独我論と「オートポイエーシス論」

カント哲学が「自我」の哲学を内包していることは、カント哲学が、デカルトの観念論との対決において成立していることかも分かるわけであるが、他方において、カント哲学が必ずしも

としての考察を行っているとは読めない、つまり、徹底して「科学」の側で議論されているように伺えることは、興味深い側面だと言えるだろう。
ここで私が「独我論」とわざわざ断っていることの内実としては、一つはデカルトの考察があるだろうし、もっと卑近な例を挙げるなら、永井均の一連の論文があるだろう。
永井均が、めずらしく柄谷行人について言及している、「世界宗教の外部へ」という論文では、以下のように自らの「独我論」と、柄谷のそれが違っているかを、端的に説明している。

第一部の冒頭で、柄谷行人は次のように書いている。これは『探究』全体を通じて、私が全面的に共感しかつ賛成できる唯一のパラグラフである。

私は十代に哲学的な書物を読みはじめたころから、いつもそこに「この私」が抜けていると感じてきた。哲学的言説においては、きまって「私」一般を論じている。それを主観といっても実存といっても人間存在といっても同じことだ。それらは万人にあてはまるものにすぎない。「この私」はそこから抜けおちている。.....(九ページ)

その通りだ、と思う。私もまったく同じことを感じてきた。しかし、その後に次のような文章を読むとき、そこにはすでに小さな離反が始まっているのを感じざるをえない。

...肝心なのは、「この私」の「この」の方であって、私という意識のことではない。だから、哲学的な言語の中に「この私」が抜けているというかわりに、「この物」が抜けているといいかえてもかまわない。たとえば、私が「この犬」というとき、......(九--一〇ページ)

ここでは、「デカルトスピノザ化」の一歩がすでに始まっている。真にデカルト的な見地からみれば、肝心なのは「この私」の「この」であると同時に「私」である。
永井均世界宗教の外部へ」)
「魂」に対する態度

「この私」の「この」と「この物」との間には、根本的な違いがある。「この犬」が(犬集合に属するその一例としての「ある犬」ではなく)他をもって替えがたい「この犬」であるのは、柄谷の言うとおり、その単独性によってであり、それは固有名によって表現することができる。同じことは「この人」についてもいえる。「この人」が(人集合に属するその一例としての「ある人」ではなく)他をもっては替えがたい「この人」であるのは。この単独性によってであり、それは固有名によって表現することができる。しかし、「この私」は違う。
永井均世界宗教の外部へ」)
「魂」に対する態度

これを見るとよく分かるが、柄谷がずっとやっていることは、基本的に「科学」なんだと思うわけである。または、「科学」を成立させている諸条件の考察だ、と。つまり、柄谷は基本的には、

  • カント

の延長で考えている。対して、永井にとっては、そもそもなぜ「科学」についての考察を「閉じ」なければならないのかの「理由」が理解できないのであろう。彼は、自らの「独我論」についての考察の徹底が、究極的に科学の「秘密」をも解決する、といった一貫性において徹底されている、と理解できるわけで、だとするなら彼の「ネタ元」はなんなのだろう、ということになるわけだが、おそらくはっきりと言えることは、それが

  • 仏教

だ、ということになるのだろう。

若者に人気のある哲学者の永井均(一九五一-)は、『西田幾多郎--「絶対無」とは何か』(NHK出版、二〇〇六年、のち角川文庫)で、やはり池上のこの実験から話を始める。だが永井は日本文化論にはとどまらず、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」も間違いで「我」は実在しないと言い出す。
芥川龍之介の「蜘蛛の絲」という有名な短編がある。インド古典学者の小林信彦(同名の作家とは別人)によると、その原典はポール・ケーラスおちうドイツ人の『カルマ』で、お釈迦様から地獄へ蜘蛛の絲をたらされてそれにとりついたカンダタが、下で別の者たちもその絲にとりついているのを見て「これは俺の絲だ」と叫んだために絲が切れたのは、エゴイズムゆえ、と芥川は考えていたらしいが、実は「私(アートマン)」が実在すると思ったためだった、と小林は言うのである。
つまり永井は、『西田幾多郎』という本で、西田をダシにして、池上の「実験」もダシにして、仏教の教義を説いていることになる。もともと永井には、仏教へと傾く気配があった。西田幾多郎の言うこともまた、仏教の教えを説いているだけではないとされることがある。
小谷野敦『哲学嫌い』)
哲学嫌い ポストモダンのインチキ

ただ、ここで「仏教」という言葉に遭遇するとき、私たちの世代にとって、それは、どうしても「オウム真理教」についての、一連の経験との対比なしには考えられないわけである。そして、そのオウムと深く関わった考察をした人に、中沢新一がいた。彼の最初の頃の主要な題材として

があった。そして、なぜ、こういった一連の「実践」がオウムのテロへと結果したのかは、そもそも仏教がなにを語っているのかと別にして、決して避けられない命題として受けとられたわけだ。
例えば、以下の本では、カントと「オートポイエーシス理論」との相関性が、さまざまな観点から考察されている。

山下和也『カントとオートポイエーシス
カントとオートポイエーシス

このことは、カントの観念論と言ってもいいし、認識論と言ってもいいが、こういった彼の一連の考察が、

  • 観測装置としての「人間」

についての深い考察なしにはありえなかったことを意味している。オートポイエーシス理論は、明らかにカントの影響を受けている。
例えば、私たちが近年、AIについて、さまざまにその未来に向けての「有用性」を語るとき、どうやって、私たち人間が

  • ロボット

を作るのか、という命題を避けては通れない。しかし、ロボットを作るということは、ある種の「観測装置」を作ることを意味する。しかし、その場合、このロボットは、その「観測結果」と、その「観測」を成立させた「自ら」とを、どのように関係させて理解するのであろうか?
このロボットを「外部」から見ている私たちは、そのロボットが、ある「観測」を行うという「結果」を一方で見ながら、他方でそれが、

  • なんらかの「システム」

によって行われた、ということを見る。つまり、ある「内的な結果」は、なんらかの「外的なシステム」によって、(因果関係としては)成立していることを意味している。これをカントは

  • 形式

と言った。つまり、カント哲学は「形式」の哲学とも言っていいわけで、あらゆる事象と、その「形式」との対応関係の自明性を彼は一度として疑っていない。
このことは、現代科学における、認知科学においてであれば、なんらかの「心の中の思考」に対応した、

  • 脳の電圧の変化

が「存在する」という形で説明されるわけであろう。
しかし、もう一度、上記のロボットの例に戻って考えてみてほしい。そのロボットにとっては、自分が「観測できた」という事実性が重要なのであって、

  • それは何によって成立したのか?

は、本質的ではない。なぜなら、もしもそれが重要なら、それこそが「観察すべきこと」であることを意味するわけであって、本末転倒だからだ。
つまり、大事なポイントは、永井均の一連の「独我論」が欺瞞的なのは、彼の語っていることが、一方で「オートポイエーシス」によって分析できる、

  • 科学

の範疇の議論でありながら、他方でそれらと「独我論」とを、いつまでたっても「ごった煮」にして議論をし続けている、

  • 知的な不誠実さ

にあるのであって、そのことが、なぜ柄谷やカントやオートポイエーシス論が「独我論」を語らないのかを、端的に説明しているわけであろう...。