<制度>に正当性はあるのか?

ある制度が存在するとき、お金持ちはその制度の「欠陥」をエキスパートの集団を組織して発見させることで「儲ける」わけである。つまり、どんな制度も「その意図の裏」を、

  • お金をもっている集団

によってハックされることで、彼らの利益追求に貢献してしまう。よって、どんな制度も、お金持ちを富ませ、貧乏人をさらに貧しくすることに貢献してしまう。
驚くべきは、タックスヘイブンのような、どう考えても「悪」としか思えない制度でさえもが、

  • ルールに従っている

という理由で正当化される。だったら、そのルールなり、制度ってなんなんだ、ということになるであろう。
こういった問題に、ある意味で「歴史的な答え」を用意したのが、中国における「革命制度」つまり、孟子の言った「革命」論だった。ある支配体制がある世代から「悪」を行うようになったとき、大衆の間から、その制度の「転覆」を企む存在が現れる。そして、その「転覆」が成功することによって、まったく違った秩序による「支配体制」が始まるわけだが、それを「正当化」するものが、孟子の主眼であった。しかしこれは、何を言っているのかと考えれば、制度には「正当性」なるものは、アプリオリに存在しない、と言っているわけであろう。その制度は結局は、どんなに立派なことを言っているように聞こえても、それを

  • 使う人

たちの「悪意」によって、腐敗する。だとするなら、その制度は一度「捨て」られなければならない。それが、革命である。
しかし、よく考えてみるなら、これは「良いルール」もこういった手続きを経て捨てられかねない、と言っているように聞こえる。どんなに正当性のある「善政」を行っていても、それが都合がよくない勢力にとっては、格好の餌食なのであって、つまりは、どんな理由をもってしても、そのルールが気に入らない奴はそれを破壊するし、それ以上でもそれ以下でもないと。
私たちは結局において、自らの「利益」にしか興味がないのであれば、他人に損をさせて、その掃き出させた利益を自分のものにすれば、儲かる。つまり、悪は「儲かる」というわけである。だとするなら、あらゆる「善」は最終的には「悪」に負けるし、人間は滅びる、ということになるであろう。
今、アメリカの大統領選挙において、ロシアの国家の支援を受けたハッカー集団がトランプ当選に動いたのではないかという「陰謀」がさかんに議論されている。しかし、今の流れにおいてはトランプの当選が取り消されることはないだろう、ともなっている。しかし、もしもそういうことだとするなら、そもそも、アメリカの大統領になれるなれないは、そういった

  • お金持ちが組織したインテリジェント集団の陰謀

によって、あらゆることが決定していく世の中だ、ということになるわけであろう。つまり、「トランプのような人」でさえ、大統領になれる。しかし、同じようなことは、日本の自民党が長い年月をかけて一党支配を続けていた理由でもある。自民党は昔から、CIAや電通のような広告代理店を使って、日本の「世論」をコントロールしてきた。そう考えれば、国民を好きなように「動員」することなど、なんとでもなるのであり、だから原発はなくならないし、消費税は上げられる。
お金持ちはどこまでも富み、貧乏人はどこまでも貧しくなる。この「運命」のような「自明性」に、どのように対抗すればいいのだろうか。というより、それを「制度」によって達成しようということの不可能性を上記で考えていたわけなのであるから、つまりは、制度による「担保」の限界性を議論するしかない、という結論なのだろうか...。