まあ、ネット上では、ツイッターでの太田啓子さんという弁護士の方の以下のツイートをめぐって、議論がされている。
日本赤十字社が「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーンということでこういうポ スターを貼ってるようですが、本当に無神経だと思います。なんであえてこういうイラストな のか、もう麻痺してるんでしょうけど公共空間で環境型セクハラしてるようなものですよ
「宇崎ちゃんは遊びたい」×献血コラボキャンペーン実施!|新着ニュース・プレスリリース・イベント|神奈川県赤十字血液センター|日本赤十字社
Unseen Japan @ 超スプーキー on Twitter: "I admire the work the Red Cross does, which is why I’m disappointed that @JRCS_PR in Japan would run a campaign using the over-sexualized Uzaki-chan. There’s a time & a place for this stuff. This isn’t it. #women #metoo #kutoo… https://t.co/pcjoVDAK30"
@katepanda2 2019/10/14 06:00
まあ、この太田という方の議論は、そのツイートに紐付いていろいろ話されているので、興味のある方はそちらを見られたらいいと思うが、ここでは、上記のツイートで引用された、ある英語のツイートをつぶやかれた方に、週刊文春の記者がインタビューをした内容が以下で読めるので、こちらに何が書かれているのか、といった視点から考えてみたい。
胸を過度に強調するポーズやキャラクターの表情など、エロ漫画の中ではスタンダードな表現かと思いますが、たとえば『ラブライブ!』のようなメジャーな作品においては、典型的な表現だとは思いません。
そもそも、『宇崎ちゃんは遊びたい』はエロ漫画的な要素がある作品としてスタートしたと聞いています。今はそこから変遷して、そうとも言い切れないようですが。
日赤「宇崎ちゃん」献血PRポスターは"過度に性的”か 騒動に火をつけた米国人男性に聞いてみた | 文春オンライン
特に日本では今、多くの女性が日本社会の女性に対する扱いに疑問を感じています。たとえば、痴漢やセクハラの問題が続いていたり、性犯罪に対する不当な無罪判決が下りて、それに抗議するデモが起こっていたりする。
このような環境で、公の場で女性を過度に性的に描写することは、「女性はこのように扱われるべきものだ」というメッセージを発してしまうと思います。
日赤「宇崎ちゃん」献血PRポスターは"過度に性的”か 騒動に火をつけた米国人男性に聞いてみた | 文春オンライン
今回の騒動で初めて「TPO」という和製英語を知ったのですが、まさにTPOの問題だと思います。今回の表現は、TPOにそぐわなかった。
こうした絵柄が秋葉原の一角に貼り出されていたのだとしたら、何の違和感も感じなかったでしょう。秋葉原に行く人は、こうした表現を目にすることを予想しているでしょうから。本屋の一角で原作の漫画を見かけたとしても、「好みは人それぞれだから」で済む話です。
日赤「宇崎ちゃん」献血PRポスターは"過度に性的”か 騒動に火をつけた米国人男性に聞いてみた | 文春オンライン
まあ、二度手間になるが、上記の主張を私なりに整理をすると、以下のようになる。
- 胸を過度に強調するポーズ、キャラクターの表情は、エロ漫画のスタンダードであり、メジャーな作品の典型的な表現と思わない(例:ラブライブ)
- そもそも、『宇崎ちゃんは遊びたい』はエロ漫画的要素のある作品としてスタートしている。今はそこから変遷して、そうとも言いきれないようですが。
- 今の日本の状況は、セクハラ、痴漢、性犯罪の不当な無罪判決などがあり、抗議デモも置きている。ここからも、公の場で過度に性的な描写は、「女性はこのように扱われるべきだ」というメッセージを発してしまう。
- TPO(時・所・場面=コンテクスト)をわきまえよう。
- 例えば、こういうものがアキバにあることには、違和感はない。アキバとはそういう街だというコンセンサスがあるから。
こうやって見ると、この日本在住の外国の方は、かなり、日本のアニメの事情に詳しいことが分かる。そして、上記の太田啓子さんが、上記のツイートに紐付いているツイートで議論していることと、ずいぶんとニュアンスが違うことに驚かされる
(なぜ太田さんが、この英語のツイートに飛び付いたのかといえば、まさに「外圧」を利用しようとしたんだね。ほーら、海外の方も、私たちと同じ主張をしている。私たちが「グローバル・スタンダード」だということが、これで証明されたでしょう、といった感じでしょうか。)
まず、上記の外国の方がこだわっているのは
- エロ漫画的表現
- その他の「メジャーなアニメ」
には、明確な<表現上の>違いがある、という立場なのだ。その上で、この方は、『宇崎ちゃん〜』は前者の側「的」だ(まあ、ほとんどそれと相等だ)、と言っているわけである。
対して、太田さんは、そもそもの
- アニメ絵
が「女性差別的」だ、という論陣をはっているように思われる。すべての(男性向けの)アニメ絵は、自明に、女性差別なのだから、これら一切を、どうやって、公共の場から排除するか、と言っているように聞こえる。
次に、上記の外国の方は、
- 近年の日本の女性の性問題
に対する議論の高まりから、社会政策として、こういったものに警戒的な政策をとっていくべきではないか、といった視点から、未来志向で提言する、という形になっている。
最後に、この方は、これはせんじつめれば
- TPO
の問題だ、と言う。こういった「エロ漫画」的なものを、公的な場所にもちだしてくるな、ちゃんと
しておけ、という主張だ。そしてそこから、
- アキバは、あんなもんだから、あれでいい
とまで言っている。
私がこれらの主張を素朴に聞いて、まず感じる違和感は、ここでの
- エロ漫画的表現
- その他の「メジャーなアニメ」
の分類を、あくまで
- 表現
のレベルで「自明に見出せる」という態度だと言えるだろう。なぜこれに違和感を覚えるのかというと、言うまでもなく、そもそも
- ゾーニングされているエロ漫画
は、そういった表現がどうのこうのというより、端的に
- 映画におけるR15、R17
などと同様に、例えば、セックス場面を普通に描いていたりなどといった
- 過激表現
に対する社会的な、その扱いのコンセンサスとして適用されてきた仕組みであって、そういった「表現」の差異を云々するものでは、基本的にはないわけであろう。
そういった形で、この外国の方は、少し勘違いをされている印象を受ける。もちろん、おそらく、外国の人たちが日本のアニメやエロ漫画を見る文脈で、
- こういった表現による分類
が比較的に可能である、といった「感覚」を共有されているのだろう、ということは、なんとなくは分からなくはないが。
上記の二人の方は、その表現「制限」に対する「ラディカルさ」において差異はあるにしても、基本的には
- どこまでをゾーニングするのか
に対して議論をされているということでは、共通していて、二人とも、こういった表現が「禁止されるべき」という態度ではない(表現の自由の制限を求めない)、あくまで、公的な場でのゾーニングを、どこまで拡大するのか、といった一線で議論されている、ということでは似ている。
そして、お互い、今の日本における、女性への性暴力の問題にセンシティブになっていて、なにかを改善しなければならない、という強い意識をもっていることは伝わる。
しかし、である。
そもそも、国家の社会政策は、さまざまなパラメータにおいて、多くの問題系の連立方程式として解かれるものであって、この二人がなぜか
- 献血そのもの
に対して、まったく言及していないのは、恐ろしいまでの違和感を覚える。
あなたたちは、「このポスターはダメ」と言ったのにも関わらず、じゃあ、献血とはどうあるべきなのかについて、まったく言及されないのは、まさに「ためにする議論」であって、不十分なのではないか。
まず、日本における献血の歴史をふりかえるなら、ここ近年には、
- 非常に多くの男性向けアニメとの「コラボ・キャンペーン」を行っている
という、明確な特徴があるわけであろう。そして、それまでの、それらのアニメ作品がみんな「巨乳」を強調するようなものではなかったように(もしそうだったら、その時点で、彼らがクレームをつけていたわけで)、そういったバランスにおいて、日本赤十字側は
- 平均としては、そこまで、女性の性的な表現を強調し続けてきたとまでは言えない
ということぐらいは、同意するんじゃないのか。
というか、そもそも、なぜ日本赤十字は、こういった「献血」という方法にこだわっているのかというと、やはり
には、さまざまな問題が懸念されるからであろう(貧乏な方が、体を壊されても、売血をしたがるケースや、血液が高騰した場合など)。よって、基本的には、日本赤十字は、この献血を、今まで通り、無料のボランティアで人々に協力してもらうスタイルを続けたい。
しかし、である。
みんな、献血をしないわけでしょうw まあ、上記の太田さんを始めとする、女性のフェミニストの方々も、彼女たちは、あくまで「女性の権利」の専門家であって、それと同等の情熱をもって、献血を呼び掛けているなんて聞いたことがないわけでしょう。
そもそも、献血とは、「若い男性」が中心なわけでしょう。女性は、生理もあり、慢性的に貧血の方が多い。そうなると、必然的に、若い男性に献血を
- やってもらいたい
というのが社会のコンセンサスなわけでしょう。でも、ただ訴えているだけでは、やってくれない。だから、日本中で、献血の不足で、献血の呼び掛けが行われている。
ところが、です。
こういった状況において、唯一、「積極的に献血をしてくれる人たち」がいるわけです。それが、若い男性の
- オタクたち
です。彼らは、非常に安価な、「(アニメグッズのような)記念品」を、そのレアリティをもたせるだけで、まったくもって、情熱的なまでに、献血してくれるわけです。
- こんな安っぽい「景品」だけで、何度も献血してくれる
わけです。考えてもみてくださいw こんなに「コスパ」のいいことがありますか? 日本の若い男性の「オタク」たちは
- 非常に優しい
んですよ。このことを分かっていない、上記のような「批判」は、そういった「非オタク」たちが、どれだけ、献血に今まで非協力的だったのかの反省もなしに、こういった
- 上から目線の説教
をされることの、「傲慢さ」を少しは分かってほしいもんですよね。
そして、この議論って、あいトリの今回の「表現の不自由展」の議論ととても似通っていますよねw なんで、今回のあいトリに、津田大介がかつぎ出されたのか? まあ、言うまでもないですよね。
- アングラ芸術家(お金儲けを目的としない芸術運動)が食べられなくなってきている
という端的な事実があったからでしょう。そういった危機感を、彼が打破してくれるのを期待しての採用だった、と推測できる。彼らアングラ芸術家が、津田にやってもらいたかったのは
- アングラ芸術家の「生計」を国家に保障させたい
ということでしょう。つまり、自分たちに、じゃんじゃん補助金を使ってほしい。でもそれを、露骨に言うと、世間の風当たりが悪くなるから、そういった本音を隠して、これが
の問題なんだ、という「建前」で覆ったんだよね。
そうすると、大学の教授たちを含めて、出版関係者を含めて、この「表現の自由」の基盤に深く関わって、仕事をしている人たちにとっては、これは絶対に譲れない
- 利権
なんだから、是が非でも守らなければならない。そこにおいては、「是是非非」なんて絶対にありえない。一切の批判をシカトして、ひたすら、自分たちの「権利」や「立場」の保全を主張する。まあ、そういう意味では、まさに
- 「現代アート」村
なわけで、3・11でさかんに言われた「原子力村」とまったく同じ力学なわけだ。
でもさ。
少し考えてみれば分かるけど、そんなに「表現の自由」が大事だと思うなら、そういった大学教授や、出版関係者が、進んで、そういった現代アートを
- 買え
ばいいわけでしょう。でも買わないんだよねw そのくせに、表現の自由だけは守れ、守れ、とうるさい。いや、あんたたちが、現代アートを買ってあげれば、彼ら芸術家は、十分なお金を手に入れられて、生活が安定して、ここまで
- 国家にたかる
ことに血まなこにならずにすむんだよ! だから、とっととそうやればいいんだ。でもやんない。ということは、彼らも、そういった現代アートに「価値」を見出していないんでしょ? だったら、そういった現代アートを批判している市民たちと、なにが違うんだろうねw