御用学者たちの「終わらない日常」

今日の夕刊フジで、豊洲移転問題についての「併用」案について書いてある。

一方、市場の持続可能性などを検討してきた都の「市場問題プロジェクトチーム」(PT)は5日、築地市場の再整備案と、豊洲移転の両案に加え、両市場をどちらも活用する案を提示した。報告書は、築地は好立地を生かした「食のテーマパーク」に、豊洲はITで商品管理する「物流センター」にするという。
これまでの築地再整備の優位性を強くにじませてきたPTが急に「両市場の活用」を推した背景には、「二者択一では、どちらを選んでも批判される」という知事サイドの思惑もありそうだ。

今までの「いきさつ」から普通に考えて、都議会議員選挙を目の前にして、小池都知事築地市場からの完全豊洲移転を決断することは、あまり考えられないように思われる。かといって、築地市場の再整備、豊洲市場のたんなる「廃止」では、今まで豊洲市場のために投資してきたお金の「責任」問題になると考えるなら、おそらく、この「責任」を押しつけられそうな勢力による、誹謗中傷を含めた「攻撃」が選挙に影響すると考えるなら、この方向の、おそらくは最も理性的な案の採用も、急には決められないのであろう。
そう考えるなら、上記の「併用」案といっているが、実質的な「築地の再整備案に、概ね決まるんじゃないのか、とは思わなくはない。問題は、この「両方を完全には捨てない」という態度をとれるだけの「体力」が東京都にあるのか、ということであろうが、そんなことと選挙での勝利を比べるなら、比較にならないほど選挙の方が重要なわけで、多少は豊洲市場を作った土建屋の顔を立ててでも、選挙に勝ちに行くのであろう。
しかし、そうなってくると、「豊洲移転以外の選択肢はない」と大見得を切った東浩紀先生による

  • デマ

はなんだったんだろう、ということになるが、まあ、いろいろな「しがらみ」がそう言わせているのであろう。実際、自民党は「早期の豊洲移転」派なわけで。
そういえば、この前引用させてもらった、東浩紀先生のツイッターでの発言で、よく分からない部分があるのだが。

AとBがジレンマを起こしてしまうときにそれをメタレベルで見て対立構造の基礎そのものをあぶり出すというのはカント以来の哲学の基本なので、真ん中にいることそのものが敵なんだといういまRTしたようなタイプの思考法は、近代哲学そのものの否定だと思う。
hazuma 2017/06/07 11:33:59

よく分からないんだけど、これが「カント」とどういう関係があると言っているのだろう? カントの「啓蒙とは何か」という論文における、「学者としての発言」について言っているのだろうか? だとしても、「AとBがジレンマを起こしてしまう」みたいなのは、あんまりカント的ではなく、どちらかといえば、ヘーゲル弁証法を思わせるのだが。しかも、「メタレベル」って、カントにそういった表現、ありましたっけ。
それってむしろ、東浩紀先生流解釈の柄谷行人とか、そういったポストモダン的な文脈で言ってたことですよね。というか、こういう「二元論」って、東浩紀先生の「持論」だって自分で言っていたわけで、たんに東浩紀先生「の」哲学を、カント以来の「通常」の哲学みたいに言うのは、ミスリーディングなんじゃないんですかねw
まあ、上記の発言は、政治学者の三浦瑠麗氏が「アベ友ファースト」内閣の、安倍とお食事仲間、つまり、「アベ友ファミリー」に入ったことを「擁護」するための発言だったわけでw しかし、それについては小林よしのりにすら、以下のように言われている。

三浦瑠麗氏って、テレビ業界内では、もう完全にそういう扱いなんですね...
田崎スシローや、山口レイプ魔と同じ括りに入っちゃってるんだ。
羽鳥慎一モーニングショー』に呼ばれるのは、三浦氏のコメントが必要だからじゃなくて、「安倍晋三と食事した人」だからなのかぁ。
最近、テレビに出る頻度が増えたのは、山口レイプ魔が出れなくなったから?
しかし、こんな理由でテレビに出て、楽しいんですかね?
それにしても三浦氏、こうまで「政権御用コメンテーター」のレッテルを自らべったり貼り付けちゃって、この先、言論人として大丈夫なのかと心配になっちゃいます。人ごととはいえ。
ゴー宣ネット道場 | 身を修め、現場で戦う覚悟を作る公論の場。

ようするに、東浩紀先生は偉そうに「AとB」という「ジレンマ」を「メタレベル」で解決するとか言っておいて、猪瀬直樹豊洲問題の「当事者」どころか、「責任者」であって、身包みはがれて、全財産を豊洲失敗の責任に捧げなきゃいけないような「犯罪者」だから、彼も「豊洲移転以外に選択肢はない」と言っているわけで、ようするに、猪瀬も三浦も

なんでしょうね。ゲンロンの登壇者の常連ですからねw 自分の友だちは、無条件で擁護なわけでしょう。それって、「哲学」とかなんの関係もないね。まあ、アベ友ファーストとなにも変わんないね。
以下は、2010年の記事だけど。

野中広務官房長官は、23日に那覇市内で開かれたフォーラムの基調講演の中で、自身が長官在任中(1998年7月~99年10月)、先例に従い、複数の評論家に内閣官房報償費(機密費)から数百万円を届けていたことを明らかにした。
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-161420.html

まあ、官房機密費なんて、この頃から比べてもずっと上がっているわけでしょう。「評論家」という言葉を使っているけど、つまりは、「政治学者」とか「批評家」とか「哲学者w」とか、そういう人に、政府中枢はお金を配っているし、今も配っているんだよね。というか、昔からずっとそうなんだ。そして、こういった「お金」をもらったら、もう相手を悪く言えないでしょ。上記の三浦先生も、安倍首相に食事を「おごって」もらったら、もう悪くは言えないんでしょうね。その恩があるんだからw
そういった視点で見ると、東浩紀先生の今まで言ってこられた「持論」には、とても「ナチス・ドイツ」が主張していたことに似ている印象を受ける発言が多々あるんですよね。

例えば「ドイツ国民を防衛するための大統領緊急令」(二月四日公布)は集会と言論の自由に制限を加え、政府批判を行う政治組織の集会、デモ、出版活動等を禁止した。共産党をはじめ、野党勢力はナチ党の口汚い攻撃に応戦しようにも自由な意見表明ができなくなった。

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

共産党社会民主党の要人が路上で突撃隊に殴打・暴行されても、警察が制止に入ることはなくなった、共産党本部が大がかりな家宅捜索が入り、党職員が連行された、当局の監視の網をくぐって開かれた社会民主党の選挙集会に爆弾が投げ込まれるなど、全国各地で酷たらしい流血の惨事が続発した。
ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

政党とともに、労働組合も解散を強いられた。組合幹部は、マルクス主義政党から一線を画すことで組織を守れると考え、政治的中立の立場を表明していた。だがその見込みは外れた。
ヒトラー政府は五月一日の国際メーデーを「国民勤労の日」と定め、祝日とした。ヴァイマル共和国期に労働運動がどれだけ強く求めても実現しなかった公休日を労働者に与えたのだ。
だがその翌日の五月二日、突撃隊と親衛隊がドイツ労働総同盟など全国の労組事務所を急襲し、左派系組合をいっせいに逮捕した。これを目の当たりにしたキリスト教系労組も自主解散を決めた。自らの利益代表を失った労働者は、政府主導で設置された労使一体の「ドイツ労働戦線」に組み込まれることになった。
ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

東浩紀先生の持論である、「民主主義反対論」は、そもそもヒトラーの持論であった。ヒトラーがどれだけ民主主義を軽蔑し侮蔑していたか。まったく、東浩紀先生と同じではないか! それだけじゃない。ヒトラーは国民による、集会結社の自由。

  • デモ

を徹底して弾圧した。そもそも、ヒトラーは市民が集まり、団結して、国家に向かって抗議する態度を徹底して「破壊」した。しかし、である。東浩紀先生の一般意志2.0を見れば分かるように、東浩紀先生は市民が集団を作ること自体を「否定」している。なぜなら、それでは、「一般意志」にならないから、と。まさにそれこそ

が言ったことではないかw だから、ヒトラーは徹底して、労働組合を弾圧した。東浩紀先生の「デモ嫌い」はすっかり有名になったが、恐しいね。どこまで、ヒトラーと似れば気がすむんですかね...。