新型コロナ・パニックをどう考えるか?

東京は、オリンピックの延期を決めるやいなや、都内の感染者が3連休明けに増加したという事例を受けて、土日の外出自粛の要請を、都知事が発表するに至った。まあ、この会見の映像を見ていたけれど、ようするに、ここでは「増加曲線」の話をしている。増加が、倍々ゲームで増えるなら、指数関数的な曲線になるわけで、その徴候が現れた時点で、早期に警戒をする、というのが意図のようだ(しかしよくわからないのが、あまりにも一日あたりの検査数が少ないので、ここで増えた減ったと言ってることになんの意味があるのかがさっぱり分からないことだろうw)。
そして、聞こえてくるところによれば、クラスターとして疑われているのが、夜の飲み屋、というわけだが、キャバクラでサラリーマンが会社の経費で落として、というのは、さすがにこのご時世なんでやりづらいと考えるわけだが、それでも、好きな人は、一人でもそういう店に行くだろうし、近距離で話すのが魅力であり、都会の換気の悪そうなビルで行うのが通常なわけで、こういった業態に対しては、あまり有効な対策というのも思いつかないわけだがw
いずれにしろ、今行われている対策は各自の「自粛」をお願いする、というもので、でも、誰もが仕事をして稼いでいかなければ日々の生活を繋いでいけないのだから、最終的には「続かない」と言わざるをえない。
ネットを見ていると、特に、海外のニュースを追っている人たちが、

  • ヒステリック

に日本の対応の遅さを罵詈雑言に批判しているのが見うけられる。こういうご時世なので分からなくはないが、少し冷静になって考えた方がいい。
まず、今のザルな、空港での人の流入はなんとか考えなければならないのは確かだ。
しかし、他方において、今のこの世界中での大拡大は主に、ヨーロッパとアメリカで起きている。対して、アジアの拡大はここ何週間に限れば、それに比較すれば、かなり抑えられている。
そして、海外から特に不思議がられているのが、今の日本の状況なわけであろう。それに対して、ネット上でも、さまざまな憶測が語られている。もしかしたら、多くの日本人にすでに免疫ができているのではないか、とか、BCGワクチンを疑っている仮説もあるそうだ。
出羽守(でわのかみ)ではないが、ヨーロッパやアメリカがある対策をやっているから、日本は一刻も早く真似しなければならない、というのは、結局は専門家が判断することであり、その専門家をこういった専門的な評価に対しては信用するしかない。いずれにしろ、長い戦いになるのだから、その分析をもとに議論していくしかない。
結局のところ、今行われている政策は「医療崩壊」が起き、本来なら救える人たちがまともな医療を受けられないことで亡くなってしまう、本来の「伝染病」において恐れられている事態なのであって、このことと

  • 一人でも死んじゃだめだ(=政治家の責任だ)

といったものとは分けて考えなければならない。
それは例えば、薬の開発ひとつとったって、ある薬を飲んだら治った。じゃあ、その薬はこの病気に効くのかは、少しも証明されていない。なぜなら、もしかしたら、その薬を飲まなくても治ったかもしれないからだ。
ある方が亡くなった。しかし、それを最終的に決定的にしたものは、ご高齢であることや、持病に関係したことなのかもしれない。今カウントされている死者は、その「症状」を現した人が、「同時」に死に至ったというケースを全て含めているわけだが、その「因果」関係はそんなに簡単ではないわけである。
むしろ、私たちは直近の「経済活動」、つまり、「不況」の問題を考えなければならない。この不況により、倒産する企業が増えれば、多くの自殺者がでてくるであろう。つまり、

  • どっちを「救う」のか?

といった難題が迫っている、とも言えるわけである。
どういった選択がいいのか? どういった行動がいいのか? それは自明ではない。ただ、どっちにしろ判断していくしかない。その場合、何を維持し、何を「緊急」の事態として、一時的な非常時対応を行うのかを選ばなければならない。その場合には、「規準」がいる。今、さかんに言われている「3密」は、少なくとも今の日本の状況に対しては、一定の合理性があるのであろう。つまり、その上で、あとは各自が選択するしかない、というわけである...。