アニメ「ミリオタ」元年

この前も書いたのだが、アニメにおける「ミリタリー」というのは、一体、どうなっていたのかな、と考えてみると、実はよく分からない印象を受けるわけである。
言うまでもなく、宮崎駿は、どう、だれが見ても「ミリオタ」なわけである。というか、かなりどっぷりと漬かって、少年時代を過ごしてきたわけで、この二つ、つまり、アニメと「ミリオタ」を離して考えることができないわけである。
ところが、彼の作品を見ても、そういった「ミリタリー」を本格的に描いた作品というのは、最後の「風立ちぬ」くらいで、基本的に直接、ミリタリーを全面にだしたものはない。まあ、こう言うと誤解があって、ようするに

  • 未来設定

としての「ミリタリー」は、戦後民主主義の日本においても許されてきた、ということなのだと思う。
宇宙戦艦ヤマトにしても、機動戦士ガンダムにしても、エヴァンゲリオンにしても、いわゆる、「未来戦争」としての、なにがしかの「兵器」は描かれるが、それが、直接「今」の「ミリタリー」と、直結しない。
ここには、おそらく、「戦後の日本の思想統制」が深く関わってきたのではないか、と思っている。
そうやって、考えてみると、どうも日本のサブカルチャーにおける、「アニメ」の批評の歴史は、どうも「おかしい」わけである。例えば、エヴァンゲリオンが「評価」されるというとき、その評価は、むしろ

といったような、心理学的なアプローチからの「文学作品」としての批評対象として眺められる。そして、そういった視点で「アニメ」や「漫画」が批評の対象として、ゼロ年代批評などでは扱われるわけだが、ようするに

  • 心理学

なわけである。もっと言えば、「心理学還元主義」なのだ。「アニメ」や「漫画」や「ラノベ」に対して、すべての差異を「還元」して、心理学で「分類」する。
しかし、こうすると何が起きるかというと、例えば、宮崎駿がもっているような「ミリオタ」の属性って、完全に捨象されるわけである。宮崎駿批評のはずなのに、なぜか彼の批評において、彼の「ミリオタ」としての属性が、意図的に無視される。
おそらく、彼ら「批評家」は、そういった宮崎駿の作品の「ミリオタ」的な特徴について、ほとんど

  • 見ていない

んじゃないのか、と思っているわけである。そういったものは「ノイズ」なのだ。全部、心理学に関係するところしか見ていない。もっと言えば、

  • 工学部的な「教養がない」

わけである。基本的なトレーニングを受けていないから、宮崎駿が自らの「アニメ」を実現するときに、「武器」としている、自らの内面にある「技術」を、感覚的に理解をする素養が決定的に欠けている、ということなんじゃないのかと思うわけである。
そういった視点で、近年のアニメにおいて注目すべき作品は、ストパンであり、アルペジオであり、ガルパンであろう。それぞれ、空軍、海軍(潜水艦)、陸軍(戦車)と対応するわけであるが、この中でも、最も重要なのが、陸軍のガルパンであることは、この前から、ずっと言っているわけである。
なぜ陸軍、それも戦車が重要なのかといえば、言うまでもなく、WW2における「ドイツ」がまさに「戦車戦」において、決定的だったことにあるわけで、もっと言えば、「ヒットラー」が戦車戦に「こだわった」わけですね。そのことが、WW2における戦争の特徴を決定づけた。そういう意味で、そもそもWW2は、「戦車戦」が分からなければ理解できない、というくらいに

  • WW2=戦車戦

といった特徴をもっている。
つまり、例えば、ゼロ年代批評でもいいんだけど、ポストモダンでも、ポスト構造主義でもいいんですけど、ようするに「心理学還元主義」でやってしまうので、こういった工学的な「ファクト」って、ただの

  • ノイズ

になってしまうんですよね。「心理学」さえ「支配」すれば、世界を支配できるっていったような「哲学還元主義者」たちなので、ようするに、その主張が「貧しい」んですよね。
ストパンアルペジオガルパンに共通するのは

  • アニメと「ミリタリー」を、完全に「地続き」に<してしまった>

ということなんですよね。つまり、アニメの「中」に、「ミリタリー」が、怒涛の如く「雪崩れ込んできた」わけです。もはや、一切の垣根がなくなったから、膨大なミリタリー「オブジェクト」が、完全にアニメの中に、ヴァーチャル・リアリティ化されてしまった。
例えば、以下のサイトは、劇場版ガルパンの「まとめサイト」ですが、

このように、WW2のミリタリー関係の諸々のものが、なんの媒介もなく、直接、生々しいまでに、アニメ上に「登場」してくる。もはや、ここには「垣根」がないわけである。
どんなものも登場しうるし、どんなものも「それそのもの」として、ありうる。
しかし、中でもガルパンを理解する上で、最も重要なのは、主人公の西住みほが、黒森峰から転校した女子高生であり、黒森峰を象徴する戦車こそドイツ製であることからも分かるように、特に、WW2におけるドイツ戦車の「歴史」を、ある程度理解をしていないと、この作品の基本的な構造が分かってこない。そういう意味もあって、

ドイツ戦車発達史―戦車ものしり大百科

ドイツ戦車発達史―戦車ものしり大百科

という本を流し読みさせてもらったが、なんにせよ、WW2は「ドイツ」を中心にした戦争だったわけであり、そのドイツの「盛衰」が、そのまま、WW2の「歴史」であったわけであり、そのドイツが行った戦争のスタイルが、まさに、「戦車戦」を軸にしたものだったわけで、そういう意味では、ドイツの戦車の「盛衰」が、そのまま、WW2だった、と言っても過言ではないわけであろう。
ドイツのWW2における戦車戦は、非常に単純化するなら、フランスなどへの侵攻時の、一般に「電撃戦」と呼ばれている前期と、ロシアに攻め入ったときに、ロシアの戦車と攻防を行うことになる後期に分かれると言えるであろう。
このような視点から考えたとき、前期の「電撃戦」においては、相手国がまだ戦車に大きなウエイトを置いていなかったこともあり、その頃までは、比較的に軽武装、軽装甲で、むしろ、その「機動力」が戦局を大きく決定した、と考えられる。主力の中心は、3号や4号ということになる。
他方、ロシアの重戦車に対抗して、ドイツ側もティーガーなどの、重武装、重装甲の戦車の「開発競争」を行っていった時期は、確かにそういった意味においては、ロシアに「対抗」するという意味では、それなりの意味をもったのかもしれないが、他方において、「電撃戦」の頃のような、なんらかの「機動性」こそが、ドイツの「戦略」の武器として考えられていたといった側面からは、次第に、別のものに変わっていった、というのが実際のところなのであろう。
ガルパンの構造は、主人公の西住みほの乗る、主人公の戦車が4号であるのに対して、その「ライバル」である、姉の西住まほが乗る戦車が、ティーガー1となっているわけであるが、ここで考えたいのは、どうして「ヒロイン」たちが搭乗することになる戦車が4号だったのかな、ということなのである。
ティーガーといえば、ドイツ戦車の中でも人気のある、上記で言えば、後期にあたる、言わば、最新鋭の、重武装、重装甲の

  • 実験的

な側面さえもつ、「最強」の戦車だと言えるが、ティーガー1は戦場においても、非常に数が少なく、扱いも難しく、壊れやすかったため、常に、優秀なメカニカル・スタッフを多く帯同しなければならなった、と言われている。
他方において、4号は、上記で言えば、前期から後期を含んで「WW2の全体において活躍した」、言わば、「枯れた」技術で作られていて、比較的に「安定」した性能が保障され、結果として、長く使われ、量産され続けた

  • ドイツ戦車を代表する一台

と言ってもいいのではないだろうか。しかし、この前も、動画を紹介させてもらったが、
あんこうチームを乗せて走る!組み立て済みの1/12本格戦車模型、ただいま予約受付中です! - YouTube
この動画を見てもらえば、一目瞭然なんじゃないか、と思うわけである。

主人公西住みほ率いる "あんこうチーム" の戦車がこの4号D型です。クルー全員にそれぞれ専用の乗降ドア(ハッチ)が用意され、そこから全員が身体を出して走行でき、しかもそのポーズがサマになる4号戦車は威風堂々のスタイリングとあわせて主役たちの乗る戦車として選ばれたのも当然かもしれません。
作中で語られるとおり、4号戦車は第二次世界大戦を通し、"働き馬" として使われた、ドイツ軍でもっとも一般的な戦車でした。戦争も後半になると、戦訓の採用や対戦国からの影響によって戦車のデザインも次第に変わっていきます。ですが4号戦車は戦前のドイツ人が考えた理想の戦車像を色濃く体現していました。そのクルーは、指揮官である戦車長、砲塔を旋回させ戦車砲の俯仰(高低)角を調節して砲を撃つ砲手(照準手)、戦車を自在に走らせる操縦手、本部や仲間チームの戦車との無線連絡を担当し、車体前方の機銃も扱う通信手(無線手)、砲に弾を込める装填手の5名で運用されました。
すぐれた特徴としては、防弾ガラスのついた視察窓をいくつも備えた見張らしのよい司令塔(キューポラ)から周辺を観察し、状況判断や指揮に専念できる車長を置いたこと(この点からも5両を率いるチームリーダーが乗る戦車として最適です)。うるさい戦車内でもヘッドホンと喉頭マイクによる車内通話装置によって戦車長と乗員間のコミュニケーションが確実だったこと、緊急時にも素早い乗降ができたこと(床下にも脱出ハッチがありました)、3名が乗る砲塔の床はバスケット状に砲塔から吊り下げられ砲塔の旋回を気にせず安全に戦闘動作ができたことなど、いくらでも挙げることができます。比較的余裕のある設計により、改良を繰り返しながら終戦まで主力戦車であり続けたのです。

それにしても、上の動画いいよね。figmaの5人のフィギアが、走っている戦車の

に見えるわけでしょうw もう、これで主人公マシンに決定でしょうねw だってさ。普通に考えて。自分がどの戦車に乗るかって聞かれて、全員分の脱出ハッチが用意されてる、これに乗りたいんじゃない?
まあ、こう考えると、「あんこうチーム」が4号D型を乗ると決まった時点で、実は、大洗チームのリーダーは西住まほに決まっていたわけですよね。だって、他の戦車に、そんな「戦車長」のような、指揮官専用のバッファーなんて、ないに等しいわけでしょう。
ようするに、ドイツ人的に、「ザッツ戦車」なわけですよね。枯れた技術ではあるけど、

  • 戦車とはこうあるべし

という、細かいところにまで、気が届いた「理念型」なんですよね...。