森山高至・中澤誠「豊洲移転はファンタジーになりつつある」

例えば、バブルの頃、日本では土地神話があった。それは土地の価値が

  • 無限

に上るという神話であって、もちろん「無限」などという数学的幻想はありえないから、バブルははじけた。そこから日本は「失われた10年」などと言われたわけだが、果してこの「幻想」はさめたのだろうか?
その間には、アメリカではリーマンショックと呼ばれて、サブプライム住宅ローンと呼ばれる、小口の大衆向けのローンが同じようなメカニズムによって、ジャンクとなり、

となった。このことは、そもそも、資本主義にとって「バブル」から逃れることは不可能なのではないのか、といった疑いを呼んだわけである。なぜ「バブル」はこうやって繰り返されるのか? そこには、おそらく、大きく言って、なんらかの「圧力」の存在が考えられる。ある行動をすると明らない、ある勢力が儲かる、といった構造があるとき、なんとかしてその方向への傾向性を大きくしよう、といった雰囲気が広がっていく。もちろんその行動が「理不尽」であることは、理屈ではそうなのだが、なんとなく、そういった流れに逆らえない印象をもってしまう。
おそらく、日本の失われた10年以降、その傾向は極端に「政府機関」において集中していったのではないか、と思っている。つまり、政策的意思決定の場において、どうもそういった

  • おかしな

圧力が大きくなる。
豊洲移転は、普通に考えて、おかしかった。それは、言うまでもなく豊洲が昔の工業地帯の土地であって、そんなところに日本の食の中心をもってこれるはずがない、というのが普通に考えればだれでも分かる話であった。つまり、一般的な常識があれば、そんなことはできるはずがなかったわけである。
ところが、当時東京は、石原慎太郎が連続して都知事を行っていた、いわば「独裁」時代であった。この時代に、石原や猪瀬に媚を売って、世間に名前を売った連中が、彼らを言わば、周りから「御用学者」的に支えることで、さまざまな「無理筋」を強引に強行していった。

森山 多くの場合、内情をよく知らずに言っているように思います。豊洲の具体的な困った状態がわかってくれば、そう簡単には言えない。
今の豊洲市場は卸と仲卸が別々に動くように設計されていますが、僕が築地を観察して理解したのは、卸と仲卸の空間は絶対に一体でなければならないということです。卸売市場の機能は、まず集荷です。魚がバースに運ばれてきて、卸から仲卸さんたちが来て仕分けて値段をつけていく。ここを引き離してしまってはいけない。豊洲は六区・七区と分割されてしまっているので、それはあずやめないといけない。
中澤 卸から仲卸に荷が映る時に分荷と価格形成が行なわれるわけです。この部分が市場の機能としていちばん大事なところだから、そこを引き離してしまうと分荷も価格形成もうまくいかなくなってしまう可能性がある。
森山 その他に豊洲では買い出しに来る人、仕入れ側が直面することになる問題もあります。先ほど中澤さんが指摘されていたように、買い出し人の駐車場は三・四階にあるんですが、仕入れたものをターレーに載せて駐車場に持っていくこと自体にものすごい困難を強いられる構造になっている。エレベーターの数を四倍から五倍に増やさないといけないのですが、そうするとただでさえ狭い店舗スペースはどんどん小さくなってしまう。
スロープもありますが、豊洲市場の三階は一般的なビルの六階や七階に相当する高さです。その落差をターレーが上るには長い距離を迂回していかなければならない。エレベーターが使えなければ、それを使うしかないけれども、上下の対面通行でヘアピインカーブを曲がるわけだから非常に危ない。
中澤 壁があるからカーブの先もよく見えないし、出会い頭にぶつかる可能性もある。死亡事故が起きてもおかしくない。急ブレーキや小さな衝突が起きてもおかしくない。急ブレーキや小さつな衝突でターレーから荷物が落ちたり、こぼれたりするかもしれない。スロープの途中で荷物が落ちたら積み戻しはできません。
森山 結局、スロープも相当なリフォームが必要でしょう。そうすると仲卸の方々が狭い狭いといっている市場がさらに狭くなっていく。いっそのこと「豊洲第三市場」をもう一棟建てたほうがいいかもしれない。

豊洲移転問題とはなにか? これは、早い話が「築地市場を壊したい」勢力によるクーデターであった。本来の目的は、築地市場を失くしたいのだ。なぜか? そこには、さまざまな勢力の思惑がある。

  • 今の銀座に近い築地という、東京の一等地を高く売りたい
  • 築地という世界一の魚の卸売市場を破壊して、直接、巨大スーパーは魚介類を仕入れたい

確かに、この一連の動きは、秋葉原の再開発と似ている印象があるわけで、これに味を占めた連中による、「二匹目のどじょう」だったのだろう。まさに、東京の「破壊」であり、それによって「儲かる」人たちによるクーデターであるわけで、そういう意味では、再び起こった「土地神話」であったわけだ。
豊洲市場は最初から築地の「代替」を目的とした設計になっていない。明らかに、それとは別の非常に「小規模」な「倉庫」のようなものを作ろうとしている。なぜそうなったのだろうか? ここは非常に不思議な印象を受ける。つまり、都側は徹底して「非公開」の原則で、豊洲の建物の建設を

  • 急いだ

わけである。だれにも、なにも見せることなく。
しかし、ここまで「あからさま」ではなくても、例えば、IT業界でも、いわゆる「失敗プロジェクト」というのはあるわけで、使えないものを作って、結局、だれも使わないまま闇に葬り去られるなんていうのは、よくある話なわけである。しかし、そういった場合に、原発や戦前の軍隊のように

  • 今さら止められない

から「御用学者になる」では困るわけである。築地市場は、言うまでもなく、直接には銀座の繁華街の今の「繁栄」と連動している。もしも築地が滅びれば、銀座も滅びるであろう。しかし、大手スーパーのような所はむしろ、それこそが望みなわけであろう。間違いなく、築地の崩壊が、日本の食文化の崩壊を意味する。多少、築地市場の再構築にお金がかかろうが、これが「日本の100年、200年の未来」のための投資だと考えるなら、最善の選択が選ばれなければならないのは自明なわけである。築地の崩壊は築地の「プロ」に支えられてきた、日本の食の「品質」であり、ブランドを、

  • ショッピングモール的なもの

で代替していこうとしている勢力による「戦争」なのであって、さて。なぜ石原、猪瀬の信者たちは、この豊洲移転問題に沈黙しているのだろうw

世界 2016年 11 月号 [雑誌]

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