は中東に空爆をすべきだ、と。そうすれば、アメリカやフランスにほめてもらえる。ということは、自分がアメリカやフランスの「仲間」にほめてもらえる。
つまり、どういうことか?
日本を本当の意味で危機におとしいれるのは、おそらく、こういった

  • アメリカン・スクール
  • フランス・スクール

に「所属」している、日本人アメリカ・ナショナリスト、日本人フランス・ナショナリストなのではないだろうか。彼らは日本国家に、より「過激」な、対(中東向け)テロ戦争への勇ましい宣戦布告を要求してくるであろう。しかし、私たちはそういった彼らの過激な発言の「動機」に注意しなければならない。
私たちは、アメリカやフランスが「戦争」をしている、ということを、もう少し「事実」として認識すべきなのではないか。そしてまずは、その客観的な「事実」を前提にすることで、アメリカやフランスの「被害」について考える必要がある。戦争をするとはどういうことか。当然、

  • 反撃

をされる、ということである。戦争をするということは、端的に、そういうことである。それは相手の勢力が大きいか小さいかなど関係ない。そういう意味で、この戦争は「終わらない」のだ...。