SNSもマストドンという「インスタンス」と呼ばれる、ある種の「無限のサーバ」をもったクラサバのような構造を示すものが現れたことで、次の段階に進んだのかな、といった印象を受けているが、こういった形態がどこまで進むのかは少し微妙な感じはしている。つまりは、多くの人たちが今のSNSに「違和感」を感じていない間は、今あるような「巨大な<一つ>のサーバ」を中心としたクラサバ形式で進むのかもしれない、という意味で。
ようするに、こういった「中心」をもつアーキテクチャーは「ビッグデータ」と相性がいいわけで、東浩紀先生が構想した「未来」の世界システムである「一般意志2.0」も、こういったビッグデータを自明としていたわけであるが、短期、中期的にはどうなるかはいろいろあるとしても、長期的な未来のITアーキテクチャーは間違いなく、マストドンが示唆しているような
- P2P
のアーキテクチャーになっていくことは間違いない。というのは、今の特措法の議論でもそうであり、戦前の治安維持法がそうであるように、国家が個人の自由を完全に「支配」した時点で人間社会は終わるのだから、必ず人類はこの「支配」からの「抵抗」を始める、と解釈できるからだ。
宇野常寛は『リトルピープルの時代』において、ジョージオーウェルが『1984年』で描いたビッグブラザーや、東浩紀先生が『一般意志2.0』で描いたような一般意志2.0のような
- 全体主義国家
に対抗するようなものとして「リトルピープル」という概念をだしたわけだが、おそらく彼はそれが「P2P」的なものであるという直観まではもっていなかったのではないか、と思われる。
一般にこのP2Pの問題は、哲学の文脈においては「他者」論として議論されてきた。しかし、東浩紀先生は最近の本においても、この「他者」の問題について、とても奇妙なことを言っている。
読者には、本書が、二〇一六年から二〇一七年にかけての時期に、すなわち、イギリスがEUからの離脱を決定し、アメリカで「アメリカ第一」を掲げるドナルド・トランプが大統領になり、世界中でテロが相次ぎ、日本ではヘイトスピーチが吹き荒れる、そのような時代に書かれたことは覚えておいてほしいと思う。二〇一七年のいま、人々は世界中で「他者とつきあうのは疲れた」と叫び始めている。まずは自分と自分の国のことを考えたいと訴え始めている。他者こそ大事だというリベラルの主張は、もはやだれにも届かない。
したがってぼくが本書では、他者論ではなく、あえて「観光客」論を展開したいと考える。ぼくはここからさき、ほとんど「他者」という言葉を使わない。この言葉はあまりにも手垢に塗れているからだ。他者と声に出した瞬間に、本書の議論は特定のイデオロギーのなかに組みこまれ、少なからぬ読者を失ってしまう。
しかし、それでも、ぼくが考え続けているのは、結局のところ他者の問題なのである。そしてそれはぼくなりの戦略でもある。他者のかわりに観光客という言葉を使うことで、ぼくはここで、他者とつきあうのは疲れた、仲間だけでいい、他者を大事にしろなんてうんざりだと叫び続けている人々に、でもあなたたちも観光は好きでしょうと問いかけ、そしてその問いかけを入り口にして、「他者を大事にしろ」というリベラルの命法のなかに、いわば裏口からふたたび引きずりこみたいと考えているのだ。
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なぜ上記の議論が奇妙なのか? そもそも、「他者」論とはP2P問題であったはずであるのに、なぜか東浩紀先生の問題整理を通るとそれは、
といった二元論に変わってしまっている(言うまでもないが、こういったレトリックを使うことで、東浩紀先生はなんらかの事実を「隠そう」としているわけである。東浩紀先生の論文には、こういった読者を「騙そう」といったレトリック爆弾がさまざまな個所にしくまれている。シロウトは気付かないような)。上記の引用でも示唆されているが、ブレクジットやトランプが示した行動は一方で民族差別と区別できない問題を内包していたとしても、他方においては、TPPやEUの「非民主主義」的な
との対決を意味していた側面があったはずなのに、なぜか東浩紀先生はそこを無視する。実際にこの本では、カントの世界平和を引用することで、
- 世界国家
という、より強大な「ビッグブラザー」を「目指すべき」という非P2P的な倫理が提示されているわけで、そもそもこれはリベラルなのか、という疑問がうかぶわけである。
それでは、ここでは私なりの独断と偏見によって、P2Pの哲学とはなんなのかを以下では紹介していこうと思っている。
まず、第一に考察されるべき本が、
- スティーブン・ダーウォル『二人称的観点の倫理学』
二人称的観点の倫理学: 道徳・尊敬・責任 (叢書・ウニベルシタス)
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こういった問題を解決する一つのアプローチとして、ダーウォルの論文があると解釈できる。つまり、道徳にはなんらかの「二人称」的な観点が最初から含まれているのではないか、という。
こういった「二人称」的な題材を扱ったものとしては、古典的なエッセイに
- マルティン・ブーバー「我と汝」
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ダーウォルの本では、その他、幾つかの論文が注目して扱われているのだが、
- ストローソン「自由と怒り」
- 作者: P.F.ストローソン,ピーター・ヴァンインワーゲン,ドナルドデイヴィドソン,マイケルブラットマン,G.E.M.アンスコム,ハリー・G.フランクファート,門脇俊介,野矢茂樹,P.F. Strawson,G.E.M. Anscombe,Harry G. Frankfurt,Donald Davidson,Peter van Inwagen,Michael Bratman,法野谷俊哉,早川正祐,河島一郎,竹内聖一,三ツ野陽介,星川道人,近藤智彦,小池翔一
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- プーフェンドルフ
や、
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におけるような、社会理論を構築していくのか、という部分において、こういった「二人称」的な関係を使っていると解釈できるところが興味深いわけで、その基本的な議論の構成は言うまでもないが、カントの実践理性批判を踏襲しているがゆえに、ダーウォルのカント論と相性がいい議論として解釈できる構成になっているのだろう...。