丸山善宏「ゲーデル・シンギュラリティ・加速主義」

もともと、現代思想系の系譜をもつ人たちが、ドゥルーズデリダの死を境に、自ら、そういった言説から距離をとろうとしてきたことは、一つの違和感をもって受けとられた。
それは、言ってみれば、彼ら自身の

  • 保守化

を伴って受けとられた。もっと言えば、たんに彼らは

を吹聴する、微温的なお金持ちの財産を貧乏人に奪われることから「戦う」

  • (彼らが自称する)正義の味方

へと解釈された。というのは、彼ら現代思想系のエピゴーネンは、ドゥルーズデリダのような「左翼」ではなかったからだ。彼らは、そういった思想を「お金儲け」の道具として利用しようと思ったことはあっても、ドゥルーズデリダのように、本当に

  • 左翼

の理想を実現しようと思ったことは一度もない。彼らはそもそも、SFマニアであったり、もともと違った出自から、現代思想を考えるようになった人たちで、最初から、彼らの感心には、そういった現代思想的な問題意識はなかったのだ。
近年、こういった私たちの感慨をいっそう強くさせているものが、

  • 加速主義

である。加速主義の問題がこれほど、多く、さまざまな場面で語られるようになっているにも関わらず、彼らはそういった思想と「戦おう」としない。というのは、そもそも彼らにとって、それら加速主義が語っている内容は、もともと

  • 彼らが言っていた

ことだからだ。加速主義の震源は、ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』にある。つまり、リバタリアニズムは、それは

  • 国家の福祉を<大幅に>減らすこと

を「理想」とする思想であって、奴らブルジョア倫理たちの「常に考えている」ことであった。どうやって貧乏人を今以上に貧乏にするか。それこそが、彼ら学歴エリートが、学生時代に落ちこぼれたちから受けた「いじめ」に対する

  • 復讐

なのであって、彼らの目指す理想は左翼とはまるで、かけ離れているw

加速主義の論理は「Xの徹底によりXは特異点に至りその内部から解体される」という構造をもっている。さらに言えば「それによりXというシステムの「外部」が明らかになる」、そして「その「外部」への脱出が可能になる」というような論理展開をする。システムの「外部」という「脱出」という「出口」への「脱出」というモチーフは加速主義や暗黒啓蒙に関する議論の中で繰り返し現れる。

しかし、こういった議論は私たちのような、現代思想と呼ばれる言説に長い間、コミットメントしてきた人々にとって、強烈な既視感がある。

ゲーデル的問題」も「ゲーデル的議論」と同様に悪名高い。実は「Xの徹底によりXが特異点に至りその内部から解体される」という加速主義の論理は、柄谷行人が『隠喩としての形式』において論じた「ゲーデル的問題」の論理と同じ形式のものである。この論理を数学基礎論に当てはめると「ヒルベルト形式主義の徹底により体系内部に決定不能性の特異点が現れそれ自体が破綻する」となる。

一方、加速主義に当てはめると「資本主義の徹底により技術的特異点に至り資本主義がその内部から解体される」となる。形式主義でも加速主義でも「近代化の徹底」によりそれぞれの「近代システム」がその内部から破綻する。そしてこれがまさに「ゲーデル的問題」の論理構造である。このように見ると結局のところ、加速主義お論理自体は特に斬新なものではなく現代思想の歴史の中で使い古されてきたものの変種に過ぎない、とも考えられるのである。柄谷はまた『隠喩としての建築』において「形式の外部に回帰しようとする志向性」を指摘する。このような点においても加速主義とのパラレリズムを見出すことができる。柄谷の議論には理解し難い部分も存在するが、「形式主義の徹底による形式主義の破綻」は歴史的事実とさえ言い得るもので「ゲーデル的問題」における柄谷のこと理解は正当である。

あのさー。ゲーデル不完全性定理現代思想での乱用を理由として、柄谷を馬鹿にしていた人って、たくさんいたよね。彼らはなんで、加速主義に対して、それと同じくらいの情熱を注いで馬鹿にしないんだろうね。きっと、彼らは柄谷による、ゲーデル不完全性定理の「乱用」に腹を立てていたんじゃなくて、彼が

  • 左翼

だったことに、生理的嫌悪感を吐露していただけなんだろうね。
柄谷と加速主義が似ているのは当たり前で、柄谷のこの解釈が彼の

についての徹底した考察と離れては考えられないからだよね(加速主義の思想史的な出発点は、まさにマルクスが、この「加速主義」と、ほぼ同じことを講演で言っているからなんだよね)。
つまりさ。間違いなく、次に来るのは

  • 柄谷的転回(柄谷の『探究1』『探究2』において展開された)

なんだよね。つまり、すでに歴史は示唆されているの。この加速主義の「シンギュラリティ」は、ほとんど必然的な帰結において、この

  • 柄谷的転回

の問題に逢着せざるをえない。あのさ。このことが分かっていながら、なんで現代思想系の系譜にある人たちは、このことに言及しないんだろうねw
この加速主義は、言ってみれば、グローバルな思想運動だよ。それに対して、言ってみれば、その帰結を

  • 柄谷の著作

はすでに<予言>しているわけ。それなのに、なんで日本の思想家は、このことを

  • 世界中

に訴えないんだろうね。なんか、日本のアニメの世界中での影響の大きさに対する、日本の思想家の不感症と似たような違和感をおぼえるんだよね...。

現代思想 2019年6月号 特集=加速主義 -資本主義の疾走、未来への〈脱出〉-

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  • 作者: 千葉雅也,河南瑠莉,S・ブロイ,仲山ひふみ,N・ランド,R・ブラシエ,H・ヘスター,水嶋一憲,木澤佐登志,樋口恭介
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