微分の倫理学

アマゾンは、日本に税金を納めていない。ということは、本社のアメリカに税金を納めている(きっと、ほとんどが、タックス・ヘイブンなんだろうがw)。
しかし、思うわけである。
明らかに、日本国民向けに、日本の商品を売っておきながら、日本に税金を払わない。そういう企業が増えると、どういうことになるのか?

パナマ文書によって、グローバル企業の租税回避に対する風当たりがいよいよ強くなってきていますね。
これについては、日本で企業活動を行っているグローバル企業がちゃんと日本に税金を落としていってくれているのかという点が、僕たち日本人にとっては特に気になるところです。
身近にある海外企業としてはアマゾンなんかがパッと頭に浮かびますが、実はこのアマゾン、日本にちゃんと税金を払っていないということで、国税当局から約140億円の追徴課税を受けたという過去があります。
アマゾン日本事業の売上はほぼアメリカへ ~自国の税金をどう確保していくか~ | マネーの達人

少し考えてみよう。
確かに今、タックス・ヘイブンは法律違反ではない、ということになっているらしい。
そうした場合、タックス・ヘイブンを使ってもいいのだろうか?
この場合、タックス・ヘイブンを使っても「いい」という場合の意味は、「法律に違反していない」ということ以上の積極的な意味はないであろう。
つまり、ここで一つの思考実験をしてみよう。
私は今、旧石器時代のまだ「国家」のない世界に産まれたとしよう。そこには、非常に小規模の「部族」単位の人間社会しか存在しない。
さて。

  • 国家の法律に違反していない?

なんのことでしょう? 旧石器時代の人類には、まだ、国家はない。当然法律はない。

  • じゃあ、なにをやっても「法律に違反<できない>」

のだから、なにをやってもいい、ということになるよね。
まあ、だれもが自分勝手に生きたら、一瞬で、村は滅んだでしょうが。

  • 世界中の人が、ある行為は「悪」だと思っているのに、それを禁止する法律がない場合、その行為は「善」だろうか?
  • 世界中の人が、ある行為は「悪」だと思っていて、世界中の法律でそれを禁止しているにも関わらず、あるファシストがそれを「善」だと確信して行った場合、もしも独裁者の仕事をわずらわすことがないように、独裁者に対する裁判の訴えが法律で「禁止」されているとき、その行為は「善」だろうか?
  • 世界中のどこの法律にも禁止されていない行為について、ある友達付き合いを継続して行っている仲間が全員で、「そういう行為は迷惑だから、みんな、やらないようにしよう」と決めたとする。その時、その仲間の一人がそれに逆らうことは「悪」だろうか?
  • ある法律が、ある瞬間に成立したとする。もしも、その法律が成立する前、それは「悪」だとみんなが思っていたとする。では、その法律が成立した<後>、それは「善」になったのだろうか?
  • もし、ある人が、たまたま<偶然>にも、世界中の法律に違反していないが、それを行えば、一瞬にして世界中を滅ぼせる方法を発見したとする。さて、それを行うことは「善」だろうか?

私がここで言いたかったことは、パナマ文書に名前が載っている企業なり個人が、「法律違反をしていない」と主張していることに対して、「いや法律違反をしているだろ」と言っているのでも、「たとえ法律違反ではなくても、国家は取り締まるべきだろ」と言っているのでもない。
そうではなく、私たちは、こういった企業や個人が「まともなアカウンタビリティ」を果たすこともなく、これからも、のうのうと半脱税行為を繰り返すことを止めない連中に対しては

を行うべきだ、と言っているわけである。彼らは「私たちの仲間ではない」と自分で言っているのと変わらないわけでしょう。
例えば、世の中、いますよね? 民主主義否定論者とか、エリート主義者とか、まるで、エリート以外は人間じゃない、みたいに、エリートとしか会話をしようとしない連中とか。そういった連中に対して、私たちのような普通の市民は、まず、彼らを「仲間」と思うのを止めましょうよ。そして、彼らが売る商品を買うのを止めましょうよ。だって、そうしないと、彼らって、どんどん

  • つけあがります

よ。だって、いっくら、大衆を「差別」するようなことを言っても、この日本で食べていけるんでしょ? そりゃあ、どんどん過激になりますよね。よりいっそう、大衆は馬鹿だ、とか言いつのるわけでしょう。
ようするに、馬鹿にされているんですよ、国民は。
だって、大衆は馬鹿だ馬鹿だ、って言えば言うほど、馬鹿な大衆が、そういうエリート主義者の本を買うんですかね。そりゃ、馬鹿ですよ。みなさん。賢くなりましょう。その第一歩が、自分たちを馬鹿にするエリート主義者の本を買わないことです。それができて、始めて、私たちは一人前に扱われる権利を得るわけですw
アマゾンもそうで、日本人を馬鹿にしているんでしょうね。彼らは、そうやって日本国民が損をすることを「当然」だと思っているのでしょう。まあ、一種の差別主義者なのでしょうw
私たちは少し冷静になるべきでしょう。なぜ、自分たちを差別する連中を「平等」に扱わなければならないのか。差別を止めないのなら、こっちから、彼らを「仲間」として扱うことに抑制的であるべきではないのか。
まず、彼らが売ろうとしている「商品」を買うことを止めなければならない。なぜなら、そうしないと、彼らが私たちに対して行い続けている「差別」を止めようとしないわけであろう。彼らは私たちを差別することが「楽しい」わけであろう。そういう「差別」に、欲望や快楽をもっちゃっている。だったら、そういった連中が、「差別」を楽しいと思うようになっている今の

  • 構造

に抗わなければ、いつまでも、彼らの「差別」は終わらない。私たちは彼らが「差別」をすることで、彼らが「不利益」になることによって、彼らが自らの行為を「躊躇」するようになる方向にもって行かなければならない。
そもそもこの世界は、微分積分によって、単純化されている。なにかが顕在化していない(法律化していない)ことが、速度、加速度をもって、今まさに顕在化しようとしていることを意味していることを否定しない。あらゆる「正義」は、微分化されて、速度、加速度をもって、世界に現れる。人間は、一瞬にして、以前までの「悪」を否定し、「善」に目覚める、というわけである...。