足元のテクニックがあり引いて守ってくる相手に勝つ方法

コスタリカに負けたわけだが、解説で出てくる元選手たちの一人として、

  • 5−4ブロック

の攻略法について語らないことの異常さに、日本の「サッカー文化」がある。なぜか? 一言で言えば、日本のサッカーが「高校サッカー文化」だから、と言っていいと思う。日本のサッカーは高校生で、

  • トーナメント

に勝ち上がったチームだけが注目されるようになっている。だから、あらゆることが「一発勝負」にしか価値を認めない。一人一人がどういったテクニックを磨いたことを称賛するのか、といった文化としての価値観がない。つまり、勝てば官軍、負ければ賊軍の精神だから、勝利した「原因」から、あらゆる価値の序列が決定しているだけで、そもそもの日本の文化として、教育として、どういった選手になることを褒めるのか、社会として立派な選手だと考えるかの哲学がない。
コスタリカは確かに、5−4ブロックで引いて守る戦略だったわけだが、これは、監督による日本の研究から導き出された戦い方だった。日本の過去の戦歴を見れば、ここが弱点であることは自明だった。ところが、この対策を森保はやらなかった。そして、選手もこの対策が必要だと一度として思わなかった。そもそも選手たちは、高校サッカーを勝ち上がってきた「エリート」のマインドをもっている人たちで、そういった「屈辱」の経験のない人たちだからだ。
5−4ブロックを打ち破る方法は、スペインがやっていたように、とにかく「横に広がる」必要があった。そして、前の4枚を広げて、隙間を作り、粘り強く攻め続ける。しかし、これは中途半端にしかできなかった。あまりサイドの選手も、その意図をうかがわせるような明確なポジションをとっていない。あまり分かっていない、曖昧な位置にい続けた。まあ、負けるべくして負けたとしか思えない。
(こんな「低能」な集団でありながらw、もしも日本が点をとる可能性があるとしたら、たとえ相手が5−4ブロックだったとしても、攻め込まない哲学だったのかもしれない。もう、それしかないわけである。攻めこまず、相手に無理矢理攻めさせて、

  • カウンター

を狙う。実際、そういったことが得意な選手ばかりを監督が(ドイツ戦、スペイン戦のために)選んでいた、という現実がある。)
そう考えてみると、そもそも日本はドイツに勝って、さらにコスタリカに勝つというパターンを事前に想定していなかったことが考えられる。つまり、ターンオーバーだ。これをやった理由は、一戦目で疲れた選手を休ませることが目的だが、そもそも一戦目で勝ったんだから、二戦目に勝てば、ほぼグループリーグ突破なのだから、事前に想定したターンオーバーをやらない選択もできたはずだ(そうすれば、3戦目こそ休める)。しかし、そのまま

  • 事前の想定通りにターンオーバー

した時点で、どこか、サラリーマン的な、とても勝負師と言えないマインドを感じさせる。
そのことは、日本がコスタリカ戦で「自滅」したから、

  • スペインと真剣勝負が実現した

という皮肉となっている。もともと日本は、ドイツ、スペインと真剣勝負ができることを望んでいた。将来の育成を考えたとき、むしろ、そっちの方に重きを置いていた。実際に、その「対策」のための選手ばかりを集めたのだから、どこか

  • わざと負けた

といった色彩を感じなくもないわけである...。