対立→和解→団結

ラブライブのソロアルバムというのがあって、ようするに、ミューズの歌をミューズの9人それぞれが、一人で歌うというわけだが、それらを聞いていると、とりあえず真姫ちゃんは別格としてw だれがいいかと考えると、「えりち」かな、と思うんですよね。
それは、結局、ラブライブというテレビアニメが最初は

  • 対立

として描かれていたから、ということなんだと思うわけである。つまり、ミューズをたちあげた二年生の穂乃果と、生徒会長の三年生のえりちと。つまり、えりちは最初、穂乃果たちのアイドル活動に「反対」だった。というか、基本的に三年生はミューズの活動の

  • 壁(かべ)

として現れる。対して一年生は、二年生の「サポート役」のような形で、二年生たちに協力する立場で描かれる。
この明確な「対立」の構造が、作品を魅力的にしている。
この構造は以下のように整理できるだろう。

同じような構造を、では漫画「クローズ」に見出すとしたら、どうなるかw

  • 坊屋春道(天然) <--> リンダマン(ツンデレ

同じような構造を、テレビアニメ版「リトルウィッチアカデミア」に見出すとしたら、どうなるか。

大事なポイントは、穂乃果が高校生アイドルの活動を行うためには、「えりち」との「対立」を乗り越える必要があったということであり、この「和解」が、その後の

  • 団結

に関係している、ということなわけである。それは、テレビアニメ版「リトルウィッチアカデミア」の第一期のOPのアニメに対して、第二期のOPのアニメが明確に、魔法学校の「全員」の

  • 団結

を意識させるようなものになっていることにも関係する。
そこで、最初の話になるわけだが、まあ、ツンデレは「かわいい」わけである。それは、女性の「低い声」が魅力的だからなわけだが、というか、それは「高い声」が魅力的でない、ということではなく、
高い声と低い声の両方がある
ことが二つの側面があることが、多様性の側面において深い人間性を示す、ということなのだ。深い「嫌悪」の感情が時間の経過と共に、相手を理解することで、深い「好意」の感情に変わることは、人間を劇的に深くする...。まあ、これが人間社会の「歴史」だとも言えるわけだが...。