「津田先生の言い訳」の補足

前回の記事は、いろいろと論点が多くなったことで、指摘が増えてしまい、言いたいことが分かりにくくなったこともあり、今回は、津田先生がなぜ前回のインタビューで彼が「推薦」した出品者の名簿を公開することを禁止(検閲w)したのかの問題に、しぼって考えてみたい。
そもそもなぜ津田先生は、

  • 個々のキュレーションに口を出すつもりはなかった

ということを、こんなに重要なことのように強調しているのか?
おそらくこれは、今回の混乱の「言い訳」として言われてきたこととの「つじつま」を合わせる、ということに関係しているのだろう。つまり、彼はあくまでも自分は

  • 芸術監督の<立場>

だったんだ、と。だから、本来は「慰安婦像」や「昭和天皇を焼いた写真」に責任を問われる相手ではない。自分に非難が及ぶのは不本意だ。そもそも自分は

  • 枠組みとコンセプトを作る

ことが仕事だった人間なのだから、なんでその私が非難の矢面にされなければならないのか。
むしろ私は最初から、一連の作品には

  • 批判的

に対峙してきたわけで(このことについては、以下の発言が証明している)、

作品選択の規準は「過去の展示不許可」であって、トリアンナーレが「いい作品」と推したわけではない。津田さんは個々の作品に行政が賛意を示しているのではないとも明かした。
抗議殺到し展示中止、悪しき前例「難しい社会に進んだ」:朝日新聞デジタル

自分に非難が集中するのは理不尽だ、と。
ところが、である。
前回のブログのインタビューアに、はからずも暴露されているように、出展されている作品の3分の1が、津田が「推薦」したものであったことが暴露され、しかも、津田直轄の作品すら、それなりにある、という話にまでなっている。
ここで、「んっ?」と思わせられることになる。

  • 当時の僕は、芸術監督は枠組みとコンセプトを作るのが仕事なので、個々のキュレーションに口を出すつもりはなかった。それは、企画アドバイザーの東浩紀も同じです。

だとするなら、前回も指摘させてもらったが、東先生がゲンロンでの有料の美術講座の参加者募集の動画配信で、参加すればあいトレに、かなりの確率で出展できることをメリットとして絶叫してたことの説明がつかない。
津田の<仕事>というのは、津田がこの仕事を引き受ける

  • 契約書

において、どうなっているのかに全てがある。そこで、「芸術監督は枠組みとコンセプトを作るのが仕事」となっているなら、むしろ、進んで

  • 現場介入

を津田が行っていったことについては「説明責任」が必要だ、ということになる。というか、そもそも、東先生の上記の動画配信での絶叫にはなんらかの「裏付け」が必要なことになるのだから、津田にはこの

  • 説明責任

を果たさなければならない、ということになるだろう。ようするに、本当に津田は

  • 枠組みとコンセプトを作る

という仕事をしていたのか、という疑惑である。もしもそうなら、結果的にであれ、現場に介入していくことにはならなかったはずなわけで、なぜならインタビューアも指摘していたように、各キュレータは、この津田の美術監督の「指示」に基本的には従っていたのだから。
ところが、津田は結果として

  • 3分の1

に至るまで<自分の連れて来た作品>を選ばせているわけで、普通これを、「枠組みとコンセプトを作る<だけ>」なんて言わないw
(よく考えてみてほしい。津田は「美術監督」という役職を引き受けている。そして、契約書上、その仕事は「枠組みとコンセプトを作る」なのだ。それは、この<業界の常識>として、暗黙にインタビューアが非難しているとも解釈できる。事実、キュレータという何人かの選出が、津田とは「独立」した形で愛知県側から選出させていたことを津田も認めている。つまり、ここには明確な

  • 役割分担

があった。そうでありながら、津田はそのインタビューで、結果的に津田自身が「キュレータ」の仕事を奪い取っていくことになった経緯を、かなり「苦しい言い訳」として語っている。なぜそうまでして津田はこの「越権行為」を正当化しなければならなかったのか? ここに、今回の事件の一つの「真相」がある、と言わざるをえないだろう。)
ようするに私の疑いは「単純」で、そもそも津田には

  • 枠組みとコンセプトを作る

ことを真面目にやろうなんて思っていなかったのではないか? それは「建前」で、さまざまな人からの

  • 口利き

  • 人間関係

で一部の勢力の作品を<優遇>するという

  • 策謀

をかなりの本気度で実行した、というところが正直なのではないか...。
(だから、今回の「表現の不自由展」での言っていることの「整合性のなさ」が露骨に引き立っている。もっと言えば、彼は「美術監督」の<仕事>を履行していない。つまり、「枠組みとコンセプト」を「首尾一貫」させることこそが津田の仕事だったのに、それをサボタージュして、

  • 私物化

して、税金を個人的な利害で使った、という疑いになっているのではないか...。)