文系の学者が理系の学者を「批判」するとき、そもそもその批判は妥当なのか、と思わされることがよくある。というのは、そもそも理系の学問というのは、そういうものではないからである。
例えば、以下の動画で、兪炳匡(ゆうへいきょう)先生が新型コロナの「予測」の問題を議論している。
兪炳匡:一方、アメリカのCDC、アメリカの連邦政府なんですが、感染予想を毎週更新しているのですが、今出ているスライドをご覧になっていただいて分かるのですが、左の方ですね、下の方に20ぐらいでているのが、19の研究機関。別々なんですね。例えば、ジョンソンホプキングス大学でしたら、二つの研究グループが別々に予想を出しているんですね。ということで、感染の予想というのは非常に難しいので、モデルも数が非常にたくさんありますので、どのグループが当たるのか分からないということで、アメリカの場合、世界から特に優秀だと考えられる19の研究グループの予想というのが、たくさん色がついていますけど...。
いまこそ科学的コロナ対策を!(兪 炳匡)【山岡淳一郎のニッポンの崖っぷち】20211005 - YouTube
まあ、そういうことですよね。日本では、ほとんど西浦先生の発表しか注目されてこなかった。というのは、厚生労働省や東京都や大阪が、それぞれ「一つ」の研究グループにお願いをして予測をしてもらっているわけであるが、そもそもこの予測は難しいわけだから、そういう場合は「一つ」に限定しては駄目なんですね。難しい。つまり、その予測をする側のアプローチの観点によって、違ってくることが分かっているのですから、当然
- 複数のグループの予測
を並べて、どういった傾向があるかを見なければならない。
ではなぜ日本で、それをやっていないのかというと、早い話が、厚生労働省や東京都や大阪が
- 非専門家
によって、そういった決定をしたから、としか言いようがないわけだ。まあ、アメリカはCDCですからね。この分野の、最前線の論文を出している先生の集団ですから、比較にならないw
つまり、日本は本当にサイエンスなのかが怪しいわけだ。西浦先生に予測を依頼しているというけれど、ほんとうはそれは、たんなる「ガス抜き」なのだろう。体裁をとりつくろっているだけで、真面目にやろうとしていない。なぜなら、最初から「省益」しか考えていない人の集団ですから。国民なんて、どうでもいいわけだ。
そして、もっと根源的な動機は、「情報の隠蔽」だ。オリジナルの情報を、感染研が独占して、一般に公開しない。公開したら、研究成果を、他の人に取られますからねw 国家が独占して、それを隠すことの方を、国民の命より重視している。もともと、こういう国ですから、日本は。国民なんて、どうでもいい。国さえ、自分たちの思う通りにコントロールできればいい、という国でしょ、日本なんて、しょせん。
ついでに、もう一つ、重要なことを上記の動画で紹介している。
兪炳匡:海外では必ず費用対効果分析といって、コストを必ず考慮するんですね。費用というのはこの場合、PCR検査一回の費用。例えば、5千円になります。この場合の効果というのは、PCR検査をすることで、確率的に何人かの陽性者が見つかります。その陽性者を見つけて、隔離することによって、今後の感染者の数が減る、それによって、医療費が減るわけですね。そこが効果になるわけです。
いまこそ科学的コロナ対策を!(兪 炳匡)【山岡淳一郎のニッポンの崖っぷち】20211005 - YouTube
日本ではさんざん、「PCR検査は駄目だ」という議論がされた。しかし、これは変だ。なぜなら、問題は
- 費用対効果分析
だからだ。PCR検査が駄目と言うならば、
- 特異度がいくつなら、上記の引用にある効果(医療費が減るのか増えるのか)はいくつなのか?
をモデルを作って計算しないと意味がない。これをやらないで、駄目か駄目でないかをいくら、くっちゃべっていても意味がない。つまり、
- 文系が駄目なのは、ちゃんと(理系でオーソライズされている)調査方法のアプローチを行って、数値化をしていないから
ということに尽きているわけである。
なにかを主張したいなら、それを科学的に、他の科学者集団が分析可能な形でモデルを作って、数式化して、提供するしかない。つまり、科学とは
- その妥当性
を議論はできるが、それ以外(つまり、西浦先生がどう言ったとか、そういった「たわごと」)は無意味なのだ...。