津田大介「問題」

この津田大介という人間は、とんでもない、なにかの

  • 責任者(=ドラッカーの言うところの「マネージャー」)にしてはいけない人間

だったな、ということが、こうしてやっと最近になって、パブリックに今回の事件について「説明」を始めたことによって、露呈させてしまった。ちょっと聞くに耐えない言葉のオンパレードで、聞いてるこっちが、唖然としてしまう。

今回の騒動で明らかになったのは、電凸(電話をかけて組織としての見解を問いただす行為)による被害の大きさ、そしてその実態を伝えることの難しさだった、と討論では語られた。
電凸による被害の経緯はこうだ。まず「少女像」を含む展示作品リストが公開された7月31日から、事務局に多くの問い合わせが殺到した。
8月1日を経ても、その電話はやまなかった。

「2日目の朝くらいには、事務局の電話がどれも鳴り止まなくなった。ようやく電話を切ったと思ったら、数秒後にまた次の電話がかかってくる、職員総出でそれに対応している状況になっていた」(津田氏)

内容は「ガソリン撒かれてもしょうがないんじゃないの」とテロをほのめかすようなもののほか、「(職員の)名を名乗れ」という要求も多かったという。
津田大介氏、あいちトリエンナーレ問題を語る。「組織化されたテロ行為」「展示再開はハードル高い」 | BUSINESS INSIDER JAPAN

電話での攻撃は、あいちトリエンナーレとは無関係の愛知県内の美術館にも及んだという。
8月2日には、複数の職員から「やめたい」という声が出てきている状態だったという。結果、事務局は8月3日に「表現の不自由展・その後」の展示の中止を発表した。

「こんなに早く展示の中断を決断したのは、テロに屈したということ、毅然として対応しなければならなかったのでは、というご批判もいただきました。そのご批判はまったくその通りだと思います。
一方で、その状況が続くことで現場でメンタルを病んでしまう人が出てまで、続けていいのか。あるいは本当にテロを実行するような人が出てきたらどうするのか。非常に苦しい立場に置かれた中であの決断をした」(津田氏)

津田大介氏、あいちトリエンナーレ問題を語る。「組織化されたテロ行為」「展示再開はハードル高い」 | BUSINESS INSIDER JAPAN

上記の記述では、

  • 複数の職員から「やめたい」という声が出てきている状態だった

から、

  • 結果、事務局は8月3日に「表現の不自由展・その後」の展示の中止を発表した

とある。
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これの言っている意味が分かる人が果たして、いるのだろうか? 「結果」止めった、って何? どんな職場でも、体調を崩して止めていく人はいるだろう。しかし、だからってその仕事を「止める」という決断にはならない。なぜなら、その仕事を他の人が引き継げばいいからだ。津田はもし、一人でも体調を崩して止めたいと言う人が現れたら、最初から

  • もう止めよう

と考えてたって言ってるのだろうか?
ここで、実行委員会の岡本さんという方がなんと言っているのかを確認しておこう。

「この企画展をやり遂げるには相当の覚悟と準備が必要だと考えていました」
こう話すのは、企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会の岡本有佳さん(56)だ。
実行委が「あいちトリエンナーレ2019」芸術監督の津田大介さんから協力を打診されたのは18年6月。このとき岡本さんの脳裏をよぎったのは、過去の展示会で経験した修羅場だ。
表現の自由が侵害されている実態を可視化したい」
そんな思いから岡本さんら市民有志は、一時中止に追い込まれた元慰安婦の写真展を12年に、各地の美術館で撤去されるなどした作品を展示した
「表現の不自由展」を15年に、それぞれ都内のギャラリーで開催した。
 その際、執拗な妨害や嫌がらせを受ける。「在日特権を許さない市民の会」が拡声器を使って、「ぶっ殺してやるから出てこい」と罵倒。来場者の姿を勝手に撮影し、ネット上にアップした。岡本さんらは電話や受け付けの応対マニュアルを用意するなど対策を準備。会期中は総勢80人のボランティアが連日警備に当たった。来場者が無断撮影される状況には、シーツで出入り口を隠した。
このときの主要メンバー5人が、「その後」展の実行委として企画・キュレーションを担当した。受諾に際し、津田監督にこう念押ししたという。
「不当な暴力に屈した場合、私たちは(主催者側の)愛知県や津田さんと対立することもありますよ」
岡本さんによると、津田監督は「(圧力に屈しないよう)僕も一緒に闘う」と答えた。
にもかかわらず、開会3日目の中止決定。しかも、実行委との協議を経ず一方的に通知されたという。岡本さんが憤る。
「私たちが納得できないのも当然じゃないですか」
愛知県の担当者を交えた今年5月の対策会議で、岡本さんらは電話応対の担当者増員や応答要領などの事前研修を提案した。だが、岡本さんの目には不備が目立った。設置を要望した自動録音や番号通知機能のある電話の配備も一部にとどまり、「現場の最前線に立たされる人への対応が不十分」と感じた。
抗議は、開幕日だけで電話200件、メール500件に上った。事務局は抗議電話に対応する職員を増強し、ベテラン職員が応対した。だが、待たされた人がオペレーターに激高するなど抗議は過熱した。
「お前の母親の写真を燃やしてやるぞ」
女性に対しては一層攻撃的になり、職員の個人名をネット上にさらす事例も。「このままでは自殺者も出かねない」。連日未明まで続いた対策会議でこんな報告も出された。
愛知県の大村秀章知事は会見で「事務局スタッフの対応能力からオーバーフローしてしまった」と説明したが、岡本さんは、
「明らかに不当な暴力による人災です。知事が予算や手続きは後回しでいいから、と人員増などを決断していれば、状況は改善できたと思います」
中止の「表現の不自由展・その後」実行委が激白 「明らかに不当な暴力による人災です」 (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

今回のこの事態は、岡本さんに言わせれば「想定の範囲内」となる。そうであるのに、なぜ津田さんはこの「想定」されていた範囲のことが起きたことで、

  • だから中止

という行為になったのか? ここで、津田への違和感は以下の二つに集約される。

  1. 展示リストを公開したのは、展示会の開催の一日前で、そこからあっという間に、膨大な電凸(クレームの電話)にさらされた、というが、自分たちがこれからやろうとしていることを考えれば、大量のクレームが来ることは分かってたわけで、それを直前まで「隠して」おいて、いざ展示会を開始しなければならない直前になったらか、もはや隠すわけにもいかなくなったから、公開したら、想定していた通りに大量の「クレーム」が来たって、なんの<想定通り>なわけ? この「公開」をできるだけ混乱なく行いたいなら、当たり前だけど、もっと前から、発表していないと、直前になって「こんなこと」になるのは当たり前だよね。
  2. 津田は自らが中止を決断した理由に、スタッフが「止めたい」と訴えたことを理由に挙げているが、このことは津田がそういったスタッフに自分がこれから何をやろうとしているのか、そのために、スタッフはどういった心がまえでいなければいけないか、どんなマニュアルが用意されていなければならないのかを事前に説明していなかったことを意味する(しかも、こういった止めたいと言ってくるスタッフが発生することを想定して、事前に多めのスタッフを用意するということみしていない)。そもそも、津田さんは、こういったクレームの嵐になることを予想していたのに、なぜ自分の「スタッフ」にそのことを説明していなかったのだろうか?

しかし、この二点については、すでに、彼のブログで彼は説明しているわけである。
まずは、それを確認していこう。

②が、ボランティアの方々への報告が遅れた最大の要因です。当初は1カ月前から内容を発表することでオープンな議論を喚起し、議論が深まった状態で会期に入ることを目指していました。しかし、県や警察、弁護士に相談する過程で「これは②について相当準備しなければ危険ではないか」という懸念が示されました。とりわけ街宣車やリアルの抗議は準備に時間が必要であるため、1カ月前に内容を告知すること自体が大きなリスクになる、という意見を様々な専門家からいただきました。様々な議論を経て「警備の安全性を高めるには、会期直前で内容を発表した方がいい」という結論に至り、7月31日(水)の内覧会で初めて発表するということにしました。警備上の理由というやむを得ない判断で、県の上層部とも不自由展実行委とも確認して進めたプロセスです。ただ、結果的にこのことが企画実施の事前の議論、ボランティアの方々への連絡や相談を不可能にしてしまいました。このことについてはボランティアの方々に本当に申し訳なく思っています。仮定の話になりますが、6月29日に企画内容を発表できた場合、今回と同様の抗議や犯行予告などが殺到し、そもそもこの企画が会期中に開催できなかった可能性もあったのではないかと思います。様々な意味でこの選択も難しい判断でした。
そして、問題は③でした。大量の抗議電話が来ることは事前に予想できたため、当初より外部のコールセンターに対応業務をアウトソーシングするという手段は検討していました。しかし行政の文化事業の場合、説明責任も生じるため、安易なアウトソーシングもできないという問題もありました。そのため、会期前までに電話回線を増強するという対応を行いました(2日午後にはさらに追加したと聞いています)。これについては、新国立競技場の建築コンペでザハ・ハディドを選出した建築家の事務所に、抗議電話が殺到した際の数字などを参考に、有識者と検討して決めました。
ただし、この対応にも限界がありました。そもそも、抗議用の特設回線をつくってコールセンターに回しても、大きな事業では抗議がまず本体や本庁に来ることも多く、そこから職員が特設回線を誘導する形だと事務局の電話が塞がり、朝から晩まで本来の業務ができないという問題が解決しません。また、これだけ大規模な行政に対するクレームを民間事業者のコールセンターで引き受けた事例は、これまで1件もないそうです。組織的な抗議電話の炎上対応をコールセンターに任せるというのは、そもそも現実的な選択肢でないことが今回のことでよく理解できました。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告 - 津田大介 - Medium

なにを言っているか分かっただろうか? まず、一つ目については

  • 県や警察、弁護士に相談する過程で「これは②について相当準備しなければ危険ではないか」

と言っている。ここでは発表は「準備」をちゃんとやってから、ということが言われている。ここまではいい。しかし、次の段になると、

  • 「警備の安全性を高めるには、会期直前で内容を発表した方がいい」という結論に至り

となっている。「準備」がいるという話が、いつの間にか

  • 直前

がいいという話にすり変わっている。しかも、後者の理由は「警備の準備」となっているわけで、いや、発表した直後から、それ相応の「警備」をやらなければいけないよね(まさに、開催期間と変わらないような)ということを言っているだけで、

  • だから

直前が<良い>ということにはならないわけであろうw
次に二つ目についてであるが、明らかに津田はここで「ごまかし」のレトリックを使っている。スタッフとは「中の人」である。その中の人に説明がいることと、パブリックに何を発表するのかが、なんでリンクしていなければならないの? スタッフに説明できない理由が、「そこから情報が漏れるとまずいから」と考えていた、ということ? だとしたら、こういったプロジェクトが

  • 必然的

に失敗したことを自ら告白しているではないかw ようするに、津田は自分がこれからやろうとしていることを、スタッフにすら隠していたのだw そしてスタッフから「話が違う」と言われた。こんなハードな展示会だと思わなかった、と。以前と同様な、ほんわかと終るものだと思っていた、と。
そして、ほとんど理解不能なのが、なぜ「アウトソーシング」を使わなかったのかの理由だろうが、ここまで分析してきて、津田が何を言ってるのか分かったんじゃないか。なぜ、津田がアウトソーシングを使えないと思ったのか。津田はもしも、アウトソーシングを使ったとしても、その会社に

  • 情報を隠そう

としていたわけだ! 自分がこれから何をするのかを隠そうと。そうした場合に、後から、

  • 裁判で訴えられる

リスクを彼は懸念したのだw これまでの議論から見えてくる答えは一つだ。津田は、とにかく、

  • あいちトリエンナーレと、表現の不自由展の「開催」にさえ、こぎつけさえできれば、「後は野となれ山となれ」と考えていた

ということだw 彼にとっては、とにかく開催さえできれば、他のことは「どうでもいい」ことだったのだ。後は自分の責任じゃない。他の誰かの責任にいきまっているんだから、次々と「犯人」を見つけて、そいつに責任をなすりつければいい、と。
最後に一つだけ、私見を述べさせてもらうなら、津田はこういった美術展の開催に関係したスペシャリストではない。そもそも美術とは無縁の人で、ただのジャーナリストでしかない。だとするなら

  • あらゆる

判断は、なんらかの「スペシャリスト」の助言がなければ、その成否の裏付けがない、ということになるだろう。だとすると、彼の仕事をサポートするアドバイザーとしての専門家は誰だったのだろう? 明らかに、素人が、なんとなく「うまくいくんじゃないかなー」と妄想したままに、最後までつっぱしって、なんにもうまくいっていないだけのこの事態に至っているわけで、そのサポート・アドバイザーはなにをやっていたのだろう? 「表現の不自由展」は以前にすでに一度開催され、多くのクレーム対応を行っている。そのことと較べるなら、今回どういった対応が必要であったのかは、警備の専門家によって

  • サポート

されていれば、こんな醜態に至るまで恥をさらすことはなかったわけであろう。もしかして、最初から「そんな人」はいかなった、ということ? だったら、必然的にこうなるよね...。