少し、しつこいような気もするが、もう一度、東浩紀の『存在論的、郵便的』と、柄谷の関係について整理しておこうと思う。
少し前の回で、私は『存在論的、郵便的』を以下のように整理した:
これらが、
- (オースティンの行為遂行論的)転回:コンスタティヴ → パフォーマティヴ
となっている、と。
この三つにおいて、ハイデガーについては問題ないと思うが、問題は、デリダと柄谷のこの「相似」性について、著者自身がある幾つかの
- 注意
を行っている、ということなのだ。
そして彼らの思考はまた興味深いことに、その「転回」以降もたえず否定神学へと落ち込んでいることでも共通している。実際私たちの考えでは、九〇年代のデリダが記した少なからむテクストが強い否定神学的なモチーフで導かれている。前述したように例えば『法の力』においては、「正義」の観念は否定的逆説としてのみ検討されている。同様に柄谷もまた、九〇年代にはしばしば理論的に後退していると思われる。例えば彼が九三年に始めた「探究3」には明らかに、超越論性の条件を「主体」の構造、あるいは構造の欠如から位置づける試みへの回帰が読まれる。「カントがいう超越論的主観は超越的主観ではない。それは超越論的に見いだされる主観である。それは、自己意識あるいは言語的に対象化されるコギトではなく、それを可能にするような条件のことである。超越論的主観は一般的主観ではないし、共同主観性でもない。それはいわば各主観の存在論的基礎(の不在)である」。
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ここは非常に重要な個所で、ようするに、デリダと柄谷は両方とも
- なぜか
転回「以前」に
- 先祖返り
を繰り返している、と言っているのだ。そして、東自身がそれが「なぜなのか」と不思議がっている。そして、特に重要なのは、後半で、東は「わざわざ」、柄谷の文章を引用してまで、柄谷が「探究1」「探究2」以降に書いた「探究3」における、カント論を明確に
- 後退
と主張して、強烈な
- 不快感
を表明していることなのだ。さて。なぜ東は、ここで、ここまでの不快感を現さなければならなかったのだろうか?
ひとまず、この問題は後で考えるとして、続けて東は、こういった明らかな「同一性」がありながら、
- なぜか
ある、はっきりした、別の「異質」性があることについて注意する。
さらにもうひとつこの両者について注目すべき点は、その本質的な並行性にもかかわらず、彼らのテクストが表面上まったく異なったスタイルで書かれたことである。柄谷は後期デリダとは対照的に、装飾的文体や語彙の戯れをできるだけ排した日本語で、きわめて「論理的」に見えるスタイルでテクストを構成する。ではこの差異は何を意味するのか? 残念ながらその問いについて本格的に論じるのは、別の機会に譲らねばならない。私たちの考えでは、そこにはフランス語と日本語におけるエクリチュールの条件の差異が、大きく関係するはずだからである(64)。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて
この引用の最後についている「注64」では、デリダにおけるフランス語の特殊な事情について述べられ、それに対応したものがきっと柄谷にもあるはずなのだが、といったことを示唆したところで終わっているのだが、私は過分にして知らないが、おそらく、東自身がこの「解答」を別途、論文として提示したことはないのではないか。
さて。では、なぜ東はこの説明を「放棄」してしまったのだろう?
私はここに、東自身による、柄谷への「失望感」が、今の今まで、この頃から
- 続いている
というところにあると考えている。ようするに、東は柄谷の「探究3」以降の一切の仕事を「評価していない」。彼の中では、柄谷は、「探究1」での「転回」で終わってしまったのだろう、と。
つまり、それ以降、柄谷は東の「期待」を「裏切り続けている」わけである。東は、なぜ、僕の評価する「柄谷」に戻ってくれないのか、と今も変わらず、上記の引用の頃からずっと変わらず、
- 失望
し続け続けている、というわけである。
なぜなのか?
おそらく、それは東の上記の「整理」が本質的に柄谷の場合には、あてはまらないから、ということになるだろう。おそらく、なにかが違うのだ。東はなにかを見落している。東はデリダ理解に、柄谷のフレームが使えるとして自らの言論を始めたわけだが、それによって、デリダやハイデガーの整理にはなんとか辿り着けたのだろうが、その時に、彼は
- 実際の柄谷とはなんなのか?
という問題を軽視した。彼はあえて言えば、「柄谷が実際に言っていた」ことを<無視>したのだ。
それに対して、ハイデッガーがいうのは、そのような区別(タイピング)によって合理的な形式体系を保持しようとすることは、本来的にそうした区別が不可能であるような状態からの逃避だということである。実際に、ハイデッガーは、幾度もそう問いながら、あの「決定的な問い」、すなわち、「......上述の諸対立が存在自体の本質に存するのか、それともそれらはただ存在に対する私たちの分裂した関係からのみ生じるのか、それともあるいは存在に対するこの私たちの関係そのものがやはり存在自体に発源するのであろうか」という問いに、最後まで答えようとはしない。それは答えられないからだ。ハイデッガーにとって大切なのは、むしろけっして答えないことであり、「決定不能性」の状態にとどまることである。その問いに答えてしまうことが、「形而上学」だといってよい。
(柄谷行人「言語・数・貨幣」)
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ここで重要なポイントは、柄谷はこのハイデガーの態度を基本的には「肯定的」に紹介している、というところにある。しかし、私たちから見ると、この主張は、まさに、東が「否定神学」と呼んだもの、そのもののようにしか思われない。
なぜ柄谷はこのような、ハイデッガーの態度を、とりあえずではあれ「肯定的」に紹介したのか? それは彼の考える、「形式化の諸問題」に大きく関係しているわけで、そうでしかありえなかったハイデガーを、それゆえに、非難する気にはなれない、という、きわめて倫理的な判断があるわけであろう。
しかし、その上で、柄谷はこの章の最後で、次のように語ることで、自らの「態度」についての決意を新たにする。
われわれは、ニーチェのように非凡に語ることができないがゆえに、積極的に凡庸さを選ぶ。いいかえれば、ニーチェを模倣して結局プロヴィンシャルな言葉遊びに堕していったハイデッガーやデリダのかわりに、「厳密な学」をめざしたフッサールやフレーゲの道を選ぶ。
(柄谷行人「言語・数・貨幣」)
内省と遡行 (講談社学術文庫)
ようするに、私の結論はここにある。柄谷はこの段階ですでに「答え」を言っていたのだ! 自分はハイデガーやデリダとは「違う道」を選ぶ、と。東はそうでありながら、「探究1」で柄谷はこの態度を
- 転向
したのだ、と自らを説得することで彼の持論を構築したわけだが(そこで、「謎」として、上記で引用した東自身によって語られる、柄谷とデリダの「文体」の違いだけが残ってしまうわけだが)、柄谷にしてみれば、なぜこの態度を「探究」以降に変えなければならないのかが分からない。この両者は両立するし、なにも矛盾しない。というか、柄谷の一貫した態度はこちらの方にこそあるのであって、今に至るまで、柄谷はずっとこれに取り組んでいるわけだ。
この引用で、注目すべきところは、柄谷のフッサール評価にあると思っている。柄谷は基本的にフッサールを「内省」の哲学として批判している。しかし、他方において、柄谷はフッサールを「数学」の「形式」の問題に取り組んだ、という意味において、非常に重要視しているわけである。この両義的な評価にこそ、柄谷の、ときに曖昧に思われる態度を理解する場合の重要さがある。
東はなぜ、探究3の柄谷のカント論を許せなかったのか? それは彼自身が使っている「後退」という言葉に全てがつまっている。つまり、東の「倫理」において、上記のコンスタティブからパフォーマティブへの「転向」は、たんなる掛け声ではなく、決して、「後退」することがあってはならない、絶対的な
だったから、なのだろう。東はこの『存在論的、郵便的』以降、こういった本格的な研究書を執筆することはなくなった。それ以降の全ての著作は、なんらかの「ジャーナリスティック」なものであり、そこには深く「パフォーマティブ」な彼自身の「倫理」的な態度が関係していた。東はある意味で、後期ハイデガーの「詩」的な活動を今も一貫して行っている。そして、彼はその態度を一度として変えたことはない。
(このことを最も象徴しているのが、東のリチャード・ローティ評価にあるだろう。ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』は数えるほどの「詩人」という「エリート」による「エリート独裁」を主張していたことは、後期のローティのハイデガー評価と東の『存在論的、郵便的』におけるハイデガー評価がシンクロしていることを意味する。そして、さらにこのことは、東の『一般意志2.0』が反民主主義を唱える「未来」の社会構想であったこともシンクロする。)
ところが、柄谷は彼の視点から見れば、「探究1」以降、もう一度、転回「以前」に戻ったようにしか思われない。そして、それを最も象徴するのが、探究3の「カント」論であった。彼の視点からしてみれば、カントこそ、過去の遺物である。それは、ハイデガーやデリダが「乗り越えた」地点であって、なぜ今さら、カントをこのレベルで再評価しなければならないのかが理解できない。
しかし、柄谷にしてみれば、なぜそれが「不思議」なのかが分からない。柄谷の視点から見たとき、カントは、ある「亀裂」に取り組んだ「先駆者」として見えたわけであろう。それは
- 科学
の問題であったし、
- 啓蒙
の問題でもあった。カントは「左翼」の倫理に一貫して繋がる「出発点」のような存在でもあったし、実際に柄谷はほぼカントに対して「全肯定」に近い評価を行うことにもなる。
さて。そうだとしたとき、なぜこのような東と柄谷の「違い」が生まれたのだろうか? 私はこれについて、前回、ある仮説をたてている(自己言及の問題についてのある考察 - martingale & Brownian motion)。
文法と論理は揺ぎなく支え合う一対の関係にある。言述の論理というよりも、むしろアメリカの文学的記号学の仕事に最近多大な影響を与えたオースティンの言語行為論のように、行為の論理においてもまた、言語行為と文法のあいだを困難もなく行き来できてしまう。つまり、言語の内部で発語内行為と称される命令、質問、比例、想定などを遂行することは、それに対応する命令文、疑問文、否定文、祈願文などの統語的文法構造に相当する、という道理なのである。
読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語
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ド・マンがここで「文法」「修辞」と呼ぶものは、明らかにコンスタティブとパフォーマティブの区別に相当している(オースティンの名も言及されている)。
存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて
ようするに、ポール・ド・マンにとって、オースティンの言う「言語行為論」も
- (命令文などとあるように、文法の範囲に収まるものとしてド・マンがここで問題にしてる)修辞の問題に迫るものではない
と切ってすてている(否定的に引用している)のにも関わらず、なぜか東はポール・ド・マンが肯定的に評価したと勘違いしている、というところにあるわけである(東にとってしてみれば、オースティンはサール・デリダ論争にも関係した、彼自身の「研究」に深く関係した主題でもあったのであろう)。つまり、どういうことかお分かりであろうか? 東は柄谷も基本的にこの方向だと思っている。それは彼がポール・ド・マンがこの個所で、肯定的に評価していると思い込んでいるから(まさに、フッサールで言うところの「本質直観」だ!)、当然、柄谷もこの認識を踏襲している、ということを疑っていないからなのだ。しかし、柄谷はむしろ、ここのポール・ド・マンの主張を
- 熟知
しているがゆえに、むしろ、一貫してここでのポール・ド・マンの主張に従おうとして、東の読解とまったく反対の行動をとり続けている。
だから、彼らの認識はそれ以降離れていった、というわけである...。
(こんなところが、私の超読解でした。以上。)