映画「リチャード・ジュエル」の評価

クリント・イーストウッド監督の最新作、映画「リチャード・ジュエル」を映画館に見に行ってきたが、その前に、今週の videonews.com の映画特集を見てきた関係もあって、先に、宮台真司のこの作品の批評を聞いていた。まあ、あまり何を言っていたのかを覚えていなかったこともあって、作品そのものは素直に楽しめたのだが、家に帰ってその宮台の発言の個所を見返して、こんなことを言っていたのか、と感心はした。
宮台の分析は、ようするにリチャード・ジュエルを

と同一視して、その母親を彼をしてネトウヨたらしめている「原因」として

  • 批判

しているところが特徴だ。確かに、リチャード・ジュエルのFBIに対する最初の態度は滑稽なまでに「ネトウヨ」的と言いたくなる、というのも分からなくはない。また、そういった観点を、おそらく、クリント・イーストウッドが意識していただろう、というのも確かなのだろう。
しかし、作品全体としては、リチャード・ジュエルも、その母親も、基本的には尊敬されるべき人物としてリスペクトして描かれていたのではないだろうか。そういった意味では、宮台の

  • エリート主義

は鼻につくし、えらそうなわけであるw
そもそも、リチャード・ジュエルは彼の実直な、警備の「研修」を非常に真剣に実行した結果として

  • 多くのオリンピックの観客の命を救った

ことは間違いないわけで、なぜ、そうであるのに、その母親に対してまで、宮台に「嘲笑」されなければならないのかが分からない。
つまりは、宮台にしてみれば、自分と同じレベルの学歴と才能がない限りは

  • 愚民

であり、大衆は政治に参加するな、ということなのだろう。宮台は口を開けば、大衆を自分の口先三寸で、いくらでも「操作」してやる、といった

  • 他者支配

の自慢ばっかりなわけで、俺のゼミに来れば、ネトウヨという「病気」が治るとかw 言ってて恥かしくないんですかね。当たり前だけど、お前のゼミに来ている連中なんて、日本中のほんのひとにぎりの

  • エリート

だけで、そんな連中がどうのこうので、まるで日本中を変えられる、みたいに語るって、頭おかしいんじゃないかw 日本のほとんど全ての人間は、死ぬまで、宮台の言うことなんて聞かないし、お前になんの影響力もない。そうであるにもかかわらず、いつまでも、その偉そうな態度って、もう少し謙虚になれないんですかね...。