<挫折-励まし>関係

それにしても、今期のアニメで、「ViVid Strike!」と「Lostorage incited WIXOSS」は構造が似てしまった。それだけに、それぞれの、この後の展開の対比が興味深く感じられる。

  • フーカとリンネの関係 ... 子どもの頃からの親友。孤児院で、いじめられていたリンネをフーカが、かばっていた。リンネの富豪のベルリネッタ家の養子縁組によって、比較的に疎遠になる。リンネは学校での悲惨ないじめの体験を経て、自らの不幸の原因を自らの「弱さ」にあると悟り、総合格闘技での頂点を目指すようになる。しかし、リンネの、そういった弱者を馬鹿にした態度をフーカは受け入れられない。ーカもある縁によって、同じ総合格闘技を目指すようになり、フーカはリンネとの勝負での勝利を目指すようになる。
  • すず子と千夏の関係 ... 子どもの頃からの親友。弱虫のすず子を千夏が元気づけていた。千夏の転校を経て疎遠になる。千夏は父親のリストラを契機に行きたかった進学校への受験が絶望的であることを悟ると共に、自分がすず子を「励ませる」ような立場でないことを知り、自己に絶望すると共に、すず子への友情を捨てる。しかし、高校になり再会を果たしたすず子はそんな千夏を受け入れられない。同じウィクロスというゲームを行う競技者として、すず子は千夏との勝負での勝利を目指すようになる。

こうやって見ると、確かに非常に似ているが、そのポイントをまとめると、

  • 幼い頃の二人の精神的な深い繋がり
  • 成長と共に、さまざまな縁によって、比較的に疎遠になる
  • 一方の、ある種の挫折によって、二人の今まであった「友情」の関係が「一方側」だけが捨てる
  • その一方の側の、ある種の「挫折」を、もう一方側が理解していくと共に、そちら側が相手を「救おう」と立ち上がる

こういった関係をどのように総括すればいいのであろうか。
一つはっきりしていることは、二人の関係が、子どもの頃にあり、その「深い」繋がりがそう簡単には、離れない、というところにあるのだろう。
それだけ、子どもの頃のこの関係は、まだ何も知らなかった、幼いものであったとしても、その深さにおいて、決して、その後の人生において、捨てたりといったように簡単に扱えない、というわけである。
千夏が父親のリストラによって、家が貧しくなることは、千夏がすず子を「励ます」ような立場ではなくなること、この現代という資本主義社会においては、リストラによって社会の底辺に落ちた者は、もはや立ち直れない。そして、その「残酷さ」は子どもにのしかかってくる。千夏は資本主義ゲームの敗者になった。その時点で彼女は、子どもの頃のすず子に言っていた「励まし」の言葉の一つ一つが恥かしくなる。
ベルリネッタ家の養子になり、養子先の両親を喜ばせようと学校に通っていたリンネは学校での壮絶なリンチによって、すべての問題の原因を自分が弱いことに見出そうとする。総合格闘技で勝ち続け、自分が強くなることだけが全ての答えだと考えるようになり、フーカは幼い頃の優しい心を失ったリンネとケンカをしてしまう。
二人の友情は、一方の「変化」によって、維持しがたいものになっていくわけであるが、両方の作品に言えることが、その一方の「変化」が

  • 社会的な要因

で起きている。つまり、当事者にはどうしようもなかったのではないか、と思われる「原因」にあるところにある。
しかし、である。
これは「挫折した側」の反応としては、そうだと言えるであろうが、他方、もう一方の側からはどう見えているのだろうか。フーカやすず子にとって、相手がとても傷ついていることは理解できるし、その「つらさ」を理解しながらも、そのことが、二人の「友情」を捨てなければならないような要因のものであるようには思えない。
資本主義の残酷さや、弱者が「いじめ」られる社会の残酷さが、それが悲惨であればあるほど、彼女たちの幼かった頃の二人の「精神的繋がり」を引き裂かれなければならないほどのものには、とうてい思えない。そのことが、なぜフーカやすず子が、リンネや千夏に

  • 立ち向かっていこうとする

のかの原因になっている、というわけである...。