中田考『イスラーム法とは何か?』

マイナンバーを、全国の市役所で配達させるって、簡易書留を全国の人に送るって、どんだけ、郵便局を儲けさせようとしているんですかね。そもそも、再配達をしないから、不在ってだけで、みんな市役所に帰ってくる。さて、いつになったら終わりますかねw そもそも、ほとんど家にいない人なんて、いっぱいいるでしょう。マイナンバーを送るだけで、いくらかかるんだろう?
そういえば、ポール・クルーブマンがついに、転向ですかw そして、その言っている内容が、なんともまあ、常識的な理解だけに、これ、どうなっちゃうのかな、と。

潜在成長力とは、完全雇用と、設備稼働が100%のときの経済成長力です。完全雇用とは、日本では、職業の移動期間の失業である3%の失業率です。これを自然失業率と言います。12年勤務で4ヶ月くらいは職業移動のための失業があるのが平均的でしょう。日本人は平均で言うと生涯に3回会社を変わります(2015年4月の我が国の失業率は3.3%です:総務省)。
不況とは、潜在成長率に達していないことであり、失業率が自然失業率より高いときです。しかし、1998年の失業率は3.5%であり高くはなかったのです。
2015年の失業率も、完全雇用に近い3.3%です。完全雇用のときのGDP成長が潜在成長率です。ところが、2015年11月の実質経済成長は0~0.6%程度でしかない。
クルーグマンが、将来は高くなると見ていた日本の潜在成長力は、実は、低いものだったのです。
このため、日銀が国債を買ってマネタリー・ベースを増やしても、企業と世帯が新たに借り入れることによって増えるマネー・サプライの増加にはならなかった。
異次元緩和は失敗だった。クルーグマンの『Rethinking Japan』を読む=吉田繁治 | マネーボイス

前から思っていたが、どうも「リフレ」派の人が言う「成長」って、うさんくさいんだよね。つまり、どこか「イデオロギー」なんだよね。
なぜ、バブル以降の日本が、こうして「滅び」に向かっているかというと、バブルで小金(こがね)をもっちゃった、成金が勘違いしたんだよね。俺って、

  • 特別

なんだ、って。日本のエリートが「俺ってSUGEE」って。たかだか、センター試験で、高い点とったからって、なんの意味もないのにね。
つまり、バブル以降、日本社会が「プチ・ブルジョア階級」によって、支配されてしまった。どんどん。金持ち階級の税金が下げられた。そのとき、彼らリバタリアンが何を言ったか。金持ちが、貧乏人より多くの税金を払わされるのは

  • 不公平

だと言ったわけである。まるで、お城のような家で、メイドを雇って、殿様のような生活をしている連中が、「貧乏人は卑怯だ」と言ったわけである。ここから、日本の没落は始まったんだよね。
日本の滅びというのは、ようするに、「少子化」という形で現れたんだよね。つまり、ブルジョア階級しか、子どもを産まなくなった。つまり、そういう「税制」を、金持ち階級を中心にして、推進したんだよね。
はっきしていることは、こういった金持ち階級が、そのお金にものをいわせて、子どもを塾に通わせて、エリート大学に進学させる。つまり、こういったお金持ちしか、大学に行けなくなる。すると、大学に進学した連中が、「俺ってSUGEE」って勘違いする。
でもさ。
ようするに、お金にものを言わせて、塾に通えば、そりゃあ、大学も合格するよね。バカなんじゃないか。一方で、お金がなくて、大学の授業料も払えそうにないから、さっさと、大学をあきらめる貧困層がいるのに対して、金にものをいわせて、塾で勉強づけにしてもらえる都会のもやしっ子たちでしょう。それで、自分SUGEEでしょ。俺ってエリートって馬鹿なんじゃないかと本気で思っているんだけどw
この頃から、日本は終わったんだよな。
ようするに、子どもがいなくなっちゃったんだ。ブルジョア階級にしか、子どもがいなくなった。
つまり、少子化である。ということは、どういうことか? 「成長」しなくなったんだよね。だって、成長って、「足し算」だからね。日本の全員の成長を足し合わせたものが、日本の成長なんだから、人口が減れば、必然的に、成長が「減る」よね。つまり、日本「全体」としては、

  • 低成長

だよね。さて。どうしてこうなっちゃったのかな? 言うまでもないよね。お金持ちの日本人は、貧乏人の日本人が

  • 嫌い

だったからだよね。彼らは子どもの頃に、貧乏な家庭の子どもにさんざん「いじめ」られたから、貧乏人が大嫌いなんだよね。だから、彼らは貧乏人が子どもを産むことを嫌った。貧乏人に国家がお金を使うことを嫌った。彼らはそうやって、貧乏人をいじめる「快楽」に酔ったんだよね。
つまり、今の日本というのは、富裕階級による貧困階級への「復讐国家」なんだよね。
でもさ。
そうしたら、なにがおきたか。けっこう、貧乏人って弱かったんだよ。みんな富裕層がちょっと本気をだしたら、貧困層はどんどんと「負け」ちゃったんだよね。そうしたら、負けましたって、富裕層のための「労働者」の供給のために、安価な労働力の提供を行うための「再生産」を、こういった貧困層が行ってくれると思ってたら、まったく逆で、貧困層は、だったら子どもを産まないよ、っていう

  • ボイコット

に走ったわけで。そうだよな。なんで富裕層の奴隷にするために、子どもを産まなきゃなんないのかね。なんというかな。日本という国は、こういう冷たい国だったんだなー、というのがよく分かるよね。
掲題の本を読むと、こういった日本の勘違い「エリート」と、まったく正反対なんじゃないかな。イスラームって。
なんていうかな。日本って、虫酸が走るんだよね。怖気がするよね。エリートの勘違いっぷりに。俺ってSUGGE、みたいな? お前がすごいわけないだろ、って思うんだけど、そういった「聖と俗」の

  • 二元論

を死ぬまでやらないと気がすまないんだね。というか、二元論ってバカだよね。二元論って偶像崇拝だから。

お前たちが彼をさしおいて仕えているのは、お前たちやお前たちの祖先が命名した空名にほかならない。アッラーはそれについてなんの権威も下し(与え)給うてはいない。決定はアッラー以外には属さない。(第12章第40節)

人間が命名しただけで、アッラーの啓示によって認められていない語彙は、対応する実体をもたず虚偽であるばかりでなく、偶像となって人々を隷属させ支配することにもなります。クルアーンが偶像を「お前たちやお前たちの祖先が命名した空名」と呼んでいることは示唆的です。偶像とはヘブライ語聖書が言うような具象化された物体であるよりも、概念であり、虚偽の概念として人を支配するものです。

まあ。分かりやすいよね。表象文化論こそ、典型的な偶像崇拝でしょう。だって、それぞれの「作品」の内容については、言及しないんだからね。こういった個々の作品の内容と「離れて」なんらかの、時代的な「概念」が、表象として指摘できるってわけでしょう。やれやれ、だよね。何様なんだろうね。神様にでもなったつもりなんじゃない? 怖いね、こういった勘違いってw

つまり欧米的世界観では、イスラームにおいては明確に分化している法システムと政治システムが、同じ「政治」のカテゴリーに分類され、イスラームにおいては法システムであるシャリーアの法規定が「宗教」のカテゴリーに分類されるため、「政治」と「宗教」が分離していないかのように見えるのです。
では、シャリーアの法規定がイスラームにおける「宗教」ではないとすれば、イスラームにおける「宗教」とは何でしょうか。

つまり、イスラームにおける「宗教」はスーフィズムなのです。ではフィクツではなくタサウウフ、スーフィズムイスラームにおける「宗教」であるという理由は何でしょうか。
第一の理由としては、スーフィーが、一般のムスリムとは異なり霊感(イルハーム)というかたちでの神とのコミュニケーションを取ることができる神に近い特別な関係にある者「聖者(ワリー)(字義どおりには「近しい者」)」とみなされるのに対して、ファキーフは神との特別なコミュニケーションの手段もたないことです。

イスラームは「大衆文化論」で徹底している。つまり、宗教がない。こういうと矛盾のように聞こえるかもしれないが、むしろイスラームとは「法」と呼ぶ方が私たちの感覚に近い。むしろ、私たちが「宗教」だとか「エリートの権威」だとかと呼んでいるものは、イスラーム社会では

と呼ばれているものなのであって、また別のカテゴリーだ、ということなのである。

税金を払ってムスリム世界に住む異教徒を庇護民(アフル・ズィンマ、ズィンミー)と呼びますが、アフル・ズィンマには最初の庇護契約締結において納税が条件とされる以外に行為規範が課されることはありません。イスラーム法の行為規範は、来世での賞罰への信仰に基づくものであり、ムスリムにのみ課されるものですから、当然のことです。クルアーンの章句も異教徒に求めているのは納税だけです。
イスラームの宣戦布告で戦闘が許されるのは納税が拒否された場合ですので、その目的はイスラームの布教ではなく徴税ということになります。しかし、実は婦女子にはそもそもジズヤ税は課されませんし、貧者にも課されません。ジズヤ税を払えない貧者は追放もされず奴隷にされることもありません。逆に国庫(バイト・マール)から扶養を受けることができます。つまり、ジズヤ納税は、税収自体が目的ではなく、税金を払う見返りに生命の安全を保障する、ということではないのです。そうではなく、ジズヤ納税は、イスラーム法による支配の正当性の承認の象徴とみなすべきなのです。つまり、異教徒は、イスラームに入信しなくとも、イスラーム法による支配の正当性を認める、つまりイスラーム的秩序を乱さずにムスリムと共存する気さえあるならば、ダール・イスラームの住民になることが認められるということです。

この、どこかヤクザにみかじめ料にも似たシステムの特徴は、徹底した異教徒の「自治」を認めている、ということではないか。つまり、完全な「一般意志」の否定である。むしろ、イスラームこそ、こういった意味での「自由主義」を可能にしている。
一般意志という「全体主義」は、必ず、「他者」の抑圧に結果する。それは、

  • 多数決

による、ムスリムのスカーフの禁止といった「自由の抑圧」をもたらす。気にいらない奴、子どもの頃に「いじめ」られた貧乏人への復讐を果そうとする、富裕層のどす黒い欲望が、そこに反映される。彼ら孤独な都会を彷徨う若者は、どんな中間集団との繋がりもないがゆえに、国家へと無限の恭順を示すことになる。国家は「正義の味方」であり、国家は「ヒーロー」になる。つまり、国家が

  • 聖性

に変わる。多数決での「決定」は、まさに、「神による御託宣」と同様の機能をもつ。法律で、ムスリムのスカーフの禁止が書かれているなら、どんな手段を使ってでも、それは「禁止」される。その「他者」への「暴力」が何を意味しているのかを考えない。

万人は力に応じて義務を負う。力とは、権力(スルターン)と権威(ウィラーヤ)であり、権力の持ち主は他の者より力がある。そして、彼は他人にない義務を負う。なぜなら、義務のかかる対象は力だからである。(『フスバ・フィー・イスラーム』)

イブン・タイミーヤによるとウィラーヤがムスリム共同体(ウンマ)に各人の力に応じて分有されているのと同じくウィアーラも、特定の選挙人「解き結ぶ者」が一人のカリフを代理人として選んで政務をすべて委託するのではなく、「組合」のようなウンマ全体の協同を基礎づけるものです。

さて、(累進的な税制によって)貧乏人は金持ちからお金を盗んでいると言った、竹中平蔵に聞かせてやりたいよね。イスラームは「力」に応じて義務を負うんだってさ。立派だよね。

預言者ムハンマドに一人の男が「最も優れたアマルは何でしょうか?」と尋ねました。預言者は「アッラーを信じ、彼(の啓示と預言者)を正しいと認め、彼の道でジハードを行い、敬虔な巡礼を行うことです」と答えられました。男が背を向けて去ろうとすると、預言者は呼び止めて、言われました。「それより簡単なことは食べ物を施すことと優しい言葉をかけることです」。
預言者は、来世で儲かるいちばん簡単な「労働」が、優しい言葉をかけて食べ物を施すことだと教えられたのです。これをイスラームの経済倫理と呼ぶなら、こうした経済倫理は、イスラーム法学者でない一般のムスリム民衆の間にも今も脈々と生き続けています。

まあ。中東の人口爆発の理由がよく分かるよね。みんな助け合っているんだよ。他方で日本はどうだい。まあ。これじゃあ、日本は滅びるよね...。

イスラーム法とは何か?

イスラーム法とは何か?