土屋信行『首都水没』

3・11の東日本大震災のとき、一つ、私の中で違和感を覚えたことがあった。それは、そこでの多くの死者の直接の原因は、あの

  • 高波

であり、原発事故についても、この高波との因果関係はまったく否定できなかった(実際、福島第二原発の方は高台に作られていて、被害を回避できていた)のにも関わらず、その後の原発のシビア・アクシデントの方ばかりが

  • 世界史的事件

として、やたらと強調(観光地化w)されたことだ。
言うまでもなく、これに匹敵する「高波」は過去にもこの地域で起きていることは、知られていたのにも関わらず、東電はその対策を怠ってきた。というか、それを知っていたら、あんな危険な場所に原発を作るわけがなかった。そこに、大きな「違和感」があった。つまり、多くの「エア御用」たちが議論をそらそうとしていたのは、こんな場所に原発を作って、それを今に至るまで動かし続けてきた人たちの

  • 責任追及

を回避するためのものだったのではないか、といった疑いである。
よく考えてみよう。
3・11の「高波」は過去から考えても、別に、不思議ではない大きさだ。じゃあ、それが

  • 東京

に来たらどうなるだろう? というか、なぜこのことを東京の人たちは考えないのだろう? おそらくそこには、

  • 東京ブランド

の極端なまでの「幻想」がある。もっと言えば、

  • 東京ワンダーランド

の。

なんと、スイスの再保険会社「スイス・リー」が2013年にまとめた「自然災害リスクの高い都市ランキング」で、東京・横浜地区が世界第1位となってしまいました。これは、世界616都市を対象に、洪水や地震、嵐、高潮、津波などで被災する人の数を推計したもので、トップ10の大半を、アジアの沿岸都市が染めています。東京・横浜地区がトップとなったのは、「活発になっている地震地帯に位置していること」「津波の危険性が高いこと」「地震や洪水の危険性が特に迫っていること」などが理由です。

日本の東京、大阪、名古屋は、世界の都市と比べて

  • 圧倒的

に災害に弱い。なぜそうか? それは、これらの都市が「ゼロメートル地帯」であることが大きい。つまり、海抜ゼロメートルなわけで、ようするに、こういった場所に人が住めば、必然的に災害時(水害時)に生き残ることが、極端に難しくなる。
しかし、例えば東京を例にとると、そもそも、江戸時代までは、そこまでひどくはなかったそうなのである。

1960年代にようやく、地下水の揚水が規制されることになりました。そして地盤沈下を抑止するために、昭和31(1956)年には「工業用水法」を、昭和37(1962)年には「建築物用地下水の採取の規制に関する法律」を定め、地下水の揚水規制が開始されました。東京都は昭和47(1972)年に民間企業から東京区域のガス田の鉱区権を買い取り、水溶性天然ガスの採取を全面禁止したのです、さらに昭和50(1975)年からは、工業用水の地下水汲み上げも全面禁止しました。
これらの取り組みにより、東京東部低地の地盤沈下もようやく収束したのです。しかしこのような法的規制の実施にもかかわらず、既に発生した地盤沈下は回復しませんでいた。東京東部低地帯は海面より低い、いわゆるゼロメートル地帯となっていたのです。そのために高潮などに対し、治水上きわめて脆弱な地域なのです。

うーん。ようするに、明治以降の近代化で、ここまで地下水を汲み上げなければ、こんな悲惨な結末にはならなかった。これを、東京人が

  • 愚か

だったからと言うことは簡単だが、問題は、

  • 今だにこんなところに多くの人が住んでいる

という「事実」にあるわけであろう。なぜなのだろう? まあ、多くの人が、これがいかに悲惨なことなのかを知らないからなんでしょうね。というのは、昭和33(1958)年の狩野川台風という、いかに、こんなに危険な東京に人が住んではいけないかを証明した水害が起きているのにも関わらず、はるか昔。60年安保の前ですからねw 第二次ベビーブーマー世代もまだ産まれていない。逆に言えば、それから一度も、東京は極端な水害にみまわれていないという

  • 幸運

が、今の「甘さ」を帰着させているんですよね。
それにしても、ようするに、明治以降の「資本主義」が、もっと言えば、「自由主義経済」が、こういった結果をもたらした。まさに「人災」なわけですよねw 資本主義が、東京を人が住めない地域にしてんじゃん。もう戻んねんだぞ。どうすんだよこれw

民法第206条の規定によると「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」、第206条では「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」とあり、土地の所有権は地球の内部まで、上空は宇宙の果てにまで及び、地下水には完全に公共性がなく、個人の所有にしてよろしいという扱いになっているのです。

自由主義経済とか、私的所有権とか、やたらと「礼賛」している連中がいるけど、ほんとにそれって正しいのかな? そもそも、人間が「個人」で生きて行けるとかいうのは、都会の非常に特殊な条件の間にすぎなくて、やっぱり、自由主義とか、私的所有権とかって、どこか間違っているんじゃないんですかね?
そもそも、なにが「私的所有」なんだろうか? どうしてそれが「自明」なのだろうか? それを「常識」としたがゆえに地球が滅びても、それは「自由」なのだろうか?

もちろんお祭りの形はさまざまですが、祭りという統一目標に向かって地域の住民が集まり協力をすることが、実は防災対策になっています。祭りで重い神輿を共に担ぐこと、その準備のために顔見知りになることなどが、実際に洪水が起こったときの地域を挙げての協力体制を、日常的につくり上げることになるのです。

まあ、これが普通だと思うんですよね。明治以降の資本主義が極端に先鋭化して、地主と小作人の圧倒的な財産の格差が起きた、ああいった「格差」は、おそらく、江戸時代の農村にはなかった。明治以降の「特殊」な資本主義社会が、ああいった

  • 異常

格差社会を生み出した。そんなふうに思うんですけどね。
さて。
そういうわけで、東京は多くのゼロメートル地帯があり、人が住むにはあまりに危険な地帯だということは分かったわけだが、そもそも、江戸時代までの日本人は何度も「洪水」や「台風」を受けてきたわけであろう。つまり、彼らはそうであっても生き延びてきた。なぜなのだろう?

荒川放水路の東側は水田、蓮田などの農耕地域でした。もともと湿地帯だったところです。、ここでは、日常的に舟を使って暮らしていました。

まあ、そういうことなんだよね。当時の日本人は、「洪水」や「台風」や「大波」が

  • 当たり前

の中で生きていた。つまり、しょっちゅう、洪水などで、家の周りが水びたしになる環境に「適応」して生きていた。つまり、洪水になったら、「舟」に乗って、浮かんでいればいいんだよねw
同じことが、現代にも言えるのかもしれない。みんな「浮き輪」をもって、日常生活を送っていればいいんじゃないか。もちろん、普段は小さくたたんであるけど、いざというとき膨れるような構造のもので。もしかしたら、こうした、ちょっとした工夫によって、3・11の大津波に飲み込まれた人たちの何割かは生き残れたとは考えられないだろうか...。

首都水没 (文春新書)

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