自殺ツーリズム

そもそも、ダークツーリズムとはなんなのか、ということについて、以下の記事を見ると、アカデミックにはまだ確定していない、みたいなことが書いてある。

このように、ダークツーリズムは流行のようになりつつあるが、学問的定義はまだ定まっていない。とはいえ、大量死や事故などの悲劇の現場を訪れ、そこで起きた出来事の記憶を継承する営みという点に関しては、多くの論者が同意しているように思われる。
やっかいな「ダークツーリズム」 ~言葉のひとり歩きが“遺産の価値”を曖昧にする(岡本 亮輔) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

もちろん、だからといって「それがどうした」と思う人は多いとは思うわけだが、私はちょっと気になるわけである。
なぜ、ダークツーリズムという言葉が流行のように、一般に使われていながら、それが学問的な定義をともなわないのであろうか。そう考えてみると、そこにある、なんらかの「曖昧さ」が気になってくるわけである。
ダークツーリズムの重要なポイントはなんだろうか? おそらくそれは、旅行をする人の「不謹慎」さにあるのではないだろうか。つまり。ダークツーリズム旅行者は、旅行をするわけだが、そもそも人がなぜ旅行をするのかについて、なんらかの「理由」のようなものを前提にすることには、根源的な無理があるのではないか。
旅行をするということは、そうすることによって、なんらかの「利益」がもたらされる、と考えていることを意味するのであって、それ以上でもそれ以下でもない。だとするなら、それ以上の意味をそこに読み込むこと自体が不遜なのではないか。
例えば、近年、中国の観光客が日本で人間ドックに入るのを、観光ルートに入れるケースが注目されていたわけだが、そのことは、中国国内の医療制度に対して、日本の医療制度への一定の評価があった、と考えられる。
こんなもののどこが「観光」なのか、と思うかもしれない。しかし、よく考えてみてほしい。旅行に「定義」はない。なぜか、人は旅をして、そしてその地を訪れる、というわけで、人は勝手にかの地に降りて、かの地を飛び立っていくわけである。
例えば、もしもある国に「観光」で訪れるという行為に、なんらかの「脱税」的な「税金対策」的な利点があるなら、人はそれを行うことをためらわないであろう。つまりは、タックスヘイブン・ツーリズムである。
また、こんなふうに考えられないだろうか。人間ドックを目的にしたツアーがあるなら、その逆もあるのではないか? つまり、「自殺」ツーリズムである。フロイトは晩年、人間の本質は「死の欲動」にあるとした。つまり、戦争神経症の診断から、フロイトは人間には本来的に死への「欲望」があると考えた。人間は欲望を求める存在であるが、自殺は人間にとって究極の「快楽」なのだ。もしも、人間が自殺を禁じられないなら、ほとんどの人間は自殺をする。なぜなら、人は自殺への「欲望」に抗うことができないから。
タックスヘイブンが、世界中の国々の中のほんの一部の国が、半脱税的行為を「合法」化することによって存在しているように、世界中の国々の中のほんの一部の国が、

  • 自殺

を合法化する。すると、それらの国へと、各国の自殺志願者は「ツーリズム」を企画することになる。
そう考えるなら、福島第一原発観光地化計画も、一種の「自殺ツーリズム」だったのではないか、と考えることもできる。ツアー客は、できるだけ、福島第一原発の格納容器に近づくことを「欲望」する。そして、世界でもほとんど存在しない、

ことを可能にする唯一の場所に少しでも近づきたい、近づいて、半強制的な「被曝」によって、少し時間をかけた

  • 自殺

ができることに「快楽」するわけである。
例えば、ダークツーリズムのツアーの一つの企画として、「拳銃を撃てる」サービスを考えることもできるであろう。もちろん、拳銃を所持することが犯罪にならない、アメリカのような国を考えればいい。しかし、この問題はさらに、先を考えることができる。
例えば、ある国では、死刑が合法化されており、さらに、死刑囚を殺すことを、国民への「サービス」として提供している国があったとしよう。つまり、「殺人ツーリズム」だ。死刑囚を拳銃で撃って、人殺しを「旅の楽しみ」として提供するわけである。
この話はさらに先を考えることもできるであろう。「殺人コロシアム・ツーリズム」だ。死刑囚同士を、コロシアムで殺し合いをさせる。お互いのどちらかが死ぬまで、殺し合いをさせて、それを見て、楽しむ、というわけである。
こんなひどい話があるか、と思うかもしれない。しかし、そもそも

  • ダークツーリズム

の定義とは、こういうことなのではないのか。大事なポイントは、観光客は「不謹慎」な動機でいい、というところにある。ダークツーリズムはどんな動機で観光客が観光してもいい。たとえどんな理由で観光を行おうとも、それによって、観光客がなんらかの

  • 経験

をすること自体が、「価値」なのだ。つまり、なにも知らない状態だった観光客が、観光をすることで、なんらかの「経験」をする。そもそも、なにも知らなかった時点で、なにかを判断できるわけがない。だとするなら、なんらかの「体験」は、あらゆる認識の第一歩だ、と考えるわけである。
例えば、もしもアメリカ合衆国が今だに黒人奴隷を合法化させている、南北戦争以前の国家だったとしよう。そこで、アメリカの旅行会社は日本人向けにある「差別ツーリズム」を企画する。日本の観光客はアメリカに到着するやいなや、ある黒人奴隷を、

  • 自分用

にあてがわれる。つまり、その日本人観光客用の黒人奴隷として「好きにしていい」という意味なわけである。そこで、この日本人観光客は、その黒人奴隷を、さまざまな暴力をふるう。奴隷だという意味は、最終的に主人である日本人観光客が、その黒人を殺しても罪に問われない、という意味なのだから、殴りすぎて、殺してしまうわけだが、そうするとすぐに、代わりの黒人奴隷がわりあてられる、というわけである。
ダークツーリズムとは、本来、こういう定義である。それは、ツアー企画側は、

  • お金儲け

をするのであって、その意味は観光客の「欲望」を満足させる。国家間の法的な差異を使って、自国では決して満足させられない「欲望」を、観光客に与える。大事なポイントはそれによって「なぜ儲けることが可能になるのか」の答えとなっていることである。

井出:とは言え、ダークツーリズムだけだと、やはり辛いんですね。精神的に消耗するんです。今は本を書いている途中なので、博物館の展示に入れ変えがあったと聞くとそこに行くわけですが、土曜日に水俣に行って、日曜日にハンセン病資料館に行った際は、さすがに結構つらかったです。ですので、たとえば神戸の「人と防災未来センター」を訪れる際には、異人館みたいな面白いところも見て、中華街で美味しいご飯を食べたりもします。そうすると少しは気持ちも楽になりますから。ダークツーリズムは大事ですが、それだけだと旅人の精神がもちません。とくに若い人には精神的な負担が大きいでしょう。ですから、ダークツーリズムポイントを訪れるときは、心の休憩も大切です。神戸の場合は、災害でこんなに大変だったけれど、こんなに復興したんだというところもあわせて見てもらうといいと思いますよ。
Q:ダークツーリズムに、楽しい要素を取り入れるのは少し気が引けますが。
井出:わたしが、ゲンロンの福島第一原発観光地化計画に賛同したのは、レジャー施設も一緒につくるプランになっているからです。この点に関して、様々なご意見をお持ちの方がいらっしゃるのも事実で、不謹慎だと言われることもあります。ですがレジャー施設はとても重要です。沖縄のダークツーリズムスポットに今もなお沢山の人が訪れているのは、レジャー施設でも誘客できるからなのです。これは先述の「心の休息」という観点だけではなく、ダークツーリズムに直接の興味を持たない層に悼みへのきっかけを与えるという観点からも重要です。
【再録】「ダークツーリズム」って何ですか? 観光学者・井出明先生に聞いてみた! | ゲンロン出版部

ようするに、不謹慎は売れるわけである。そうやって、不謹慎なことをやりたい欲望をもっている人は、そういったツアーに参加する。一般にやってはいけない、と言われていることをやらせてくれるとなれば、

  • 売れる

のだから、儲かる。ツーリズムの本質は「ツアー企画側が儲かる」というところにある。そうだということは、ツアー参加者にとってこれは「娯楽」であり、「エンターテイメント」であることを本質としていなければならない。
ダークツーリズムとは、「不道徳ツーリズム」であって、それが「ツーリズム」の本質だというところに意味がある。「不道徳」だから、このツアーは売れるのであって。ツアー企画側はビジネスモデルとして成功するのであって、だから

  • ダーク

なわけである...。